最近、
「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」という言葉を
実体験することが多いです。
フィリピンではこのような感情の作用が
日本より多いように感じます。
「いやいや、それは文句言うとこではないでしょ」
こんな突っ込みを日に3回はしているような気がします。
しかも、指摘してみると
「むぅ~」ってな具合で拗ねる。
どうも間違いには気づいているようですが、
納得はしたくないといった感じです。
私も人間ですからね
偏見による見誤りは多いですが、
この「坊主憎けりゃ」は
女性特有の「生理的にムリ」に近い気がします。
(女性特有という表現は私の主観です)
フィリピン風「坊主憎けりゃ」は
何となくですが、
「この人に関わることを否定しなくては、自分を確立できない」
こんな感情に似ている気がします。
だから、「それは感情的過ぎでしょ」と諭すのではなく
「あの人は(私は)、あなたの対立軸にはいませんよ」
なんて説得が比較的に有効です。
たぶん、これまでのフィリピンの歴史によって
「自己の肯定」というものが日本よりも重要視される文化が出来ているのだと思います。
こういった違いを少しでも早く理解し
本当の意味でフィリピンに受け入れられるように頑張りたいものです。
それにしても、
先ほど「女性特有」と表現しましたが、
今の日本では当てはまらないかもしれませんね。
というのも、先ほどFBを通じて入ってきた三面記事
「辻希美ブログ炎上」
閲覧してしまった自分に後悔するような内容でしたが、
要約すると
辻さんがブログに寝室の写真を投稿した際、枕元にティッシュ箱があったそうです。
それを見た読者が「生々しすぎる」と批判し炎上したそうです。
…………おいおい、
以前、小売店で働いている時、
俗に言う「クレーマー」がいました。
明らかに「クレームを言いたいため」に来店する人で、確実に少数派の存在でした。
しかし、匿名で手軽に文句を言えるようになった現在、
簡易クレーマーが増えたように感じます。
これはつまり今までは「病的」と思われていた「クレーマー」という存在は
誰の心にも存在する欲求に近い物なのかもしれません。
そう考えると、この感情に少し興味が湧いてきました。
今度暇を見つけて考えてみたいと思います
「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」という言葉を
実体験することが多いです。
フィリピンではこのような感情の作用が
日本より多いように感じます。
「いやいや、それは文句言うとこではないでしょ」
こんな突っ込みを日に3回はしているような気がします。
しかも、指摘してみると
「むぅ~」ってな具合で拗ねる。
どうも間違いには気づいているようですが、
納得はしたくないといった感じです。
私も人間ですからね
偏見による見誤りは多いですが、
この「坊主憎けりゃ」は
女性特有の「生理的にムリ」に近い気がします。
(女性特有という表現は私の主観です)
フィリピン風「坊主憎けりゃ」は
何となくですが、
「この人に関わることを否定しなくては、自分を確立できない」
こんな感情に似ている気がします。
だから、「それは感情的過ぎでしょ」と諭すのではなく
「あの人は(私は)、あなたの対立軸にはいませんよ」
なんて説得が比較的に有効です。
たぶん、これまでのフィリピンの歴史によって
「自己の肯定」というものが日本よりも重要視される文化が出来ているのだと思います。
こういった違いを少しでも早く理解し
本当の意味でフィリピンに受け入れられるように頑張りたいものです。
それにしても、
先ほど「女性特有」と表現しましたが、
今の日本では当てはまらないかもしれませんね。
というのも、先ほどFBを通じて入ってきた三面記事
「辻希美ブログ炎上」
閲覧してしまった自分に後悔するような内容でしたが、
要約すると
辻さんがブログに寝室の写真を投稿した際、枕元にティッシュ箱があったそうです。
それを見た読者が「生々しすぎる」と批判し炎上したそうです。
…………おいおい、
以前、小売店で働いている時、
俗に言う「クレーマー」がいました。
明らかに「クレームを言いたいため」に来店する人で、確実に少数派の存在でした。
しかし、匿名で手軽に文句を言えるようになった現在、
簡易クレーマーが増えたように感じます。
これはつまり今までは「病的」と思われていた「クレーマー」という存在は
誰の心にも存在する欲求に近い物なのかもしれません。
そう考えると、この感情に少し興味が湧いてきました。
今度暇を見つけて考えてみたいと思います