てっちゃんの部屋(模型で見る鉄道車両)

小学校近くに一軒のプラモデル店があった。陳列ケースの高価な鉄道模型。子供のころの夢。大人になって集めた鉄道模型の紹介。

Nゲージ 国鉄、C型大型旅客蒸気機関車

2010年04月04日 | Weblog
鉄道が発達して行く大正から昭和の初期、動力の中心は石炭を燃焼させて蒸気を作る蒸気機関車であった。技術は海外から導入した時期から、日本の純国産化に移行し、機関車も大型、高速化して行くことになる。牽引する大型機関車も時代と共に改良が重ねられ進化する。

純国産、大型高速機関車の最初は、C51である。軸配置2-C-1(パシフィック)はC59まで、動輪径1750mmは最後の大型高速旅客機関車C62まで受け継がれる。特急つばめを東京-名古屋まで機関車の付け替えなしで走行するため、水槽車ミキ10を従えたのは、今でも伝説である。

模型は、マイクロエース社から発売された。住山式給水加熱器を備えたタイプである。



↑   C51-116


蒸気機関車は、普通動輪の前方に左右1組ずつシリンダーがあり動輪を駆動するようになっている。鉄道が世界的に普及し、大型化・高速化する中でいかに大出力の機関車を開発するかが課題となると、シリンダーの数を増やしてパワーアップすることが考えられ、それが日本にも広まった。まず、アメリカから輸入した機関車8800形を導入し、純国産機を開発することになった。こうして登場したのがC53である。3シリンダー故に保守が難点で、どちらかというと短命で、C51の方が長期間主役の座にあった。C53に特筆されるのは、当時流行した流線型が存在したことである。

模型は、マイクロエース社から発売された。流線型含め3種類を購入した。


↑    前記型 C53-30


↑    流線型 C53-43


↑    後期型 C53-65



太平洋戦争に突入し、鉄道輸送は貨物が主力となった。軍事物資の輸送は、戦争に置いて最も重要となり、D51、D52が大量に製造されることになった。終戦を迎え鉄道の輸送の主体は旅客(人)に移り変わり、大量の貨物機関車が余剰になると共に、旅客機関車が必要、高性能化の必要性も増してきた。そこで、貨物機関車のボイラーを旅客機関車の下回りに乗せる案が浮上し、D52のボイラーとC59の下回りを組み合わせた機関車を製造することとなり誕生したのがC62である。そのほかに、D51のボイラーとC57の下回りを組み合わせてC61が誕生している。いずれも従台車は2軸化し、軸配置は2-C-2(ハドソン)となった。そのほか、C59の従台車を2軸化して誕生したC60もある。C62は、戦後数々の特急列車の先頭に立ったが、最後は北海道に渡り活躍した。C62の重連が牽引する急行「ニセコ」号はあまりにも有名。

模型は、マイクロエース社から発売された。ニセコのヘッドマークをとりつけている。



↑    ニセコで活躍のC62-3



2010.04.04 N-0024


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