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誰も知らない認知症;脳のはたらき(知的機能)からみた老人性認知症の予防と介護

老人性認知症の確実な予防方法と認知症高齢者の適切な介護方法をシリーズで解説します。

90 お休み中です(1)

2020-11-01 09:09:51 | 日記

 ブログ「誰も知らない認知症」は しばらく「お休み中」です。

 ご意見やご質問、コメントなどをお待ちしています。

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  ※ 本態性老年期認知症(老化廃用型認知症)の提唱者である
    金子満男先生(元浜松医療センター副院長)が病気療養中
    のところ10月18日に85歳にて永眠されたとの訃報が
    先日ご遺族から届きました。

     金子満男先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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87 心(こころ)とは何か/心の定義

2020-07-15 18:33:26 | 日記
 心理学の領域では「心(こころ)の定義」はない、つまり「心とは何か」を定義していないようです。誰もが承認するような言葉で「心」を言い表し、定義することは心理学者にとっても難しいことなのでしょう。今回のブログでは「心(こころ)とは何か」について考究し、「心の定義」に言及してみることにします。

 「心とは何か」を言葉で説明したり記述したりすること、ましてや「心」を定義することはかなりの難題であることは覚悟しています。そこで、取り敢えず「心」についてウェブ検索をしてみると
 「人間の精神作用のもとになるもの。また、その作用。知識・感情・意思の総体。」(広辞苑)、
 「いわゆる感覚、知覚および知・情・意の働き、ないしはその座をいう。」(日本大百科全書)、
 「知、情、意によって代表される人間の精神作用の総体、もしくはその中心にあるもの。」(世界大百科事典)
などの記述がみられました。
 また、ウェブ検索の定番である「ウィキペディア(Wikipedia)」の冒頭には「心(こころ)は非常に多義的・抽象的な概念であり、文脈に応じて多様な意味を持つ言葉であり、人間(や生き物)の精神的な作用や、それのもとになるものなどを指し、感情、意思、知識、思いやり、情などを含みつつ指している」と記述されていました。
 このような(言葉を用いた表現の)「教科書」を目にすると「心とは何か」を理解したつもりになってしまいがちですが、今回は何か消化不良のような違和感が残り、「心(こころ)とは何か/心の定義」について自分なりの言葉で書き述べてみようという気持ちになってしまいました。

 そして、しばらく悶々と考えを巡らしたところ、上記の「心とは何か」の記述において「脳」という言葉が全く用いられていないことがこの違和感の理由ではないだろうかと思い付きました。上記の「心」についての記述を再読すると「精神」「知識」「感情」「意思」「感覚」「知覚」「知」「情」「意」「思いやり」などの言葉(用語)を抽出することができますが、これらの「心」を説明する言葉(用語)は「実体がないもの」つまり「抽象的な概念」です。また、「心」という言葉(用語)も「実体がないもの」つまり「抽象的な概念」です。したがって、「実体がないもの」(心)を「実体がないもの」(精神、感情、意思など)で説明しようとすればするほど、言葉遊びという表現は言い過ぎだとしても、誰もが承認できるような「心」の定義を導き出すことは益々困難になっていくのではないかと考えました。
 一方、「脳」は「実体のあるもの」であり、「心=脳」という考え方には賛同できないとしても、「心とは脳のはたらきである」という考え方は多くの方々に支持されています。そのような意味において、「心」(実体がないもの)を「脳」(実体があるもの)で説明することが、「心とは何か」を説明し、「心(こころ)の定義」に言及するための最も適切なアプローチであると思われました。つまり、このブログの今回のテーマは「脳のはたらき」から「心とは何か」を説明し、「心(こころ)の定義」に言及していく試みであると理解していただければ幸いです。

 「心」を説明する用語、あるいは「心」に関連する用語は数多くありますが、類似する用語や対比できる用語を整理しながら、その一部を以下に列記してみたいと思います。
 ・「心」「精神」「気持ち」
 ・「知」「情」「意」
 ・「心」「意」「気」
 ・「感情」「情動」「気分」
 ・「理性」「感性」「知性」
 上記以外にも「意思・意志」「知識・意識」「知覚・感覚」などの様々な用語(言葉や概念)が湧き出てきます。そして、これらの(実体がない)用語を理解したり説明したりする場合にも(実体がある)「脳」という言葉を用いることが適切ではないかと思われます。このブログ「誰も知らない認知症」では、これまでにも「心・意・気」や「感情・情動・気分」などの「実体がないもの」を「脳」という「実体があるもの」で説明する試みを続けてきました。特に「知られざる脳」である「大脳辺縁系」をテーマにしたブログ「48 大脳辺縁系/情動機能〔2018/12/12〕」は、これまで多数の読者の方々に閲覧していただき大変嬉しく思っています。



