てっちゃんの部屋(模型で見る鉄道車両)

小学校近くに一軒のプラモデル店があった。陳列ケースの高価な鉄道模型。子供のころの夢。大人になって集めた鉄道模型の紹介。

キハ58

2014年07月24日 | Weblog
高度成長期の国鉄における急行型車両の決定版というべき車両がこのキハ58である。1969年までに大量増備され、全国各地で活躍した。後年の車両は運転台が、パノラミックウインドウに変更となっている。

模型は、エンドウ製でパノラミックウインドウの後年のタイプである。



2014.07.24 HO-0012

20系客車 マニ20

2014年07月23日 | Weblog
どうしても手に入れたかった車両。少し高かったけどYAHOOオークションで落札した。
昭和33年デビューの20系客車。走るホテルとして長きにわたり活躍した。その中でもデビューと同時に登場した、荷物室付き電源車であるマニ20は、わずか3両の少数派。のちにカニ21および22が増備されたが、他の2両とは車体長が異なり18m。

模型はカツミ製。わずか3両ながら模型化するところはさすがに老鋪。


2014.07.23 HO-0011

阪急京都線 京トレイン

2014年07月21日 | Weblog
9300系の登場によって、特急運用から引退した6300系であったが、再び脚光を浴びる嵐山行き京トレインでの復活。
近年の阪急電車は塗色こそ昔のままだが、運転台回りのデザインは大きく変化してきた。しかし、6300系は昔の面影を残す車両であり、50代を過ぎた世代から見ると哀愁が残る。
この京トレインは、車体に金銀の扇子が描かれていかにも「京」という趣と気品がある。この車両が、トミーテックの鉄コレとして阪急から発売された。定価は8500円。6両セットで8500円はお安い!!






2014.07.21 N-0032

近鉄奈良線 900系・8000系

2014年07月20日 | Weblog
このところ、Nゲージにおいては、近鉄電車の模型化がすごい。近鉄ファンにとっては、よだれが出るほどうれしいのだが、財布の中が心配される。とはいっても、ファンにとってはどうにかして手に入れたいものである。
およそ2年前から、マイクロエースを軸に近鉄8000系列が模型化されているのでもれなく入手をした。

左から、旧2色塗装(ラインデリア冷房改造)、現在2色塗装(同左)、マルーン(ラインデリア)、クリーム・青帯(ラインデリア登場時)、900系
900系は鉄コレ(トミーテック製)、その他はすべて8000系(マイクロエース製)


異なる角度から


上面から。同じ8000系(900系)でも、初期ベンチレーター車からラインデリア車に移行、さらに冷房改造と高度成長時代の変革と同じくして、現在では考えられぬほど変化の多かった車両たち。個性豊かで興味が尽きない。


昭和48年から登場した広義の8000系決定版である8600系。これらの車両も間もなく登場から40年を迎えることとなり、変革が激しい。この編成は、8605編成。客窓は大型化され中央の桟は撤去された。模型では動力付き。


この編成は、8607編成。8605編成と同じく窓の残は撤去された車両。模型では動力なし。


こちらは、8608編成。窓の桟は残っている。


8000系統ではないが、8608編成にセットされて販売されている、9020系(9039編成)

かつて、エンドウ模型より発売された8800系から30数年を経て、広義の8000系がいろんなメーカーからラインナップされた。あわよくば、運転台撤去後の編成や、MM’改造された編成の模型化を望みたい・

2014.07.20 N-0031


485系

2014年07月20日 | Weblog
交直流用特急車両である。交直流用車両の誕生の理由は、475系と同様である。181系こだま型特急車を交直流車両にモディファイしたものである。初期車は、こだま型と同じボンネット型の先頭車であるが、後期型はデザインが変更されている。

クハ485 制御車 (エンドウ模型製)重量感があってかっこいい。

2014.07.20 HO-0010



457系

2014年07月20日 | Weblog
交流地区の急行用車両として、50/60Hz共用が可能な、最終完成型車両。もちろん、直流区間とも直通運転ができれば意味がないため、交直流電車である。国鉄は首都圏、京阪神圏より順次直流電化を推進してきたが、日本列島全線の近代化と高速運転には電化が欠かせない。しかし、ローカル線の電化を直流で進めるためには、地上設備のコストパフォーマンスが悪いため交流電化を進めることとした。また、日本は50Hz地域と60Hz地域が存在するため、直流・50Hz・60Hzを直通運転できる車両が必要となる。そのため紆余曲折を経て3電源地域直通運転可能な車両の登場となった。これらの電車は、特急用、急行用、近郊用の3タイプが用意され、高度成長時代の日本の鉄道輸送を担った。

クモハ455 制御電動車


クモハ457 と モハ456  クモハ457は上記の車両とは違う車両

2014.07.20 HO-0009

近鉄ビスタカー 10100系

2014年07月20日 | Weblog
正真正銘のHOサイズ。かつてプレスアイゼンバーンから発売された近鉄ビスタカー10100系A編成をオークションで落札。超美品!!
すでに、B・C編成は持っていたので、これで、A・B・Cの3編成がそろった。
昭和34年デビュー。昭和53年ビスタカー3代目となる、30000系のデビューとともに、A・B・C、3重連運転(V9)を花道に翌年引退した。
3車体連節構造の一体感あるボディーラインを持った、日本の鉄道史上、トップレベルの名車である。

