てっちゃんの部屋(模型で見る鉄道車両)

小学校近くに一軒のプラモデル店があった。陳列ケースの高価な鉄道模型。子供のころの夢。大人になって集めた鉄道模型の紹介。

Nゲージ 国鉄、D型大型貨物蒸気機関車

2010年04月05日 | Weblog
現在でこそ鉄道は旅客中心で構成されているが、鉄道が発展して行く過程では旅客輸送もさることながら、貨物(荷物)輸送にその重点が置かれた。鉄道が普及するまでは、馬や牛に荷物を運ばせる必要があった。力(パワー)の単位は馬力(hp)と表すように、1馬力は馬一頭の力と言うことである。機関車1両が100馬力有ったとすると、馬100頭分に相当するわけであるから、貨物輸送力は飛躍的に向上することになる。従って、より重い荷物を蒸気機関車で運搬することを考えるのは当然のことでもあり、貨物用機関車の需要が高くなるのも自然の流れであった。貨物用機関車は、多くの貨物を一度に運ぶ必要から、レールとの粘着性を要求され、かつ旅客用よりは速度が遅くとも、それなりのスピードを要求されるため、動輪は片側4輪(旅客用は片側3輪)で、動輪直径は旅客用よりは小さい物とされた。鉄道の発達と、日本が経験する戦争とは密接な関係にあり、軍事物資の輸送もあって、貨物用機関車は大量に生産されるようになった。

D51型は、蒸気機関車の代名詞とも言うべき形式で、SLブーム時にはおばあちゃんでも「デコイチ」を知っていたと言われるほど有名な貨物用機関車である。国鉄で最も多く生産された機関車で、総数は1115両に及ぶ。製造数が多いため、登場時は煙突からサンドドームまでカバーで覆った、通称「ナメクジ」、「ナメクジ」の中でも、カバーの多いがキャブ(運転室)まで延びた「スーパーナメクジ」、標準型、など多彩である。デフ、煙突、燃料を重油併燃のため重油タンクをボイラー場に担いだ物まで形は多岐に渡る。

模型はマイクロエース社から発売された。D51はバリエーションが多くある。



↑   D51-78 「ナメクジ」と呼ばれるグループ


↑   D51-498 標準タイプ


↑   D51-499 門鉄デフ、重油タンク、集煙装置付き煙突など変化が多い



D61は、D51では軸重の重い線区に使用できないため、従輪を2軸にして軸重を軽くした機関車である。戦後、貨物輸送から旅客輸送へと主体が移る中、余剰となった貨物機関車の活躍場所を広げるための措置措置であった。




↑    D61-3



2010.04.05 N-0025

Nゲージ 国鉄、C型大型旅客蒸気機関車

2010年04月04日 | Weblog
鉄道が発達して行く大正から昭和の初期、動力の中心は石炭を燃焼させて蒸気を作る蒸気機関車であった。技術は海外から導入した時期から、日本の純国産化に移行し、機関車も大型、高速化して行くことになる。牽引する大型機関車も時代と共に改良が重ねられ進化する。

純国産、大型高速機関車の最初は、C51である。軸配置2-C-1(パシフィック)はC59まで、動輪径1750mmは最後の大型高速旅客機関車C62まで受け継がれる。特急つばめを東京-名古屋まで機関車の付け替えなしで走行するため、水槽車ミキ10を従えたのは、今でも伝説である。

模型は、マイクロエース社から発売された。住山式給水加熱器を備えたタイプである。



↑   C51-116


蒸気機関車は、普通動輪の前方に左右1組ずつシリンダーがあり動輪を駆動するようになっている。鉄道が世界的に普及し、大型化・高速化する中でいかに大出力の機関車を開発するかが課題となると、シリンダーの数を増やしてパワーアップすることが考えられ、それが日本にも広まった。まず、アメリカから輸入した機関車8800形を導入し、純国産機を開発することになった。こうして登場したのがC53である。3シリンダー故に保守が難点で、どちらかというと短命で、C51の方が長期間主役の座にあった。C53に特筆されるのは、当時流行した流線型が存在したことである。