 そこで、今回のブログのテーマである「心(こころ)の定義」に言及する前に、「心とは脳のはたらきである」という考え方の「脳のはたらき」という言葉(用語)について、このブログで説明してきた内容を再確認しておきたいと思います。一般的な考え方はともかく、老人性認知症に本質的な病態を考究してきたこのブログ「誰も知らない認知症」では「脳のはたらき」を「知的機能」と言い表しています。
 そして、ヒト(人間)における「知的機能」の進化と退行に言及しながら、ヒト(人間)の「知的機能」を構成する3要素として「統合機能」「認知機能」「情動機能」を位置付け、それぞれの機能を担う「脳」の領域が「前頭葉」「大脳後半部/左脳・右脳」「大脳辺縁系」であることを解説してきました。また、前頭葉が担う統合機能を「意」、左脳と右脳が担う認知機能を「知」、大脳辺縁系が担う情動機能を「情」と端的に表現し、ヒト(人間)の「知的機能」は「意」「知」「情」のネットワークとして機能していることを詳しく説明してきました。



 これらの詳細については、以下に列記するこのブログのバックナンバーを参照していただければ幸いです。
・02 知的機能(1)〔2018/05/01〕
・03 知的機能(2)〔2018/05/07〕
・04 知的機能(3)〔2018/05/09〕
・41 脳は「1つの脳」(重要)〔2018/11/07〕
・42 再び「知的機能」(重要)〔2018/11/09〕
・43 前頭葉と「心」「意」「気」〔2018/11/10〕
・44 こころの知能指数 〔2018/11/12〕
・45 左脳と右脳 〔2018/11/21〕
・47 理性と感性 〔2018/12/05〕
・48 大脳辺縁系/情動機能 〔2018/12/12〕
・49 情動/感情/気分 〔2018/12/19〕

 さて、そろそろ今回のブログのテーマである「心(こころ)の定義」に言及したいと思います。このブログでは「知」「情」「意」のネットワークが「心」を「創発」しているのではと考えてきました。つまり、「いのち」が「もの」から「創発」されるように「心」は「脳」から「創発」される産物ではないかと考えてきました( 参照; 43 前頭葉と「心」「意」「気」〔18/11/10〕 )。



 したがって、「心」とは「脳」ではなく、「心」とは「脳のはたらき(知的機能)が創発した産物」である、というのがこのブログの基本的な考え方なのです。つまり「心とは何か」の説明、そして「心」(こころ)の定義として、以下に列記する幾つかの表現を提案したいと思います。
 ・「心」(こころ)とは、ヒト(人間)の「脳」の産物である
 ・「心」(こころ)とは、ヒト(人間)の「知的機能」の産物である
 ・「心」(こころ)とは、「前頭葉」「大脳後半部/左脳・右脳」「大脳辺縁系」のネットワークの産物である
 ・「心」(こころ)とは、「統合機能」「認知機能」「情動機能」のネットワークの産物である
 ・「心」(こころ)とは、「知」「情」「意」のネットワークの産物である

 今回のブログのテーマである「心とは何か」、つまり「心」(こころ)の説明や定義としてどの表現が最も適切であるのか、という結論は、このブログの賢明な読者の方々に委ねることにしたいと思います。
 最後に、このブログの内容は心理学や精神医学、脳科学などの「専門家」が解説している内容ではなく、何処にでもいるような介護老人保健施設の医師が勝手気儘に神経心理学もどきの妄想を書き述べていることをご了承下さるようお願いします。

 科学としての物理学は、「宇宙」の謎を、抽象的な概念ではなく、「数式」で解き明かしてきました。科学としての心理学や精神医学は、「心」の謎を、抽象的な概念ではなく、「どのような方法」で解き明かすことができるのか、「心」から期待しています。




86 説明と同意(2)

2020-06-14 09:22:13 | 日記
(前回のブログから続く)

