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布教師寮@Net

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自由 is freedom ??? 【サプリ仏教】

2007年06月26日 13時55分46秒 | サプリメント仏教

毎週欠かさず見る様にしている「エンタの神様
番組のラストを飾るのは、究極の二択を茶化したネタの犬井ヒロシ



日常よくあるどうでも良い二択をパロって、最後に「自由だ~!」と雄叫びを上げるのが彼のスタイル

最近ちょっと見飽きてきた感もするが、今後あの路線からどうやって脱皮を計るかが彼の課題となる事でしょう。

今日はその「自由」という概念について考えてみました。

昨日の日記堂頭内寮@Net)にも触れましたが、今年から職場との雇用契約が変わり、だいぶ時間の融通が効く様になりました。

まぁ、私としては「生活の安定」よりも「時間の自由」の方を選択したという訳ですな。

父親である住職の高齢化に伴い、師寮寺の壇務もだいぶ私が務める様になってきました。

昔は、東京と師寮寺の往き来もさほど苦にならなかったのですが、ここ数年は歳を取ったせいか、車での移動もだんだんきつくなってきました

そこで、生活の保障は下がれども、時間の融通が効く今の生活は自分にとっても好都合と思い、まさに時間に縛られない「自由」な生活を手に入れたはずだったのですが......。

しかし、春から「自由」な生活を送っているはずの私が、何だか日々生活がしっくりこない時があるのです。

もちろん、まだ新しい生活に慣れていない部分も否めないのですが、時間の融通が効く様になった分、昨年までは感じる事がなかった、得体の知れない「不自由さ」を感じる時があるのです。

皆さんにも同じ様な経験ありませんか ―

時間の自由が効く様になった分、逆に何をして良いのか分からなくなる様な時って...

まぁ、「贅沢な悩みだ」と一喝されてしまえばそれまでですが、本記事の主題は「贅沢な悩み」云々の問題ではありません。

拙僧、つらつら「自由」という概念を考えてみるに、面白い事実に気付かされました。

「自由」とはある意味、ある種の「不自由さ」に保障されている概念なのではと......。

人はある意味、ある種の「束縛」や「拘束」があるから「自由」という概念がリアルなものとして感じられるのではないでしょうか。

さらに分かり易く言えば、不自由さの中の「自由」だからこそ、人は「自由」という言葉の意味を理解するのであり、「自由」のありがたさをも感受できるのだと......。

つまり、「自由」という概念は、その対極にある「不自由さ」とセットで語られて真の「自由」となるのです(by 極端な仮説)。

昔、ある人の講演を聞いた時に「なるほどな!」(なるほどな、なるほどなるほどなるほどな! by FUJIWARA)と感じた事がありました。



返済期限のない借金は、真の意味での借金ではないと言うのです。借金が借金として機能するのは、返済期限まで借りたお金を返さなければならないという社会のルールと共通の認識のもと、借金が債務者にとって「苦」という概念と結び付くからこそ「借金」なのだと言うのです。

なるほど、返済期限のない借金は、もとから借金という意味を為さないのかもしれません。もらったお金と何ら変わりがないものですから

それと一緒で、「不自由さ」とセットで語られない「自由」とは、真の意味での「自由」とは言えないのかもしれません。

さらに厳密に言うと、ある種の束縛や拘束から成る「不自由さ」がなければ、真の意味での「自由」の喜びやありがたみは感受できないものと言えましょう。

ある種の制約がなくなってしまった今の私の生活、それはそれで「時間の自由」は保障されているのでしょうが、私みたいな元来貧乏性タイプの人間は、真の意味での「自由」を感受できない「不自由さ」があるみたいです。

「自由」というのは、ある種の制約があって初めて「自由」としての喜びを感じられるのかもしれませんね。

そういう意味で考えると、「坐禅は安楽の法門なり」という『普勧坐禅儀』の一節の理解や、「自由」と「我が侭」の履き違えなどについても、通じる部分が出てくるのではないでしょうか。

何かに縛られている時にしか「自由」を感じられない私は、もしかしたら究極のM男くんなのかもしれません。。。

 「ア゛ーーーッ!」

ちと強引過ぎましたね、おあとが宜しいようで......

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3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
同感 (ぜん)
2007-06-26 22:44:09
こちらでのコメントは久しぶりです。
私も、生活の安定より時間の自由を選んでいます。
家族には迷惑をかけている部分が多いのですが(汗)

自由は、不自由があるからこそ感じることができるというのが持論です。
わが子には、できるだけ不自由な思いをさせています。
というか、自然に不自由な思いをしているみたいです(汗)

さて、どうなることか??
返信する
失礼いたします。 (tenjin95)
2007-06-27 11:56:33
> 管理人様

管理人様もご存じの、拙僧も10年ばかりお世話になった寮監先生が、やはり完全なる自由には自由はなく、本当の自由とは、同じように行っていく規則の中でいかに遊びを見付けるかにかかっているというようなお話しをされていたのを思い出します。

まさに、人は大きな可能性の中に生きている時、それを自由だと勘違いしますが、実際には行為する時に伴う「選択」によって、現実に自由となることを、識るべきかもしれません。
返信する
コメント (布教師@Net)
2007-06-27 14:03:31
> 単頭和尚さま & 助化師さま

コメントありがとうございました
お返事をつらつら書き連ねているうちに、長文になってしまいましたので記事にしちゃいました

http://blog.goo.ne.jp/fukyo-net/e/7c10969fcbc5aa71a5e97f1191fbcd2f

今日はこれから所用で立て込むゆえご海容のほどを
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