コーヒーブレイクⅧ

おもに、国際政治経済情勢を論じます。宗教論、音楽、歴史(古代史が主)についても論じます。

経済学の歴史から見る現代経済

2021-11-18 14:36:45 | 国際政治経済
この30年間は、新自由主義が、あらゆる角度から、ケインズ経済学的常識を葬った時代。金融革命、消費者資本主義と株主資本主義。もともと、ケインズ経済学も、経済の基本は需要と供給のバランス、管理通貨政策一面論のようなところがあり、そこを突かれた。

新自由主義経済学は、ケインズ経済学批判を重要な課題としている。そして、ケインズ経済学は、需要と供給の経済学である近代経済学の流れの中で登場した。

近代経済学がなぜ登場したかと言えば、イギリス古典派経済学が、恐慌という経済現象を説明できなかったことによる。供給は需要を生み出すという セーの法則が暗黙の前提になっていたからである。
近代経済学は、需要曲線と供給曲線が一致するところで市場は均衡するが、供給が過多になったり、需要が過少になった場合は、市場は混乱する。その混乱の最たるものが恐慌という理解になる。ケインズへの流れは自然なものである。
ケインズの有効需要論は、ケインズが独創的に発見したのではなく、通貨論と結合することによって意味を有している。

ところが、ケインズの一般理論は、マニアックというか、ドグマ的な需要供給論に縛られている。ケインズ原典主義者には、経済学の未来はないことも確かだろう。
ケインズは、利子率を生産との関係で見ない。イギリス古典派経済学の労働価値論を捨てたから、そういうことになる。

労働価値論を確立したのはマルクスだから、そうならざるを得ない面がある。自身の基本的立場から逸脱することになるからである。
マルクスは、資本主義経済全体の矛盾が恐慌の原因だと考えた。しかし、それは、明確に説明されたものではない。だいたい、資本主義派矛盾が爆発して崩壊すると考えており、現在のマルクス経済学もそう理解している。論理的には、第二巻の表式論から自動崩壊を導くもの(ローザルクセンブルグ)と、第三巻の信用制度の崩壊を想定するものがあるが、後者が主流派になっている。

つまり、労働価値論に論理を進めれば、資本主義崩壊論、もしくは、階級搾取論に陥り、経済学よりも政治的革命が必要になるという論理的見込みが災いしたとも考えられる。

ただし、マルクスの表式論は誤りだ。彼の経済学は、最初から破綻している。価値の矛盾は、使用価値と交換価値の矛盾ではなく、価値そのものが、労働と対峙するものであることを気づかなかった。古典派経済学の理解をそのまま受けいれて、そのドグマに縛られている。

また、マルクスの資本論を読むと、一般的平均労働、つまり、一般的な技術、平均的な熟練労働において、価値が決まると書いている。つまり、特殊性を認めない。私が、特殊的利潤追求と呼ぶものを特別剰余価値と言い、論理の外に置いている。つまり、結局、無視されるということになる。
しかし、資本主義そのものは、特殊性によって動いているし、特殊に進化している。論理が現実を捉えきれない場合は、論理が間違っているということを、彼らは認めない。

これらすべては、学生の頃と変わっていない。私の予想では、20年も経てば、マルクス経済学者も分かるだろうと考えだが、未だ、価値は金貨幣に収束すると考えている。諦めました。

古典派はもちろん、マルクス経済学、ケインズ経済学も共通して言えることは、経済学の体系の骨格論理、基本命題に、成長概念が欠落しているということだ。労働価値論、需要供給論の論理の中には、成長という要因は含まれない。せいぜい、重要な外的要因と理解するに留まる。
私は、表式論に特殊的利潤追求(イノベーション)を導入することにより、成長要因の内在化を目指したが、80年代から、世界的に新自由主義が、独自の付加価値論を展開して、ケインズを凌駕する勢いになった。実は、私も、最初は、労働価値論は付加価値論としてとらえるべきだと考えたが、新自由主義の付加価値論との混同を避けるため、使用は止めている。

さて、最近、バラマキ財政批判というのがあり、物議を醸している。
バラマキでも、消費喚起すれば経済的に有効だというような論理を背景にしているが、消費喚起の経済成長というのは、単純に規模を拡大して成長するということ。しかし、成長は、成長分野の拡大か、他国の就業機会を奪うことで、実現している。消費は、景気の波を与えることはあっても、成長を自力で支えることはない。有効需要論というのは、経済成長の前提の下で成り立つ。

財政支出を財政均衡論にすぐ結び付けるのは間違い。その支出が価値ある支出か、そうでないかが重要。また、無借金の政府がいいのかというと、そうではなく、悪い場合もある。管理通貨制度で、無借金というのは、乗らない車を持っているのと同じこと。維持費だけかかる負の資産。

例えば、円の国際化という課題が現実のものになったら、それは、いい面と悪い面を持つ。円の影響力が強まることと、国際的借金が増えること。アメリカは、ドルを垂れ流しているが、ドルの影響力が強まることと、アメリカの二重、三重の赤字は、その分拡大している。

大英帝国が、ドルを持たなかったことは、支配が終わることの前提だったが、1930年代のドイツを救う気持ちがなかったから、未来がなかった。政治的背景が、経済の発展を止めた例。

さて、デジタル田園都市構想というのがあるらしい。岸田内閣の新しい資本主義というのは、デジタル資本主義のことかなと考えることもできる。マイナンバー制度とベーシックインカム制度は連携する。給付金にこだわるのは、国民の所得管理に繋がるからだろう。失業の嵐とベーシックインカム制度は並行して進む。

東芝が未だ迷走中という記事がある。記事を読んでいてもガバナンスという言葉だけが踊り、筆者自体も迷走中。基本は、ガバナンスではなく、経済の趨勢なのだが、日本のデジタル経営者には失望する。経営者が自分の方向性に自信を持っていい場合はただ一つ。人材が育っているかだ。

アメリカの先行きは暗い。お金が集まるというのは、国は貧乏になり、人材はいなくなるというリスクがあるということが、経験的に明らかになっている。
歴史的にも、金融の膨張は、経済成長を鈍化させてきたと考えられる。

結局、金融政策だけでは、むしろ逆効果で、成長を促進する財政金融政策が経済立て直しのカギになると言える。
だから、日本の現状では、管理された小インフレと、積極財政による成長分野への投資促進以外に選択肢はないことになる。

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