「備後・福山」歴史の街

広島県東部の地域は、古代以降「備後国」と言われていました。その「備後・福山」から郷土の歴史を含めた情報を発信致します。

福山駅前広場整備工事(地下送迎場)に係る第4次発掘調査 現地見学会の報告

2009-11-22 00:56:51 | 発掘調査説明会

福山城跡 JR福山駅前広場(駅前交番の西前)での発掘調査現地見学会が

開催されました。

平成21年<2009>11月21日(土)13:30~15:00の間で見学会が

行われ、多くの関心のある人達が集まりました。

説明には、福山市教育委員会文化課の担当の人が説明をされました。

今回の調査は、福山城南側の外堀部分に当り、この地点より堀を挟んで

北側には、御水御門があり、この外堀の石垣を西に延長すれば、大手門に

続く大手橋に突き当たる位置になり、南側は、福山城下町となります。

堀を挟んだ北側のお城の石垣までの距離は、47mあり、外堀の幅が47m

になることが判りました。

今回調査した石垣は、一見すると今まで調査した石垣に比べて粗く石を組んで

いることが解り、石炭灰が混じる土で石垣を築き直していて、根石の基礎部分

の石垣は、下から3段目までが元の部分であることが調査で解りました。

また、この石垣より北側には、幅1.5mの溝を挟んで石垣が築かれていて、

大正・昭和にかけて外堀を埋め立てられ、築かれて、新しい石垣と言えます。

その築き方は、外堀の底に20~30cm程土が溜った頃に、道木を敷いて

丁寧に石垣を築かれています。

溝の中には、外堀の石垣を築き直す際に元の石垣の石が

落ち込んでそのままの状態となっています。

この溝は、排水を流した溝と考えられます。

出土遺物は、江戸時代以降の遺物が出土していて、幕末の頃のものも若干

混じっています。

大正から昭和にかけての化粧品の瓶類も出土しています。


              (見学会 風景 南より)



  (外堀石垣 東より)


(溝に元石の落ち込み状況 右側は新しい石垣 東より)


        (出土遺物 瓶類)


    (軒丸瓦)


    (軒平瓦)

今回調査した場所は、地下送迎場の出入り部分に当たります。

                                                                             概略以上

                            (文責:福之山)


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
了解しました。 (福之山)
2009-11-24 21:54:14
鳳来 さん

了解致しました。
返信する
トラックバックを張らせていただきました。 (鳳来)
2009-11-24 21:20:35
「沼隈郷土文化研究友の会」の記事へ

トラックバックを張らせて頂きました。

よろしくお願い致します。
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