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縁の下の眠り猫 ~寝言は寝て言う~

縁の下の眠り猫こと中野泰祐の小休止ブログ
只今フィリピン赴任中!!

保健所に何を期待しているのやら

2014-08-01 11:47:39 | 日記
佐世保での悲惨な事件

これについては専門外であり、

報道レベルの知識で語れるような話ではないでしょう。

ただ、現在矛先が保健所へ向いている状況には疑問を感じます。

曰く、「精神科医の警告があったにもかかわらず放置したお役所仕事」

との批判の様ですが、彼らは保健所に何を求めているのでしょうか?

逆にどうしたら正解だったと思っているのでしょうか?

各識者や書き込みには

「何やっているんだ」「防げたはずだ」「職務怠慢」

と言っていますが、何をすべきかは書いてありません。

殺人の可能性ありと保護すればよかったのでしょうか?

警察に通報すればよかったのでしょうか?(その場合は警察が拘留?)

既に精神科へ通院させている親へ注意を促せばよかったのでしょうか?

親身になって話を聞いてあげればよかったのでしょうか?

前者2つはもちろん警察にすら権限はありません。

後者2つは家族や精神科医の範疇です。

それとも周囲に注意を呼びかければよかったのでしょうか?

どの様な手段も保健所にはできないし、してはいけない物です。

私ももちろん、こうしておけばよかったというという解はありません

あえて言うのなら、

異常を知りながら一番傍にいなくてはならない父親が別居までしてしまった態度を悲しく感じています。
(少ない情報ですが、親であることを放棄してしまった事に原因を感じます)

今回の件で一番正解と思われる行為をとったのは佐世保そして長崎の教育に関わる人たちではないでしょうか?

度重なる悲惨な事件を教訓に十数年も命の教育を続けてきており、

今回の事件に心を痛められている方々です。

決して失敗だったとは思えません。諦めてほしくありません。

この様な積み重ねしか再発を防止する方法は無いように思います。

今回の件は尋常ならざる「異常」な環境です。

これは災害にも似たものです。日々の訓練のような積み重ねしか対応手段はありません。

それを杓子定規で語っては間違った方向へ向かってしまいます。

そして、今回一番心配なのは、

杓子定規で語った結果

対応をまるでストーカーや未知の感染病者のように扱ってしまうことです。

つまり「隔離」です。

ストーカーは確かに警告などの手段をとりながら

実害があるので被害者の生活圏内への立ち入り禁止という措置は妥当だと思いますが、

今回の件では仮に「絶対に殺人を犯す」とわかっていたら、完全に人から隔離するしかありません。

しかし、一体誰がそんな事わかるでしょうか?

誰が何の権限で判定するのでしょうか?

精神科医の診断書を元に保健所が赤紙でも持って強制的に「保護」でもするというのでしょうか?

そんな事があってはとんでもない中世国家の誕生です。

でも、日本の識者や書き込みを読む限り

そんな方向へ向かいかねない様に感じてしまいます

こんな世論もあっていいのでは?

2014-07-21 12:30:00 | 日記
こんにちは

なにやら世界情勢が激化しています。

それと同時に

様々な人が色々な方法で平和を模索しています。

そんな様々な意見の中で

気になる内容がいくつも目に付いたので

それについて考えてみようと思います。

気になった意見は2種類

1、「平和の為に武器の製造や輸出に反対」
2、「世界の争いのほとんどが宗教戦争。宗教なんてなければいい」

概ね、この様な意見です。

僅かな人の意見なら構わないのですが

これらの意見を言っている人が結構多いことに驚きます。

彼らは本当にそれで「争いをなくす」ことができるとでも思っているのでしょうか?

些末過ぎだし、本質から大きく外れています。

「小さいかもしれないけど、それが第1歩だ」なんて言う人もいるかもしれませんが

大火を前にわざわざ耳かきで水を散布する行為を消防とは呼びません。

むしろ邪魔だし被害が増えるだけです。

ちなみに、私は武器の輸出入を「是」と言っているわけでもないし、

特定の宗教を信奉してもいません。

今回の件に限らず、この様な意見には2つの欠落している問題があります。

一つ目は

「どこまで行っても、争いを起こすのは人」

という事です。

武器を持とうが、宗教を信じようが

災害に見舞われようが、貧困に苦しもうが

結局は争いは人が2人以上いるからです。

逆に、それらから解放され満ち足りていても

人が争う可能性をゼロにすることはできません。
(満ち足りることがないからとも言えます)

