[平賀氏]の墓地
(墓地案内板)
[平賀氏]
高屋保の地頭職として、出羽国平鹿郡を本貫地とする平賀氏が有した。
鎌倉期の譲状から、平賀氏相伝の所領として、惟長から惟致・貞泰・惟藤・
尼きやくわんを経て、元亨元年(1321)には、兼宗に譲渡されている。
南北朝内乱期には、高屋保地頭職は、兼宗の息、共兼・貞宗の抗争もあって
一時、竹原小早川氏の手に渡ったようであるが、安芸国人としての地歩を
固めつつあった貞宗によってその後回復されたようである。
至徳二年(1385)には、嫡子弘章に、嘉慶二年(1388)には同じく子息時宗
に高屋保地頭職半分の譲渡が行われている。
弘章からの譲渡を受けた嫡孫頼宗の代に至って高屋保の地頭職は平賀氏
惣領の一円領知とされて行った。(『広島県史』中世P120引用)
[平賀氏の墓地]
文永の役(1274)を契機に出羽国平鹿郡から高屋保へ新補地頭として
入国してきた。廃明道寺跡(『芸藩通志』)の中に弘保・隆宗の墓をはじめ
数多くの宝篋印塔・五輪塔が残っている。
(『広島県文化財解説図録』P505引用)
(墓石:入口から左手)
(墓石群 : 入口より奥側)
(墓石:五輪塔)
(墓石:宝篋印塔の格座間)
(宝篋印塔)
以上
(報告:福之山)
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