今、秋田県知事の佐竹氏のルーツを探ると茨木県常陸太田市になります。
佐竹氏は、ここから水戸へ出て、江戸時代まで続きましたが、
関ヶ原の合戦で日より見な態度が
徳川家康の怒りを買い、
秋田に移封されてしまい、現在に至っているということになります。
佐竹は石田三成と仲が良く、
秋田の久保田城には三成から送られた手水鉢があるくらいです。
佐竹城は関東7名城の一つに挙げられています。
関東7名城とは、
水戸城、厩橋(前橋城)、宇都宮城、忍城、唐沢山城、金山城、箕輪城、佐竹城
のことでです。
水戸城の復元された大手門と二の丸隅櫓を見るために水戸を訪れたついでに
佐竹(舞鶴)城まで、足を伸ばしてみました。
ここは太田小学校の敷地内です。
この一帯の山が太田城であったところであったとみてよさそうです。
付近にある佐竹氏の氏神若宮八幡宮と
そこから見える景色です。
いかにもお城の上から下界を見下ろしたように見えます。
そして、いよいよ水戸に向かいます。
駅を降りれば水戸黄門と助さん、格さんが迎えてくれます。
それに、この風景が加わりました。
二の丸隅櫓です。
そして、元お濠の道路の道路に沿って進みます。
右の階段を上ると
復元成った大手門が目に飛び込んできました。
今から5年前の
工事中のこの姿を見ているだけに感動もひとしおです。
それに、城郭検定試験の会場で問題を通して初めて出会った、
瓦塀とご対面になりました。
土塁と門とを繋ぐ役割を果たしているそうです。
城郭検定から発生されるメッセージには、傾聴に値するものがあります。
復元された二の丸角櫓に向かいます。
アプローチが素晴らしい。哲学の道を行くようです。
さすが御三家を受け継ごうとする水戸の市民の心意気を感じることができました。
ご紹介いただき嬉しい限りです。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。水戸市の復元の充実ぶりに敬意を表します。
本当にあの日か思い出されます。あの鰻屋は店を閉じていました。
私のブログにいいねをつけてくださったので、こちらの記事を読むことができました!
佐竹氏、鎌倉時代には頼朝に倒されていましたね。
江戸時代も佐竹氏はいらしたのですね。
お勉強になりました。
ありがとうございます♪
コメントありがとうございます。佐竹氏は鎌倉時代から現代まで、永々と続いています。