模型は、マイクロエース社から発売された。流線型含め3種類を購入した。


↑    前記型 C53-30


↑    流線型 C53-43


↑    後期型 C53-65



太平洋戦争に突入し、鉄道輸送は貨物が主力となった。軍事物資の輸送は、戦争に置いて最も重要となり、D51、D52が大量に製造されることになった。終戦を迎え鉄道の輸送の主体は旅客(人)に移り変わり、大量の貨物機関車が余剰になると共に、旅客機関車が必要、高性能化の必要性も増してきた。そこで、貨物機関車のボイラーを旅客機関車の下回りに乗せる案が浮上し、D52のボイラーとC59の下回りを組み合わせた機関車を製造することとなり誕生したのがC62である。そのほかに、D51のボイラーとC57の下回りを組み合わせてC61が誕生している。いずれも従台車は2軸化し、軸配置は2-C-2(ハドソン)となった。そのほか、C59の従台車を2軸化して誕生したC60もある。C62は、戦後数々の特急列車の先頭に立ったが、最後は北海道に渡り活躍した。C62の重連が牽引する急行「ニセコ」号はあまりにも有名。

模型は、マイクロエース社から発売された。ニセコのヘッドマークをとりつけている。



↑    ニセコで活躍のC62-3



2010.04.04 N-0024

Nゲージ 国鉄、大正の蒸気機関車 その1

2010年04月03日 | Weblog
大正時代に大活躍した代表的な蒸気機関車として、旅客用の8620形と貨物用の9600形がある。

8620形は、それまで海外から輸入されて使用されてきた蒸気機関車を、日本の蒸気機関車国産化技術の確立を目的として設計、製造された。汎用性を追求し、将来輸送量が増加した際には地方線区に転用することを考慮して設計された。「ハチロク」の愛称で親しまれた。
大正時代の標準型として1914年(大正3年)から1929年(昭和4年)の間に672両(8620 - 88651)が製造された。このほかに、樺太庁鉄道向けに15両、台湾総督府鉄道向けに43両、地方鉄道(北海道拓殖鉄道)向けに2両の同形機が製造されている。動態保存機は、梅小路蒸気機関車館に保存されている8630(無車籍)と、九州旅客鉄道(JR九州)の58654の2両が存在する。

模型は、マイクロエース社から発売された、18688である。




9600形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が1913年(大正2年)から製造した、日本で初めての本格的な国産貨物列車牽引用のテンダー式蒸気機関車である。「キューロク」の愛称で、四国を除く日本全国で長く使用された。国鉄において最後まで稼動した蒸気機関車ともなった、長命な形式である。
1913年(大正2年)を製造初年とし、1926年(大正15年)までの間に770両(9600 - 79669)が量産された。このほかに三菱大夕張鉄道、夕張鉄道、美唄鉄道の自社発注や、樺太庁鉄道、台湾総督府鉄道向けなどに断続的に同形機が生産され、最終製造年は実に1941年(昭和16年)である。戦後は北海道・九州の石炭輸送路線や米坂線など、貨物輸送量が多かったり急勾配を抱えていたりするにもかかわらず、路盤の弱い路線を中心に使用された。なお、室蘭本線にて牽引力テストが行われた際、3000トンの超重量列車の引き出しに成功している。使い勝手の良さ、レールへの粘着力、列車の牽引力において決定的な代替能力を有する機関車がなかなか開発されなかったため、古い形式でありながら蒸気機関車の末期まで残った。

模型は、マイクロエース社から発売された、49618である。




2010.04.03 N-0023

Nゲージ 国鉄151系 つばめ

2010年03月30日 | Weblog
1956年(昭和31年)秋の東海道本線全線電化に伴い、東京~大阪間を6時間30分で運転する電車特急が計画され、翌1957年に完成した国鉄初の新性能電車である90系電車(後に101系に改称)のシステムを基本にして設計された特急用電車である。落成当時の形式称号は20系電車であった。1958年11月に最初に投入された列車の愛称から「こだま形」とも呼ばれる。東海道新幹線開業前の東海道本線のみならず、国鉄黄金時代を象徴する車両である。1959年の第2回鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。20系電車は、1959年の車両称号規程改正で151系電車に改称され、1962年には、上野 - 新潟間特急「とき」用に製造された派生形の161系電車が登場。1965年には、上記の2系列からの改造と新製車の仕様を統一した181系電車に発展している。1964年10月1日のダイヤ改正で120両が向日町運転所に転属したが、その運用の中には新大阪 - 博多間運転の「つばめ」「はと」も含まれており、電気機関車牽引で交流電化の九州島内へ乗り入れ、電源車のサヤ420形からサービス用電源の供給を受けられるように6編成が改造された。

模型は、マイクロエース社から発売された。編成には、交流区間の牽引機としてED73と電源車サヤ421が含まれる。マイクロエース社の思いが伝わるセットである。




↑    ED73-15(牽引機関車)


↑    サヤ420-1(電源車)


