
先日、「人事を尽くして天命をまつ」という記事を載せたところ、當山・単頭和尚さまから
>でも、これは天命はどうなるか分からないというのが本意でしょうね。
努力しても、結果が悪いこともあるというので、いいと思います。
まさに、努力しているそのことが尊いのだろうと思っています。
といったコメントをお寄せ頂きました

まさに「人事を尽くして天命をまつ」という言葉の意味を、仏教の立場から道得して頂けたものと解釈しております。
今回はそのコメントを踏まえ、さらに感じたところを述べてみたいと思います。
結局、前回の記事では、「結果」(天命)そのものよりも、そこに到るまでの「過程」(人事を尽くす)に重きを置くべき事を述べたつもりでした。
数字上に表れる「結果」で善し悪しが決まるのは、あくまでも世法上の判断であると考えています。
仏教の立場で言えば、やはり努力している姿そのものに尊さを求めるべきでありましょう。
「結果」に価値を求めるのではなく、「生き方」に価値を求める姿勢が仏教の目指すところであって欲しいと思います。
日本の企業戦士の如く、生きていく上で「世法上の結果」を無視できない立場の方も多くいらっしゃる事でしょう。
しかしながら、結果ばかりに目を奪われて、肝心な今を生きる姿勢を見失ってしまったのでは長い目でみてマイナスです。
少なくとも「結果も大事であるが、そこに到るまでの過程が大事」と覚悟を決める姿勢が求められているものと思います。
まさに、結果を恐れずに今を大切に生きる姿勢に繋げるべき一文ではないでしょうか。
日本の企業戦士の皆さん





天命(または神)に、結果の保証を求める人が多いんですね。
最近はその神さえ存在感がなくなり、人間の手による結果がだけが尊ばれる、「成果主義」なるものが幅を利かしているんですね。
結果を無視するわけではありませんが、過程はより以上に大切だという観点を大切にしたいと思います。
直接記事とは関係がないコメントで恐縮ですが、拙ブログが開設2周年となりました。ここまで続けてこられたのは皆さまのおかげでございます。この場をお借りして、相互リンクをいただいている皆さまに感謝申し上げます。
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/3ca487d222fdd6a75553df8659e8b980
「結果」が生きている証ではなく、その「過程」こそが証であり現実だと気付くべきですね。
よくよく考えると、「過程」とは生きている現実そのものだと感じました。
>助化師さま
御礼コメントありがとうございました。
当方、TB頂いた記事に祝語を献上差し上げました。