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ふじまりの農~テンキ 手描き屋珍道中

旅の途中できいた不思議な話と、目で見たモノ、耳で聞いたオト、鼻で嗅いだニヲイ

月は射手座の25度 その3

2016年06月06日 | 徒然、独歩



31歳の時、記憶ではないけど、眠ってた自分の半分、が戻ってきて、頭の中は大変だった。

いわゆる二重人格状態、ともちょっと違いそうだけど、しばらくは頭のなかに二人の私が同居することになった

天使と悪魔?
理性と本能?

31歳のそれなりに落ち着いた私と、眠りから醒めて間もない16歳の時そのままの、エネルギー余って毒をよくはく私とで、頭の中でしょっちゅうケンカしていた

「ここどこよ(゜Д゜≡゜Д゜)?」
「茨城だよ」
「はぁ?なんで?船橋帰りたいんですけど」

小学校中学校と千葉の船橋にいたのでこういう反応だった

通常の二重人格の人は、頭の中は一人で、それが入れ替わるかんじと聞いているのでこんなに一人芝居忙しくないと思う(笑)というのは冗談だけど

本当に多重人格の人は、周りの人もそれ以外のとこで忙しいし大変だと思う




16歳の私にとっては、本当にあの16歳当時のまま時間が止まっていた
若気の至りをしでかしそうな空回り気味のエネルギーのまま

でも身体は31歳。そこまで勢いがない(笑)



この状態はいずれ解消されるのだけど、半年くらい続いた

この天使と悪魔の会話を繰り返すのも疲れたけれど、解離症状といって、震災直後など強いショックがあったときに自分を守るために、一時的に目の前が映画を見てる時のようのに現実感がなくなる心理現象があって、熊本の地震でもなってる方まだけっこういると思うんだけど、この解離症状がつらかった

世界がすりガラスの向こうにあるというか、自分が出してるはずの手はロボットアームっぽいし、音は何だかくぐもって聞こえた

でも光はまぶしいし、見てるモノの色は濃かった

見てる景色は同じなのに親近感がない感覚が続いただけで、こんなに疲れるというのはオドロキだった

これも半年くらい続いた





もうすぐクリスマスだけどはー( ´Д`)=3どうなるんだろう私、という頃に、馴染みの高校の先輩が亡くなったと書かれた短いメールが来た


(つづく)

明石天文科学館と本物の明石の星空と

2016年06月06日 | 徒然、独歩


おばあちゃんを見送って、何日か後に妹と明石天文科学館のプラネタリウムに行ってきた

小学生だったころ毎年夏にほとんど必ず行っていた

震災でも古い機械は壊れなかったようで、見覚えのある同じ機械を使っていた

かっこよくて懐かしかった



専門知識がある人とない人が混在する客席を考慮して、星のお話をする人はとても丁寧な説明をしてくれていた

それでも私のように色々読みかじっていると「もう一歩踏み込んだ説明が欲しいなあ」と感じ、妹は「分かりやすくて大満足だった」と感激していた

私も妹も小学校の授業に対して全く同じことを言っていたので、大勢の人に説明をするというのは大変な仕事なんだよな、と思った



プラネタリウムの中でほど実際の星空は星がたくさん見えないので、実際に星空を眺めた時、説明を聞いた後なのにどの星が何だったのかいつもわからなかった

でも今回は初めて、北斗七星のしっぽを追いかけたところにオレンジ色のアークトゥルスという星がある、というのだけは覚えた

昨日の夕方、大蔵海岸で偶然フグの産卵に遭遇した後、もしかしてウミガメも産卵に着ているのかではと思い立って別の海岸へ行ってみた
(明石にはウミガメが産卵にくる海岸があるらしいと、インターネットを調べていて初めて知った。おそらくおばあちゃんも知らなかったと思う)

残念ながらウミガメは来ていなかったけれど、新月だったのでとても綺麗な星空が見えた。アークトゥルスもどれだか初めてわかった。

実際の夜空はプラネタリウムほどたくさんの星が見えはしないのに、そこに存在しているという確かな手ごたえは画像のものよりやはり大きかった

音楽が聞こえてくるみたいだった

大蔵海岸でフグ?の産卵?に遭遇

2016年06月06日 | 徒然、独歩

夕方、散歩にふらりと出てビーチでぼーっとしてて、ふと横を見たら、なんか小魚がいっぱい泳いでて、そのうち波打ち際から体出して浜に上ってきたんですわ

浜に着いたのが確か18時頃

しかも一匹とかじゃなくて、どんどん増えて来て、なんじゃこりゃ、あ、もしかして産卵?と思い至り、あわててカメラを回し出した私

https://youtu.be/oq47_z7a_PE

月は射手座の25度 その2

2016年06月03日 | 徒然、独歩
(前回からのつづき)

よくある初恋の悲惨な顛末、普通は何年かのうちに笑い話になるものを、私はうまいこと笑い話にすることができなかった

要はそれだけなのだが...

