てっちゃんの部屋(模型で見る鉄道車両)

小学校近くに一軒のプラモデル店があった。陳列ケースの高価な鉄道模型。子供のころの夢。大人になって集めた鉄道模型の紹介。

Nゲージ 国鉄、大正の蒸気機関車 その1

2010年04月03日 | Weblog
大正時代に大活躍した代表的な蒸気機関車として、旅客用の8620形と貨物用の9600形がある。

8620形は、それまで海外から輸入されて使用されてきた蒸気機関車を、日本の蒸気機関車国産化技術の確立を目的として設計、製造された。汎用性を追求し、将来輸送量が増加した際には地方線区に転用することを考慮して設計された。「ハチロク」の愛称で親しまれた。
大正時代の標準型として1914年(大正3年)から1929年(昭和4年)の間に672両(8620 - 88651)が製造された。このほかに、樺太庁鉄道向けに15両、台湾総督府鉄道向けに43両、地方鉄道(北海道拓殖鉄道)向けに2両の同形機が製造されている。動態保存機は、梅小路蒸気機関車館に保存されている8630(無車籍)と、九州旅客鉄道(JR九州)の58654の2両が存在する。

模型は、マイクロエース社から発売された、18688である。




9600形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が1913年(大正2年)から製造した、日本で初めての本格的な国産貨物列車牽引用のテンダー式蒸気機関車である。「キューロク」の愛称で、四国を除く日本全国で長く使用された。国鉄において最後まで稼動した蒸気機関車ともなった、長命な形式である。
1913年(大正2年)を製造初年とし、1926年(大正15年)までの間に770両(9600 - 79669)が量産された。このほかに三菱大夕張鉄道、夕張鉄道、美唄鉄道の自社発注や、樺太庁鉄道、台湾総督府鉄道向けなどに断続的に同形機が生産され、最終製造年は実に1941年(昭和16年)である。戦後は北海道・九州の石炭輸送路線や米坂線など、貨物輸送量が多かったり急勾配を抱えていたりするにもかかわらず、路盤の弱い路線を中心に使用された。なお、室蘭本線にて牽引力テストが行われた際、3000トンの超重量列車の引き出しに成功している。使い勝手の良さ、レールへの粘着力、列車の牽引力において決定的な代替能力を有する機関車がなかなか開発されなかったため、古い形式でありながら蒸気機関車の末期まで残った。

模型は、マイクロエース社から発売された、49618である。




2010.04.03 N-0023


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