 受容とは「相手の意思を相手の言葉や動作、表情などで(そのまま)受け止めること」であり、共感とは「相手の意思を相手の言葉や動作、表情などで(そのまま)伝え返すこと」です。共感できない意思であったとしても、その場、その時には一先ず受容し、否定も肯定もせずに演技(介護技術)としての言葉や動作などでそのまま伝え返すことが受容的共感的対応の基本です。
 例えば「家に帰りたい」という認知症高齢者の「本人の意思」に対しては「家に帰りたいのですね」「家に帰りたいと思っているのですね」など、本人の意思を尊重する言葉をそのまま伝え返す言い方(対応)が適切であり、家に帰れない理由をあれこれ説明することはむしろ逆効果なのです。また、いつも入浴を拒否する認知症高齢者に対しては、「お風呂に入って下さい」や「お風呂に入ってもらわないと困ります」「何日もお風呂に入らないと汚いでしょ」など、「依頼」や「命令」「説教」のような言い方よりも、「お風呂に行きましょうか、さっぱりしますよ」「お風呂に入ってみませんか」「お風呂に入っていただけませんか」など、「誘い」や「提案」「お願い」のような言い方のほうが適切なのです。それでも入浴への同意が得られない場合には、しばらくしてから再びアプローチすれば良いと思います。

 脳のはたらき(知的機能)の視点から分析すると「指示」や「命令」「叱責」は「不快の情動」を惹き起こしやすく、拒否や抵抗、反発などの言動(回避行為や攻撃行為)をもたらします。そして、記憶障害が進行している認知症高齢者においても、特に強い不快感を伴う「不快の情動」や反復する「不快の情動」は(言葉や論理では説明できない)強い記憶として残り続けるのです。
 したがって、「不快の情動」を惹き起こしやすいアプローチ(言い方や態度、表情など)は少しでも避けることが賢明です。逆に、少しでも「快の情動」を惹き起こしやすいアプローチを反復し、「馴染みの関係」「馴染みの環境」「馴染みの日常生活」などの「なじみの場づくり」を進めていくことが大切です。このような「なじみの場」においては、介護に必要な様々な行為(直接行為)における「説明と同意」は「阿吽の呼吸」で行われることが多く、拒否や抵抗、反発などがある場合には何らかの心身の変調に気付くことのできるので、配慮が行き届いたき介護にも繋がるのではないかと思われます。

 一方、前回のブログで「説明は論理が100%、感情が0%であるのに対して、説得は論理が40%、感情が60%であるとイメージすれば良い。」「説得の本質とは『わからせる』ことであり、納得のそれは『わかる』こと」という記述をご紹介しましたが、説得の際の「感情」について付記しておきたいと思います。
 それは、説得する側の感情が「怒」の感情ではないことが大前提だということです。説得する側と説得される側の双方において、「怒」「哀」「憎」の感情は「不快の情動」を惹き起こし、「喜」「楽」「愛」の感情は「快の情動」を惹き起こします。したがって、説得する側(介護する側)は、説得される側(介護される側)に対する「怒」「哀」「憎」の感情を持たないこと、(介護者も人間ですから)持っていたとしても説得される側(介護される側)に決して感じさせないような介護技術(演技)が求められるのです。つまり、「快の情動」を惹き起こすことはできなくても、「不快の情動」だけは決して惹き起こすことがないように十分配慮することが「同意を得るための説得」あるいは「同意が得られやすい説得」を行うための重要なポイントであると考えられます。



 冗長で理屈っぽいブログになってしまったことを反省していますが、最後に今回のブログのテーマである「説明と同意」について「意思能力の程度に応じた説明と同意」つまり「知的機能の障害の程度に応じた説明と同意」に言及しておきたいと思います。
 このブログでは認知症高齢者(老化廃用型認知症)における知的機能の障害の進行度を「正常;年齢相応」を含めて「初発期;小ボケ」「境界期;中ボケ」「進行期;大ボケ」の4段階に分類していますが、「知的機能の障害の程度に応じた説明と同意」を実践するためには、認知症高齢者が「初発期」「境界期」「進行期」のどのレベルであるのかを的確に評価することが大切です。そして、「初発期」から「境界期」「進行期」へと進行すればするほど「説明」よりも「説得」「納得」を重視する対応を心掛けることがポイントであり、その際には「性格」や「生活歴」にも十分配慮する必要があることを強調しておきたいと思います。



(追伸)
 他人に対する悪口を避けることだけでなく、批判や皮肉、愚痴などは避けようと心掛けてはいるのですが、「認知がある」とか「認知がひどい」という言葉と同様、介護施設などで日常的に耳にする「お風呂に連れていく」という何気ない言葉に抵抗を感じ続けています。できれば「お風呂に案内する」と言っていただきたいと思っています、ささやかな拘りですが。