今現在はもう何とも思っていないので、思い出しても大きめの鼻くそだったなくらいにしか思ってないが、10代の難しい時期に体験した事件のショックは当時の私にはあまりに大きすぎて受け入れることができなかった

家庭の状態がお世辞にも良好とはいえなかったので、不器用だったしこころがいつも生傷だらけだった

そこへもってきての事件、を上書きするには、私のキャパはぜんぜん足りなかった

あまり思い出さないようにするしかなかった





千葉の地元中学校を卒業して東京の高校に進学したのだけれど、気がついたら、体調がだんだん悪くなっていった

満員電車で1時間半の通学中によくお腹をこわすようになった
気分がふさぎこむようになって、よく学校を休むようになった
担任の先生が気がついてくれて、1997年当時はまだ珍しかったカウンセリングというものに、行ってみるのはどうだ?とすすめてくれた

以来、心療内科にも通った

31歳になるまで15年間

結局最終的には乗馬で完治した



そして東日本大震災のすぐあと2011年4月、ちょっと外出した先の電車の中でグレーのくたびれたスーツを着た40代くらいの男の人を見かけた

明らかに他人だったけど、15年前の初恋事件の君によく似ていた

やりたくない仕事をして、笑いたくないのに笑って疲れているみたいだった

どういうわけかこんなことを思った
「私があの事にとらわれすぎずに、友達として普通に優しい言葉をかけていたら、彼はこんな風にならなかったかもしれない、謝りたい…!」



(せんでよろしい、そんなこと(笑)
謝らんでいい、ちゃぶ台返しでもしといたらよかったんじゃー(ノ-o-)ノ┫
と今の私からめいいぱいのツッコミを入れたいけれど、まあそれはおいといて)



そう思ったとたん、私を覆っていた透明で重さのないガラスのカプセルのようなものがパアンと砕け散って、破片が虹色に光りながら消えていった、ように感じた

その直後から、まわりの匂いが急に濃くなった
道端に咲いている花の色も色彩が濃くなったし、眼に飛び込んでくる光もどっと濃くなった

世界ってこんなに瑞々しくてまぶしかったのか、と驚いた

どこかで読んだ流行りの歌の詞に「きみがいない世界は色あせていて」(すごく当たってるのにまんま言うとクサい、どうしたらいいんだ…笑)っていうのがあったけど、私がさっきまでいた世界がそれかい!ってかんじだった

それまでずっと慣れていた友達に、違う雰囲気がうっすら重なっている感覚を覚えるようになって、まるで知らない人に囲まれてるみたいだった

世界が丸ごとピカピカの新品に入れ替わってしまったみたいに感じた

新鮮だったけど、はじめていった外国に長期滞在しているみたいで、だんだん疲れてきた



少したってから、これは一体何が起こったんだろうと考えた

たぶん初恋の君事件以来、こころの傷を封印した脳の一部分が使えてなかったのが、急に神経回路がつながって使えるようになったんだ

だから15年間眠ってた私の生物センサーのようなものも同時に使えるようになってこれまで感じなかったものを急に感じるようになったんだ

ということは、15年間初恋の君事件の苦しみも感じずにすんだけど、10代後半と20代全部、感動や情熱も半分の状態で生きていたんだろう

…もったいな!



そんなわけで、厳密にいうと戻ったのは「記憶」ではないのだけれど、説明するのに取っつきやすいのでいつもそう表現している


>>突然ですがここで突撃インタビューしてみたいと思います
>>いわば15年間の青春を失ったわけですが、いかがでしたか?


ええっ、そ、そうか



…ルーズソックスとか、はき忘れたーーー!(笑)



でもどっちみちはかないから、いい!




(つづく)