↑    クハ151-7


↑    モハ151-17


↑    モハ150-7


↑    サハ150-7


↑    サハ150-19


↑    モハ151-18


↑    モハシ150-7


↑    サシ151-7


↑    サロ150-1


↑    モロ150-7


↑    モロ151-7


↑    クロ151-9


↑    クロ151-9(運転台側から)



2010.03.30 N-0022

Nゲージ 名鉄7000系

2010年03月29日 | Weblog
名鉄7000系電車は、名古屋鉄道(名鉄)の元特急形電車で1961年(昭和36年)に日本車輌製造で製造され、名古屋本線の特急に投入され、パノラマカーの愛称で広く知られてきた。1988年(昭和63年)に1000系「パノラマSuper」が登場するまでは本系列が名鉄を代表する車両であり続けてきた。6両組成で出場しているが、将来の10両組成化を見越した設計がなされ、完成直後には実際に10両組成での試運転を実施している。しかし、登場からまもなく50年となり老朽化等のため、2009年8月30日のさよなら運転で使用された7011Fも9月15日に廃車となった。パノラマカーの始祖7000系は、登場から48年にして終焉を迎えた。小田急ロマンスカーと一見よく似た高度成長期の個性的車両がまた一つ消えていった。

模型は、トミックスから発売された。発売以来20年は優に経過している。何度か改良されているようであるが、写真の模型は発売当初の古いモデルである。2両の先頭車には同じ車番の7047が印刷されているが、古いモデルでは1形式に1車番の印刷が良くあり、1編成で同じ車番の車両が沢山連結されている光景は珍しくなかった。



↑     7047


↑     7097


↑     7092


↑     7090


↑     7091


↑     7047


2010.03.29 N-0021

Nゲージ JR貨物 EH200・EH500

2010年03月28日 | Weblog
EH200形電気機関車は、日本貨物鉄道(JR貨物)が2001年から製作する直流電気機関車である。中央本線・篠ノ井線などの勾配線区で使用されてきた EF64形基本番台の取替えを目的として開発された。粘着性能と牽引力を確保するため、EH500形と同じ2車体連結の8軸駆動(H級)とされ、これまでEF64形を重連としていた運用に単機で充当できる。外観は車体前面が 25 度 傾斜した直線基調のデザインで、外部塗色は濃淡ブルー+灰色、運転室側扉はカラシ色(黄緑色)である。愛称は一般公募により「ECO POWER ブルーサンダー」と命名された。

模型は、カトーから発売された。








EH500形電気機関車は、日本貨物鉄道(JR貨物)が1997年(平成9年)から製造する三電源方式交直流電気機関車である。愛称はEF210形の「ECO-POWER 桃太郎」と対をなす形で「ECO-POWER 金太郎」、もしくは(EH10の「マンモス」に対応して)「平成のマンモス(機関車)」と呼ばれる。本形式は、旧・日本国有鉄道(国鉄)時代に製造され東海道本線で使用されたEH10形電気機関車以来となる2車体連結・主電動機軸8軸使用のH級機である。従来、首都圏 - 函館・五稜郭駅間は 直流機 - 交流機(重連または単機)- 青函用交流機(重連)と機関車の付け替えがあり、到達時間にロスが生じていた。これを解消してJR貨物の保有機関車数を削減する目的とともに、東北地方のED75形電気機関車や、津軽海峡線のED79形電気機関車老朽取替え用として開発・製造されている。東北本線藤田 - 白石間および十三本木峠の急勾配・青函トンネルの連続勾配を走行するため、高い粘着性を軸重を増大させずに確保するためと、第二種鉄道事業者として線路保有会社に支払う線路使用料を軽減するために軸配置はHとなった。

模型はEH200と同じくカトーから発売された。








2010.03.28 N-0020

Nゲージ 国鉄EF63電気機関車

2010年03月27日 | Weblog
EF63形は、信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠専用の補助機関車として日本国有鉄道(国鉄)が設計、1962年から製造した直流電気機関車である。常に重連で用いるため前面貫通型となっている点と、傾斜したサッシ支持の前面窓、側面の通風フィルターが大きいのが外観上の特徴である。台車は電磁吸着ブレーキなどの特殊装置を持つことから本形式専用にDT125(両端用)、DT126(中間用)が設計された。本形式は横川 - 軽井沢間を通過するすべての列車と連結する特殊性から、通常の機関車とは異なり電車とも連結するため、双頭型両用連結器装備している。既に全車廃車となっているが、碓氷峠鉄道文化むらでの運転体験ができることから4両が動態保存されているほか、 静態保存ならびにカットモデルを含むと全体で12両と製造数の約半分が保存されている。

模型は、トミックスから発売された2両ユニットである。1両には動力車でもう一両は付随車である。実物と同じく双頭連結器を装備しており、連結可能である。Nゲージでここまで可能にしてくれる努力に脱帽。









