11月14日に第19回城郭検定は終了しました。
検定を受けた方お疲れ様でした。
解答が公開され、自己採点をした方も多いことと思います。
(https://www.kentei-uketsuke.com/shiro/)
当日、2級を受けた知人から問題を見せてもらいました。
何と、何と
わたしがこのブログで取り上げた
石火打町ふるさと村(備中松山城)
南蛮たたき塀(名古屋城西の丸北)
おかこい山(中津城)
第19回城郭検定 直前対策 ふうちゃんのお城ブログ臨時号 - ふうちゃんのお城ブログ (goo.ne.jp)
この3問とも第19回城郭検定2級で出題されていました。
わたしは予想屋をしたつもりはありませんが、驚きです。
もし、このブログを読んでから検定を受けた方がいらっしゃったら
嬉しい限りです。
わたしも、やる気になります。
もっとも来年になって6月の試験の前に書けばよいのかもしれませんが、
わたしが第19回の問題を見て、ハッとした3題を挙げてみます。
戊辰戦争で藩士ら45名で結成された「凌霜隊」が会津若松城籠城戦に
参加したとして松ノ丸に顕彰碑がある城はどこか。
1 郡上八幡城 2 大垣城 3 白石城 4 高田城
まったく、見当もつきません。
お手上げです。
答えは1 郡上八幡城なのです。
郡上八幡城へは行ったことがあるのですが、
郡上八幡城の案内図をカメラのファイルから取り出してみました。
天守の左側に凌霜の森と凌霜隊の碑があります。
この時は見ようとする意識がなかったことがわかります。
完全に見逃しです。
次回の課題です。
岐阜の郡上八幡から会津若松までよく行ったものです。
戊辰戦争には白虎隊や二本松少年隊の他にも
まだまだ私たちの知らない歴史があることが分かります。
次の問題です。
明治の廃城令で存城処分になった現存天守はどれか。
1 犬山城 2 丸亀城 3 丸岡城 4 松本城
正解は 2 丸亀城です。
これも難しいです。1級並みの問題かも知れません。
明治維新になっととき、お城は廃藩置県(明治4年・1871)を期に
いったん陸軍省のものになりました。
そして、明治6年(1873)の廃城令によって、
お城の土地建物は、
1 存城処分 陸軍が軍用の財産として使用する(陸軍省所管の行政財産)
丸亀城(明治10年櫓、塀などは順次取り壊されたが、旧藩士からの嘆願で天守と大手門が破却をまにがれた)
2 廃城処分 大蔵省へと引き渡し普通財産としてに所管替えし売却用財産として処分する。
犬山城(天守以外取り壊し、明治24年濃尾地震で天守が半壊したが、修復を条件に旧藩主の成瀬家に譲渡された。)
丸岡城(天守は大蔵省により競売にかけられ落札されたが、町民の尽力により買い戻された。)
となったのです。
松本城は廃城令の1年前明治5年売却され、天守は取り壊されそうになりましたが、
明治8年市川量造が博覧会を開くなど資金を集め買い戻しました。
今残る天守は紆余曲折があり、現存していることがわかります。
よく残ってくれましたね。
3問目です。
昔から多くの水害に見舞われた天守石垣西に、
「明治二十九年大洪水」という石碑が建てられているのはどこの城か。
1 高岡城 2 大垣城 3 人吉城 4 八代城
正解は 2大垣城です。
昔から多くの水害に気付けばいいのですが、
昨年水害にあった「人吉城かな」、なんて考えてしまいました。
濃尾平野、輪中の水害を指しているのです。
大垣城の石垣に記しが付いているところがあるのですが、
全く気がつきませんでした。
これも、次回への課題です。
おまけの1問です。
みなさんこの問題にどう答えますか。
わたしは、正解を見て「うそー!」と言いました。
文禄・慶長の役で築かれた名護屋城の周辺には全国から参陣した大名の陣屋が多数造られた。
現在確認されている陣屋はいくつか。
1 約80 2 約100 3 約130 4 約150
何と、正解が、 4 約150となっていたのです。
わたしは、てっきり約130と思っていました。
早速、名護屋博物館のHPを調べました。
すると、現在150あまりが確認されていると出ていまた。
詳しい経緯はわかりませんが、発掘調査が進んだのでしょう。
歴史は変わります。そのことに改めて気付きました。
城郭ウオッチングの課題も次々に出てきました。
だから、お城巡りは止められません。
「当館が名護屋城跡や陣跡の調査を引き続き行い、陣跡の踏査調査を行ってきました。
また、平成24年(2012)~28年(2016)は佐賀県教育委員会が佐賀県中近世城館跡緊急分布調査として、名護屋城周辺の陣跡調査を実施しました。その結果、現在までに土塁や石塁・石垣などで構成された様々な陣跡を150カ所あまり確認しています。そのため当館の展覧会図録やホームページ等で陣跡数を150あまりとで記載しているところです。」