コーヒーブレイクⅧ

おもに、国際政治経済情勢を論じます。宗教論、音楽、歴史(古代史が主)についても論じます。

太平洋戦争開戦の真因はなにか

2021-10-11 21:16:13 | 国際政治経済
日米開戦の原因が、ハル・ノートであるというような見解は明らかに間違いである。仏印まで攻めていって、世界が反対するのは当たり前であって、当然である。泥沼に引き込まれた原因が真の要因である。ハル・ノートは、最後通告である。また、戦争に引き込まれた外部要因以外に、内部要因があるが、
むしろこの要因の方が大きいだろう。つまり、日本側の要因、なぜ、大陸での戦争拡大を止められなかったかが問題である。結論は極めて簡単。リーダーがいなかったということである。

リーダーということについては、戦前は、元首は天皇だから、こんな簡単明瞭な話はないと考える人がいたら、それは、天皇制の意味を理解していないということになる。
本来、天皇は、民族共同体のシンボルであり、国家の頂点ではない。歴史上そうである。古代においては、天皇の呼称が見られるのは、推古朝とされ、いわゆる天皇制国家の天皇としての地位が確立したのは、天武朝の頃からとされ、それまでの実権者は、大王だった。天武は、オオキミとよばれていた。

近代国家では、大統領でさえ絶対的存在ではない。天皇を主権者とすることは、国家を無責任国家に放置することになる。権威者が主権者である国家は、貴族社会とその国家である。しかし、歴史的に貴族国家は、無責任国家だった。歴史は、それを克服した社会とそうでない社会の違いを際立たせている。

何故かと言うと、責任を持つというのは、限定的、条件的なことだからである。失敗したら、退陣する体制が責任を取れる体制だが、概ね、絶対的権力者は失敗しても無視する。戦前の体制で、リーダーがいなかったことの例証としては、陸軍と海軍の共同歩調を誰も実現できなかったことに現れている。リーダーがいない場合は、総力戦は無理であるという結論に繋がっている。

貴族制というのは、ここでは、ローマ的な寡頭政治ではなく、王朝政治のこと。

日本で、王朝政治が長く続かなかったのは、武士が勃興したからである。しなかった韓国は、貴族階級社会のままだった。どちらが進歩的かは歴史が証明している。鎌倉御家人は、一所懸命が信条だった。自分の土地は自分で守るということ。貴族政権と武家政権では、責任の取り方が全然違う。

明治維新の王政復古というのは、天皇制の歴史を無視する言葉でもある。日本の封建制度は、天皇制封建制度でもある。それは、天皇制の根拠であるアマテラス民族共同体を背景にした封建制度でもあり、中国の王朝交代とは性格か異なる。天皇親政というのは、歴史的に存在したのか疑問である。それなのに、復古という名を冠するのは、貴族的まやかしに過ぎない。

古代日本を天皇を頂点とする中央集権国家とは、どんな歴史家も実質的な意味では考えていないだろう。部族連合国家がその実相。中央集権が求められたのは、白村江敗北により国防的課題が登場してから。その後の歴史で確立されたのは貴族制国家。しかし、貴族制国家が天皇親政国家であることは少ない。

貴族制度の混乱のなかで勃興したのが武士であるが、彼らが求めたのは、国家創建の思想の根源はどこにあるのかということ。その先駆けは、嵯峨天皇ということになる。彼が行きついた先は、応神天皇、神話的に創生されたスサノオは、牛頭天王をモデルとして総合化,日本化した神様ということになる。しかし、その思考の根底にあったのは、皇族のあり方を示した高野新笠の創話。嵯峨天皇というより、高野新笠の子孫と言うべきだろう。新笠が創作した桃太郎説話は皇孫の使命を伝えるもの。歴史は、その通りになっている。

戦前の官家のあり方には疑問が多い。無責任体制で、各派閥が官家を利用して、戦略なし外交戦略に没頭した経緯が見られ、今日の女系天皇論に繋がっている。昭和天皇とGHQは、意見が一致していたところがある。

私は貝になりたい という映画がある。確かに、東京裁判は、勝者による個人テロのように見られることがあるが、GHQの政策は、安全保障を除いて合理的なところが多い。私の祖母は、よく、マッカーサーのおかげだ と言っていた。しかし。今は、安全保障が国家の最大課題。安住は許されない。

太平洋戦争のキーマンは山本五十六。私は、山本が一番優れた軍人であったことが、日本の不運の象徴ではないかと考える。小才はあるが大才はない。大才が育つ環境では無かった。山本の才能は外交官として適切。軍人は最後の尻拭いをする人、最後を見届ける人でないと、真に有能な軍人にはならない。

戦争を決断したのは天皇と言うのは間違いである。当時の情勢は、天皇が否定したら、その地位が危ない状況ではなかったかと推測される。なぜなら、開戦勢力の先頭に立たされたのは官家。魑魅魍魎の世界で誰が変わるか分からないが、戦争の終わり方も違っただろう。

無謀な戦争に突き進んだのは、明治維新の限界性に起因する。つまり、権力構造の核心が、過去現在ありもしない天皇親政体制だったということである。戦前国家では貴族制度による無責任国家の側面が、極限において露呈したと考えられる。

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