岩室観音堂は弘法大使が岩窟を選んで高さ一尺一寸(36.4cm)の観音像を彫刻してこの岩窟に納めその名前を岩室山と号したと伝えられる。松山城主が代々信仰し護持したと伝えられており、天正18年(1590年)豊臣秀吉が関東に出陣した際に松山城落城に伴い建物のすべてが焼失したと言われている。現在のお堂は江戸時代の寛文年間(1601年~1673年)に龍性院第三世堯音が近郊の信者の助力を得て再建したものと伝 . . . 本文を読む
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