モ10100 大坂方の先頭車でパンタを2基搭載している。A編成は流線型をしている。


モ10300 伊勢方の先頭車でこちらはパンタは搭載していない。A編成は貫通型(半流線型)をしている。


中間に挟まっている2階建て車両は、サ10200。


10100系ビスタカーは、連節構造であるから3両で、4台車。すべての台車はモーター駆動され、連続勾配の続く青山峠も100km/hの高速運転を実現できた最初の新性能特急専用車として、以後の近鉄特急車両の礎を築いた車両でもある・

2014.07.20 HO-0008

近鉄 8000系 マルーン色

2013年06月02日 | Weblog
8000系は近鉄奈良線の高性能車で高度成長時代に大量に投入されました。製造時期が長く、ベンチレーター車からラインデリア車まで含まれています。他線では系列が変わったにもかかわらず、8000系だけは同じ系列で製造が続きました。
このタイプは、屋根上にラインデリアが搭載されたグループです。
4連は、2連Mc-Tcで登場した後中間車T-Mを挿入して4連化された編成で、Mc-Tcは金属バネ台車、T-Mは空気バネ台車をはいています。
2連は登場当初より、Mc-Tcの2連でこちらは空気バネ台車で登場しました。
登場当初は奈良線は架線電圧が600Vであったたのとパンタシューが安価なカーボンであったため、Mc、M車にパンタグラフを2基搭載していましたが、昇圧後パンタは1基になりました。

模型は、マイクロエース社のマルーン色です。
模型は、パンタ撤去後を再現しています。
なお、パンタ用碍子が残っているところまで再現しているところを見れば、相当マニアックに仕上がっています。


2連のMc モ8000 8074(空気バネ台車)



2連のTc ク8500 8574(空気バネ台車)



4連のMc モ8000 8063(金属バネ台車)



4連のT サ8710 8713(空気バネ台車)



4連のM モ8210 8213(空気バネ台車)



4連のTc ク8500 8563(金属バネ台車)



2013.06.02 N-0030

Nゲージ C型蒸気機関車

2010年04月08日 | Weblog
C50型蒸気機関車
車軸配置2-6-0 (1C) 型の機関車で、1929年(昭和4年)から1933年(昭和8年)の間に154両が製造された。8620形をベースに、空気ブレーキと給水加熱器を標準装備して近代化を図ったが、反面8620形で採用された島式心向キ台車(先輪と第1動輪を一体化して、第1動輪に横動を与える方式)は採用されず、エコノミー式となり曲線通過性能はその分低下した。また、装備が増えた分、重量が増加し、牽引力は若干増したが、軸重が大きくなり、8620形ほどの汎用性は失われた。

模型は、カトー社が発売した。ナンバープレートは、取り付けていない。




C54型蒸気機関車
1928年(昭和3年)で製造終了となったC51形の後継機であるC53形は、軸重が大きく幹線のみにしか投入できないため、亜幹線用としてC51形の近代化後継機として開発された。当時は、冶金技術の向上等によりボイラー性能も向上した時期で、その成果を採用し使用蒸気圧力を13kg/cm²→14kg/cm²と高めた。その結果、C51形と同等性能としてもシリンダー直径を狭めることが可能となり、併せて全体的に軽量化されている。また、日本の機関車としては初めて除煙板(デフレクター)を新製当初から装備するようになった。大正の面影を残した機関車である。

模型は、マイクロエース社が発売したC54-9である。





C58蒸気機関車
ローカル線用の客貨兼用過熱式テンダー式蒸気機関車で、8620形と9600形の共通の後継機として設計され、1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)にかけて、427両が製造された。愛称はシゴハチである。

模型は、マイクロエース社が発売したC58-296である。




2010.04.10 N-0029

Nゲージ 国鉄、勾配補機蒸気機関車

2010年04月06日 | Weblog
日本は細長い国土の中央に山岳地帯が存在する平地の少ない海に囲まれた国である。日本海側と太平洋側を鉄道で結ぶには、長く続く勾配、トンネル、鉄橋などを経て漸く完成される。場所によっては険しい山岳地帯に長く続く急勾配が存在し、平地を走る機関車のみでは走行できない場所が存在した。このようなときには、機関車を2台(重連)もしくは3台連結(3重連)し運行した。同じ機関車を連結する場合も有れば、勾配区間専用の機関車を用意して運行する場合もあった。

4110型機関車は、1899年奥羽本線、福島・米沢間のうち、庭坂・米沢間の連続急勾配区間用のドイツからの輸入車4100型の改良・国産版として動輪5軸で登場し、奥羽本線、肥薩線(当時は鹿児島本線)人吉・吉松間などで活躍した。炭水車のないタンク機関車である。長い間活躍した後、奥羽本線ではE10に置き換え、肥薩線ではD51の重連に置き換えられ、一部は美唄鉄道等に譲渡され余生を送った。

模型はマイクロエース社から発売された。模型のプロトタイプは、美唄鉄道の4号機である。






E10形機関車は、奥羽本線の4110型の置き換えを目的に、D52のボイラーと動輪5軸の超大型機関車として昭和23年に登場した。しかし、超大型の機関車は、思ったほどの性能が得られないばかりか、曲線の通過性能が悪く、更に奥羽本線の交流電化も相まって、肥薩線、北陸本線(倶利伽羅峠越え)を経て、本来の性能を発揮するのではなく、北陸本線(米原-田町)間の非電化区間の牽引車として余生を送り、昭和37年に廃車となった。登場わずか14年の短命の機関車であった。なお、タンク機関車で運転台は通常のボイラ側でなく石炭槽側となる。

模型は、マイクロエース社から発売された、E10-1である。







2010.04.06 N-0026