2010.03.27 N-0019

Nゲージ 国鉄キハ181系

2010年03月24日 | Weblog
国鉄キハ181系気動車は、日本国有鉄道(国鉄)が開発・製造・保有した特急形気動車の1系列で、1968年から1972年までに158両が製造された。特急形気動車としてその快適性から好評を博していた、在来のキハ80系の設計コンセプトを踏襲しつつ、キハ90系試作車における大出力エンジン開発の成果を踏まえ、国鉄の量産気動車としては初の500PS級大出力エンジン搭載車となった。大出力を利して主に電化前の中央西線や奥羽本線、伯備線、あるいは土讃線など勾配区間が連続する急峻な山岳線区を中心に、特急列車用として投入された。機関出力の増大により、屋根上へ自然放熱式冷却器が搭載され独特のスタイルをしている。現在はほとんどが廃車となり、定期運用では特急「はまかぜ」のみとなった。しかしこれらも、2011年春から最高速度130km/hの性能を持つ新型気動車に置き換えが決まっている。

模型はトミックスから発売されている。編成は最もオーソドックスなキロ・キサシを含めた6両である。



↑    キハ181


↑    キハ180


↑    キロ180


↑    キサシ180


↑    キハ180


↑    キハ181



2010.03.24 N-0018

Nゲージ 国鉄キハ91系

2010年03月23日 | Weblog

キハ90系は、日本国有鉄道(国鉄)が新系列強力型気動車の試作車として設計・製造した急行形気動車である。定期列車としての運行開始後は、動力車が全て91形式を称したことからキハ91系と称された。1950年代から国鉄気動車の標準型エンジンとして使われていたDMH17系エンジンは、元々戦前に設計された150PSから180PS級の機関であり、標準型として採用後は重量の割に低出力であることが問題視されていた。1965年(昭和40年)には新型大出力エンジンの実現の目途が立ち、1966年(昭和41年)には新設計された2種類のエンジンを搭載する新系列気動車の試作が決定された。こうして開発されたのが本系列である。
性能試験は、当初房総西線で行われた。その後、名古屋に配属換えとなり、中央西線および篠ノ井線で、急行「しなの」として使用された。この試験結果を元に、キハ65形気動車や、キハ181系気動車が登場した。本系列は、キハ181系の特急「しなの」運転開始後も、中央西線で急行「きそ」として運行された。しかし、1973年7月の中央西線・篠ノ井線電化完成により、急行「きそ」は165系電車に置き換えられたため、中央西線系統での本系列による運用は終了となった。
本系列最後の運用の場となったのは高山本線で、急行「のりくら」のうち、名古屋 - 高山の1往復に充てられた。そして、1976年10月のダイヤ改正を待たず、同年9月3日を最後に運用を終了した。

模型は、マイクロエース社から発売された。



↑   キハ91-3


↑   キハ91-4


↑   キハ91-5


↑   キハ91-6


↑   キサロ90-6


↑   キハ91-7


↑   キハ91-8



2010.03.23 N-0017


Nゲージ 国鉄70系 その2(鉄コレ中央線)

2010年03月22日 | Weblog
70系が登場したのは80系2次車の登場後だったため、80系同様、前面2枚窓の湘南フェイスで登場した。車体及び座席は、70系が51系をベースに製造されたことから3扉セミクロスシートとなっているが、2等車(のちの1等車・グリーン車)は2扉クロスシートで製造された。また、湘南電車に比べて比較的乗車距離の短い横須賀線向けに製造されたことから、湘南電車80系のサロ85形とは異なり、70系の2等車は、デッキと客室との仕切なしで登場した。
70系は、基本的に同系列車のみで編成を組成することを前提とした80系とは異なり、長編成での使用を想定していなかったことや、横須賀線では32系・42系と、京阪神緩行線では51系と、中央東線では72系との混結編成が、それぞれ見られた。初期には、床や屋根が木造の半鋼製車であったが、1954年度には屋根を鋼製化、更に1957年度製造の最終グループは全金属化され、300番台を付番された。この他にも、モハ71001は国電初の全金属車として有名である。

模型は、トミーテック社から「鉄コレ」として発売された、70系中央東線の4両編成。中央東線はトンネル断面が小さいため、M車は低屋根構造としてモハ71、モハ72-850番台が製造されたが、これらをちゃんと模型化しているところがすごい。



↑    クハ75上越色とクハ76スカ色


↑    クハ76063


↑    モハ71009


↑    モハ72852


↑    クハ76036


2010.03.22 N-0016