富士フォトガイド

 いつまでつづくやら

東泉院発掘

2007-06-27 08:02:00 | 遺跡発掘











東泉院は富士郡下方五社別当職を世襲していた。三日市場富知六所浅間神社、滝川神社、今宮浅間神社、入山瀬浅間神社、今泉日吉神社の五社です。別当職は五つの神社を管轄する代表者としての権限を握っていた。今川義元によって五社別当職を安堵された東泉院住持は大納言と名乗っていますが、この大納言は富士山村山興法寺(現在の富士宮市村山浅間神社)の有力な衆徒である大鏡坊頼秀の息子でした。
徳川幕府により百九十二石が安堵され地域の中で領主でした。それ以前の東泉院については、六所家敷地内の発掘調査の成果を待たなければならない。「NHK大河ドラマ山本勘助で出てくる善得寺城跡の可能性もあるとされている」

佐原江戸文化

2007-06-22 16:21:14 | 風景

観光化された水郷の建築物


江戸中期より利根川の水運で栄えた佐原には水郷の自然と永い伝統の中で生まれた歳時記がある。


豪商の面影を残す堅固な蔵。


昼時、蕎麦屋に並ぶ観光客


すっぴん屋の前を日傘をさして通るおばさん。


町並み観光案内所の館内。民芸や文化財、祭り行事など観光案内がならぶ。



佐原で最も古い起源を持つ香取神宮。境内で桜祭り、お田植祭、神幸祭、菊花大会、新嘗祭,大響祭、元旦祭、節分祭が行われる。

香取市商工観光課より。佐原は昔「天領}だった。今は「水郷の小江戸」と呼ばれている。そこで旦那衆と呼ばれる豪商達による、まさに住民自治が行われていた。利根川水運の隆盛と共に、彼らの自主性に富んだ精神と豊富な資金に支えられ、
多くの職人衆が江戸から佐原に呼び寄せられるようになった。江戸の職人衆の技と
佐原の旦那衆の粋。この交流により、佐原には江戸に優るとも劣らない伝統、文化、「江戸優り文化」が花開いた。土蔵造りの商家が並ぶ小野川地区は平成八年に重要伝統的建造物保存地区に選定された。こうした町並みは江戸の趣を今に伝えている。





佐原花菖蒲

2007-06-18 21:10:50 | 風景







目立たない外れに咲いていた睡蓮たち。








和舟の笛や太鼓のお囃子を撮ろうと集まったカメラマン。


園内の水路を遊覧するお客さん。



水郷佐原水生植物園は水郷筑波国定公園に位置し、水郷地帯の面影を表現し、接してもらう観光、レクレーション施設として昭和44年に開園しました。約6haの園内ではアヤメの仲間とハスを中心に水辺の植物が栽培され東洋一のハナショウブ園です。

吉原祇園祭

2007-06-12 21:34:20 | 行事 祭り


























静岡県岳南地区に夏の到来を告げる「吉原祇園祭」が九、十日吉原本町通り周辺で祭典された。勇壮な二十一の山車が登場し吉原つ子たちがお囃子を鳴り響かせた。
会場一帯は午後から交通規制が行われ、山車の引き回しが行われたほか、威勢のいい女みこしなどが繰りひろげられ、露店も軒を連ねて、多くの人でにぎわつた。
吉原祇園祭は富士市を代表する伝統行事の一つ。「東海一」とも称され、ルーツは平安時代初期に京の都で大流行した疫病追放、悪霊退散の御霊会(ごりょうえ)とされ、江戸時代から続いてると言われる。山車がすれ違う際には「競り合い」と呼ばれる太鼓のたたき合いが行われ、祭りムードを盛り上げた。

可睡ゆり園

2007-06-07 17:30:28 | 風景



































十余年ぶりに袋井可睡ゆり園に行ました。ゆりの原産は世界に96種分布しています。内訳はアジア59種,北
アメリカ25種ヨーロッパ12種で日本には15種が自生してます。そのうち日本だけのものは、オトメユリ、ササユリ、ウケユリ、イワトユリ、タモトユリ、ヤマユリ、サクユリ。7種です。他の国でも見られるものにテッポウユリ、ヒメユリ、エゾスカシ、スゲユリ、コオニユリ、オニユリ、クルマユリ、カノコユリ、があります。最近では原種に改良を加えて鑑賞価値を高めた園芸品種が数多く育成されてます。ゆり園は各エリアに分かれ、カサブランカの咲く小径は甘い香りに満ちて木漏れ日に咲く森の妖精たちが迎えてくれた、


旭光に映える富士

2007-06-02 15:08:10 | 富士山

仰げば尊しわが師の富士、旭が富士を照らし山間にも光が廻り始めた 



 日陰の森の彼方に雄大な美景を見せる富士 



 やぶきた茶を手前に配し淡い流れ雲が秀峰富士を引き立てる 


容姿端麗富士、三条の淡い絹雲が好く似合う 


里山の原風景、朝露の冷気が爽やかに辺りを包む