インド占星術で算出すると、私が生まれたとき、空では
お月さまは射手座の25度にいたらしい
射手座は、上半身が人間で下半身が馬で弓に矢をつがえたカッコの、アレです
ちなみに
太陽は双子座の14度に
金星はおうし座の23度に位置していた、と
自分の生まれた場所と時間がだいたいわかればインターネットで調べられます
JyotishTools.comのサイト上か、Google Play Store で「jyotish holoscope」で調べると無料アプリもある。便利
生まれたときに月がいた星座は、自分のルーツに深く関係があるらしい
特に女性は。
自分が生まれた時に月がいた星座で満月や新月が起こるときは、自然とツイてたり状況のリセットができたり人生が進展したりするのだそう
マイ満月、マイ新月という言葉もあるようで
先5月22日は、私が生まれた射手座でのマイ満月だった
不思議なことに、この日は生まれ故郷の神戸の海辺にいた
急に具合が悪くなったお祖母ちゃん宅に滞在中、用事で出て来ていた
お祖母ちゃん宅はお隣の明石市
東経135度の標準時子午線が通る明石市天文科学館が駅から見える
反対の海側には明石海峡大橋という、駅にしておくのはもったいないくらいの眺望
なにかのポスターに(確か手描きで)「刻の町」と書いてあった
ここのプラネタリウムを観て帰ろうと、ふと思った
インド占星術に興味を持ったのはつい最近
去年元プロでインド占星術鑑定をしていた人にたまたま観てもらったことがあって、ノーヒントでびっくりの命中率だった
よくよく考えると、惑星サイズの核エネルギーが飛行機そっちのけの速度で、空気摩擦のない真空の宇宙空間をお互いに万有引力を及ぼし合いながら、つまりお互いにひっぱりあいっこしながら移動しているのだ
空気摩擦のある地球上でだって、アメリカ大陸の蝶のひとひらが巡りめぐって日本で台風になることもあるというのだから、巨大な惑星間の運行エネルギーの狭間で生きる小さな人間が無関係で過ごせるというのも不自然な話なのかもしれない
占星術は統計学でもあるわけで、他の学問と同様、現象をどう解釈していくのかというのは扱う人次第な部分が大きそうだった
事実をどのように記述し、それに対していかに心を開いていられるかも問われるんだと思う
子どもの頃よくきたプラネタリウムでなら、神秘に対して素直にわからない、スゴイと思っていた頃の何かを身体が覚えていてくれるんじゃないかと、フッと思った
10年前の私は占いに見向きもしなかった
それが2011年の東日本大震災に引き続いて私の中でも大震災が起こり、それまで私にとっても「常識」だったことがひっくり返ってしまった
以来、何かを探していろんな場所に行った
偶然と言う名の必然だったのか、不思議な話をいっぱいきいて不思議な人にも多々遭遇した
…相手もこっちを不思議なのがいるぞと思ったことでしょう(笑)
そもそも何を探していたのかがわからなくなりかけてもう探すのはいいやと割りきりだした頃、まだまだ元気だと思っていたお祖母ちゃんの具合が急に悪くなったと知らせが入り、長期の看護をするつもりで来たら、あっという間に逝ってしまった
生きてること自体が奇跡なんだったなと、何かをひとつ思い出したような気もした
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2011年の東日本大震災の余震が落ち着いた頃、失った記憶がある日突然戻ってきた
と言うより、突如記憶が戻ってきたことで、それまでの15年間を半分失っていたことに初めて気がついたのだ
(つづく)