二つ目は

「諦めたり否定するだけが解決策ではない」

です。

どうも最近の風潮では

問題があると全てを否定する節があります。

分かりやすいものなら「ゆとり教育」や「体罰の定義」

そして「環境問題」や「規制緩和」の対応もこれに属します。

現行制度に問題が見つかると、根本から否定し変えてしまおうとする。

しかも性質が悪いことに

「子供の為」「地球の為」「未来の為」に

「自由な」「質素な」「自然な」行動が望ましい

と耳触りの良いことばかり並べ

自分たちが今まで(今も)享受してきた

「成長」や「発展」を「我侭」で「貪欲」だと断罪します。

こんな意見は突き詰めてしまえば

「結局人間は地球に必要ないんだ」などという中二病よろしくな話になってしまいます。

私はその様な破滅論者の意見が正しいとは思えません。

では、どうすればいいのか?

批判ばかりでは何なので、私の考えも述べます。

得てしてこの様なことは悪い中にヒントがあるものです。

つまり、破滅論者と真逆の意見に注目してみます。

それは「成長や発展に、もっと我侭に貪欲に取り組んでいく」ことです。

引き算ではなく足し算。

重要なことは変わっていく努力。

武器が無くたって人は争う可能性があるのなら

「武器を無くすこと=解決」ではありません。

「武器の有無にかかわらず争わない=解決」です。

「宗教問題で戦争が起こるから宗教はいらない」ではなく

「宗教を理由に問題を起こさない」という変化が必要なのです。

途方もなく、まるで夢物語のような理想論に聞こえるかもしれませんが

そもそもの議題そのものが人間の本質に近い問題なのですから

その解決策が「武器を輸出しない」などという些末なもののはずがないのです。

それでも戦争を起こすのが人間だけなら、戦争を止めることができるのも人間です

環境を破壊したのが人間の技術なら、修復できるのも人間の技術のはずです。

つまり

「みんなが平和に安全に健康にくらしていく」

そのための

「成長や発展に、もっと我侭に貪欲に取り組んでいく」

途方もないことですが、一人でも多くの人が毎日貪欲に取り組んでいき

それがスタンダードとなれば決して不可能ではありません。

なによりも私の様な俗物にとっては

平和の為に禁欲を押し付けられるよりも

平和の為に貪欲でいられる方が気が楽です。

大相撲

2014-07-19 09:53:11 | 日記
大相撲

正確には違うのだけれども、立ち位置的には国技とされています。

今、その大相撲で話題な大砂嵐

初顔合わせで2連続金星という快挙を成し遂げていますが、未だに「かち上げ」について文句を言われているようです。

多いのが

「エルボー」
「かち上げは肩を使うんだ」
「格闘技じゃないんだから」

特に最後のの文句は彼の親方からの言葉。結果、現在はかち上げを封印するはめに。

他にも

「反則だ」
「反則にすべき」

私だって、お相撲さんが怪我することなんて望んでいません。

しかし、これらの発言はどうもしっくりこない

まずは

「エルボー」と「かち上げは肩から」ですが、

エルボーとは言う間でもなく「肘」、

プロレスなので使うエルボードロップも肘を使います
(ただ、安全の為に肘に見せかけ肘近くの前腕を使っている選手が散見します。これが誤解のもと?)

問題の映像、私は2番拝見しましたが

確実に前腕がヒットしています。

それも下から上への動作が加わっており、

タイミングによって顔面へ当たっているものの、

エルボーの様に肘をまっすぐに突き出してはいません。

そして「かち上げ」とは

「主に前腕を下から上へ押し上げ、相手の上体を起こす」技です。

ただ、中には肩で下から上に押し上げ、相手の上体を起こす場合もあります。
(むしろこっちの方がショルダータックルという攻撃技な気がします)

また、これを反則扱いする風潮ですが

大相撲の反則

「突く、殴る、蹴る」の三つの禁じ手を根本に

髷を掴む、廻しの前袋を掴むなどがあるだけです。

つまり、かなり幅広く認められており、使うか使わないかは本人次第というところがミソです。

にも拘らず

「格闘技じゃないんだから」

なんて言ってしまうのは、むしろ相撲を貶めているように感じます。

最低体重は定められているものの、それ以上で言えば無差別級。

普通に100㎏を超える巨漢たちが本気の投げ合い、張り合い、ぶつかり合い。

しかもグローブやマウスピースなどなく、褌一張。

リングは固められた土の上

そんな仕合を15日連続。

明らかに格闘技の枠を超えた制度です。

つまり、「道」だからといって格闘技とは違うのではなく

格闘技の上を行くことで「道」に昇華した立ち位置なのではないでしょうか?

