昭和天皇実録公表
終戦への道でリーダーシップ 抗戦派を説得 謁見回数、影響力裏付
9日公表された「昭和天皇実録」の記述内容からは、昭和20年8月15日の終戦に向け、昭和天皇がリーダーシップを発揮していた様子が、宮中側近や閣僚らの謁見内容などから改めて浮き彫りになった。昭和天皇は戦時中、陸海軍上層部から連日報告を受けており、悪化する戦況を詳細に把握していたことが、終戦の「ご聖断」に結びついたといえそうだ。
実録の中で、昭和天皇が終戦の意思を最初に明確に示したのは19年9月26日。側近の木戸幸一内大臣を呼び、「武装解除又は戦争責任者問題を除外して和平を実現できざるや、領土は如何でもよい」などの言葉を述べた。
木戸内大臣は、これを極秘事項として重光葵外相に伝えた。当時は陸海軍とも戦争継続の意思を強く持っていたが、昭和天皇は慎重に終戦への道を探り始めたといえる。
沖縄戦で日本軍の組織的戦闘の終了について報告を受けた20年6月20日の夜、皇居に放たれた蛍を1時間も見ていたと、実録は記述する。内面には触れていないが、この時、心中に期するものがあったようだ。
2日後の同月22日、鈴木貫太郎首相、東郷茂徳外相、阿南惟幾(あなみ・これちか)陸相、米内光政海相、梅津美治郎(よしじろう)参謀総長、豊田副武(そえむ)軍令部総長を呼んで懇談会を開催。「戦争の終結についても速やかに具体的研究を遂げ」るよう求めた。実録で昭和天皇が軍の最高幹部に戦争終結の希望を表明した記述はこれが初。ただ当時は、条件付きの終戦を探っていた。
鈴木内閣発足から終戦までの4カ月間で側近らによる謁見回数は、木戸内大臣が最多の102回、梅津参謀総長が55回、鈴木首相が43回など。和平派と抗戦派の意見が錯綜(さくそう)する中、政府や軍部の内情に通じた木戸内大臣の意見も聞きながら終戦へ筋道をつけた。
土田宏成(ひろしげ)・神田外語大准教授(日本近現代史)は「昭和天皇が終戦を決断するに至ったのは、大規模な空襲や沖縄戦、原爆投下などの惨禍に衝撃を受け、国民や国家の存続の危機を感じたことも一因と考えられる」と指摘している。
豹変した盲導犬 http://youtu.be/It0Kf49IrWg
毎月 診察受けているとは知らなかった
一頭の盲導犬物語 http://youtu.be/M-mBdU7Yp_I
電車中の盲導犬の様子 http://youtu.be/61w0OB2KqSs
泣きながら抜いた、遺体に刺さった無数のガラス片
米軍が広島や長崎の原爆投下の前後に、訓練のため全国30都市に計49発を落としたとされる「模擬原爆」。重さ4・5トンの強力な兵器で、400人以上を死に至らしめた。
大阪市東住吉区に投下された昭和20年7月26日朝、広野国民学校(現・大阪市立摂陽中学校)の教師だった龍野繁子さん(89)は、着弾地点から約150メートルの町工場にいた。当時21歳。勤労動員で生徒約20人を引率していた。
爆風で飛ばされた庭石
午前9時前に工場に到着。この日は海軍の制服のボタンを作ることになっていたが、工場主から「先生、今日も材料が入ってこないねん。勉強してください」と言われた。
〈若い血潮の予科練の七つボタンは桜に錨(いかり)-〉と軍歌にも歌われた誇らしいボタンだったが、戦況は厳しく、材料調達すらままならなくなっていた。
2階の空き部屋にいた生徒たちを隣の部屋に集め、「さあ国語にしようか、算数にしようか」と授業を始めようとしたときだった。
こんな異常な国の軍隊が未だに、日本にいる 国防は日本国の軍隊
東京都慰霊堂 http://youtu.be/ohPUPKdXFgI
関東大震災 http://www.kmine.sakura.ne.jp/shinsai/shinsai.htm
諸外国から援助物資が、船で運ばれてきましたが
当時の東京湾には大型船が付ける桟橋がなく
小型船に積み替えて 援助物資が上陸したそうです
人力ですので積みかへには 数日もかかった
数年前に東京湾の説明うけた、心もとない記憶です
東京都墨田区横網町公園内
行ってみよう
「朴槿恵大統領から贈り物が届きました」
朝日記者ツイートで分かった両者の「日常的な交流」
朝日新聞のソウル特派員が韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領から贈り物が届いたとツイッターで明かした。朝日新聞社では、「大統領府と記者の日常的な交流の一環」だと説明しているが、一部で癒着ではないかとの憶測を呼んでいる。
ツイートしたのは、2014年4月から朝日新聞ソウル支局に所属している東岡徹記者だ。朝日の記事によると、それまでは主に政治部で首相官邸や外務省、自民党を担当していた。
歴代大統領も外国人記者らに贈り物をしていた
その8月30日付ツイートによると、東岡記者の元には、日本のお盆に似た韓国の「秋夕(チュソク)」を前に、朴槿恵大統領から贈り物が届いた。日本のお中元に似たものらしい。東岡記者は、「各界の関係者に贈るのが恒例らしく 中身は干し肉、松の実、ナツメでした」と贈り物の写真付きで解説していた。
ところが、つぶやいた直後から、ツイッターなどでは批判が相次いだ。
「とんでもない韓国との癒着の証拠」
「新聞社のコンプライアンス上どうなの?」
批判は、新聞そのものにも向き、「記者が贈り物を受け取る新聞社。そんな新聞が信じられるか!」といった声も出た。東岡記者のツイートは、その後しばらくして削除されたが、問題があると思ったから削除したのではないかといった声さえ上がっていた。
とはいえ、外国人記者らに贈り物をするのは、歴代の韓国大統領がやっていたことらしい。
産経新聞ソウル支局長だった黒田勝弘記者のコラムによると、故・盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領も就任1年目の2003年9月に、マスコミあても含めて5000個の贈り物を配っていた。このときは、韓国の伝統菓子とお酒のセットだった。
「大統領府に登録している国内外の記者ら数千人に届けられています」
李明博(イ・ミョンバク)前大統領時代の09年にも、コメとコメで作った麺が外国人記者にも届いていたと黒田勝弘記者は明かしている。
韓国がそのときにPRしたいものをマスコミなどに贈っていたというのが実情らしい。贈り物の特産品が、時にはニュースになることもあったそうだ。
朝日新聞の東岡徹記者は、必ずしも韓国寄りの記事を書いていたわけではないらしい。2014年8月9日のツイートでは、産経新聞の加藤達也ソウル支局長が朴槿恵大統領への名誉棄損の疑いで韓国の検察から出頭要請されたことについて、「やり過ぎではないかと思う」と疑問を呈していた。
ただ、韓国のPR目的だったとしても、マスコミが政治家などから物品を受け取ることについては、疑問も出ている。
朝日新聞社の広報部では、「例年、大統領名で韓国の国会議員や文化、宗教、経済界、さらに大統領府に登録している国内外の記者ら数千人に届けられています。大統領府と記者の日常的な交流の一環です」と取材に答えた。
産経新聞社にも取材したが、広報部では、韓国の大統領から贈り物を受け取っていたことについてコメントしなかった。朝日の東岡記者のツイートについて、「ご指摘のツイッターの内容が確認できませんので、回答は差し控えます」とのことだった。具体的には、ツイートが削除されていたことを指すらしい。