当然、その過程には「格闘技まがい」があるはずです。

だから「格闘技じゃないんだから」ではなく

「いつまでガキの喧嘩してるんだ」

もしくは「ガキの喧嘩相手に不覚をとる奴が悪い」

このくらいがちょうどいいのではないでしょうか。

それほど過酷な環境で勝ち上がるからこそ

横綱は尊敬され、

締め縄をして神事を任される品格が認められるのではないでしょうか?

最近の日本ではなにかと緩めたがりますが、

締め付けるからこそ生まれる魅力、強さ、結果があるはずです。

昔、とある力士が子供たちに

「普段のお相撲さんは優しそうだろ?なんでかわかる?」

と尋ね、首をかしげる子供たちに続けて

「稽古や仕合で全力を出し切っているから、普段は人をいじめたり喧嘩したりする気持ちにならないんだよ」

「みんなも、勉強でもスポーツでも一生懸命頑張っていれば、みんな仲良くなれるね」

過去に相撲界でも色々と問題がありましたが、

それはそんな余裕が生まれるほど緩んでいたのかもしれません。

相撲界で

何が何でも勝ってやろう!という気持ちを「格闘技じゃなんだから」とそぎ落とす様な愚行がなくなり

「何が何でも勝ってやろう!」のその先を目指し、我々に見せてくれる。

そんな国技たる相撲であって欲しいと思います

帰国予定

2014-07-05 17:39:42 | 日記
さて、真夏の帰国

7/7~7/14の間、一時帰国します。

今回は初めての

マニラ→羽田便

成田に比べれば実家から格段に近い羽田

早起きが必要な点は変わりませんが、

空港近くのホテルへ前入りしなくて済みます。

まぁ、今回も予定盛りだくさんって感じなんですけど

少しでも日本を満喫できたらなぁ、なんて思います。

ただ、どうやら今回の帰国

台風8号を一緒に連れてきてしまうかもしれません。

そして初日の健康診断。

フィリピンで体質改善しているのですが、

今までになかった症状が出てもいます。

どの様な結果になるのでしょうか?

一応、前回の診断より6㎏以上減量はできているのですけどね。

今度の日曜日はお茶だけ飲んで、

ゆっくりと体調を整えようと思います。

では、みなさん!日本でお会いしましょう!

格というもの

2014-06-21 14:11:11 | 日記
こんにちは

フィリピンでは雨季になると

インターネットの繋がりが悪くなります。

雨季が存在するのに、

まったく水害対策の行われないのがフィリピンです。

さて、

有名人や日本人が毎日のように射殺されているフィリピンですが、

日本のニュースも毎日のように

「どうしてそんな問題が起こるの?」というネタであふれていますね。

特に「都議会議員のヤジ」は酷いものです。

ネットでも騒がれているように

ヤジの内容は容認しがたいものです。

しかし、私から見た本質的な問題は

「議員の格」という点です。

以前から国会議員をはじめ

「議員を「先生」と呼ぶべきではない」という風潮があります。

「そんな風に呼ぶから偉そうにするんだ」というのが主たる理由ですが、

これは大きな勘違いではないでしょうか?

なぜなら

議員とは偉い者(偉人)であるはずです。

議員だから、先生と呼ばれるから偉いのではなく、

偉いから議員に選出されているのではないでしょうか?

にもかかわらず

「公務員は税金で食わせてもらっている」
「公務員は公の奉仕者なんだから」

などという言葉で「議員の格」を落とし、

さらに権利を行使して自ら選んだにも拘らず

容赦なく罵倒する。

このような無責任さが「偉くない者」を議員にし、

多くの問題が発生しているのではないでしょうか?

民主主義に則っている限り、

公の質は国民の質に従っているのです。

言葉は悪いですが、馬鹿な国民の上に賢い政府などできないのです。

みんなが頻りに言っている「最近の政治家は馬鹿だ」という言葉は

そのまま「俺たちは平均的に馬鹿になってきている」といっているような物なのです。

つまり、私の考える問題点とは

議員=偉人が成立していないという事です。

先生と呼ばれるような尊敬される人物を選んでいない、

もしくはそのような偉人が政治に関わる風土がない。

そもそも偉人であり、その上みんなから先生と呼ばれていれば

普通は模範となるべく襟を正すものです。

それを先生と呼ばれて増長する小人を選んでしまうから

「先生と呼ぶべきではない」などと頓珍漢なことを言わなくてはならなくなるのです。

議員、医者、教師

どれもが尊敬に値する仕事に従事しています。

これらの格を落として考える風潮が

これらの従事者による事件の多発につながっているのではないか?

最近、その様な考えが芽生えています