先日「認知症?になった長谷川和夫先生」のテレビ放送を偶然に見る機会がありました。そして「新聞記事・長谷川和夫・認知症」のキーワードでウェブ検索(田舎に住んでいる小生の貴重な図書館です)してみると幾つかの興味深い内容を目にすることができました。
そこで、今回投稿する予定だったブログ「46 理性と感性」は次回に投稿することにして、今回は上記のウェブ検索で目に止まった内容を読者の方々にご紹介し、若干のコメントを述べさせていただくことにしました。
(1)『認知症になった認知症専門医「なぜ私が」患者の問いに』(Q&A)
Q 自身の認知症を疑ったきっかけは、どんなことでしたか?
A これはおかしい、と気づいたのは1年くらい前かな。自分が体験したことに
確かさがなくなった。たとえば、散歩に出かけ「かぎを閉め忘れたんじゃな
いか」と、いっぺん確かめに戻る。確かに大丈夫だ。普通はそれでおしまい。
でも、その確認したことがはっきりしない。そして、また戻ることもあって。
(このブログからのコメント)
・老化廃用型認知症の早期(「初発期;小ボケ」から「境界期;中ボケ」の
始まり)の段階では、症状を自覚できるのです。「かなひろいテスト」を
実施することによって「前頭葉機能の病的老化」の有無や程度を客観的に
評価することができます。
Q 昨年11月に病院に行き、診断を受けたそうですね。
A 弟子が院長をしている専門病院に家内と行ったんだ。MRIや心理テストを
受けたら「嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)性認知症」っていう診断がついた。
物忘れ以上のものを自覚していたから、あーやっぱりと、戸惑いはなかった。
(このブログからのコメント)
・「 病名(診断)に 振り回される 認知症 」
⇔ 何のための診断なのでしょうか? 決して批判ではなく、
現在の認知症医療は「残念な医療」だと痛感しています。
Q 初めて聞く名前です。
A このタイプは物忘れや頑固になるといった症状が出るが進行は遅い。昔より
多少イライラする頻度が増えたかな。認知症になるリスクは年を重ねるごと
に高まる。長寿化に伴って、僕のように80歳、90歳を過ぎてからなる人
は増えていく。これを「晩発性認知症」と言う一つのカテゴリーだと唱えて
いる。100歳でも全然ならないピカピカの人もいると思うんだ。それはエ
リートだな、ごくわずかの。
(このブログからのコメント)
・100歳でも全然ならないピカピカの人は必ずしも「エリート」ではなく
感性が豊かで「秀才ではなくても脳が若い(前頭葉機能の老化が進行して
いない)人」だと思います(反論ではありません)。
・頑固でイライラしやすいタイプの人は、アリセプトの服用を避けたほうが
良いのではないかと思っています。
Q 公表することに、ためらいや迷いはなかったですか?
A いやいや僕が認知症であることは知られていて、その僕が告白して講演など
で体験を伝えれば普通に生活しているとわかってもらえる。認知症の暮らし
の障害で、暮らしがうまくいくかどうかがいちばん大事。僕の話から多くの
人が理解してくれれば、認知症の人の環境にもプラスになる。
(このブログからのコメント)
・長谷川先生は「患者さんや介護するご家族の方々に常に暖かい思いを寄せ
ている尊敬すべき名医」であると感じました。
・ただ気になることは、認知症の人の知的機能の障害の程度や性格、生活歴、
生活環境などは様々で、長谷川先生の現在の状態と異なる場合には認知症
の人の「個々の障害や個性に応じた適切な介護(自立支援や生活支援)が
必要なのではないか」ということです。
・以下に記述する長谷川先生の近況や言動などから、長谷川先生の「認知症」
は老化廃用型認知症の早期(「小ボケ」から「中ボケ」の始まり)の段階
ではないかと推察しています。その理由は、89歳という男性としては超
高齢であること、最近は悠々自適(無為無欲)の生活を過ごしておられる
様子であること、日付(年月日)が「不安定」であること、などです。
A 今は1日をどのように過ごしていますか?
Q 朝6時半ごろに起きて朝昼晩の食事。その間に散歩したり、図書館や近所の
コーヒー店に行ったりする。今日が何月何日なのか、時間がどれくらい経過
したかがはっきりしないけれど不便だと感じることはあまりない。夫婦2人
だけの生活で、やるべきことは毎日ほぼ同じだからね。
(このブログからのコメント)
・89歳というご高齢の長谷川先生の現在の日課に、小生のような若輩者が
あれこれと口出しすることは恐れ多いと思います。ただ「やるべきことは
毎日ほぼ同じ」という生活や「今日が何月何日なのかがはっきりしない」
という言葉については大変心配に思わざるを得ません。
(以下にも「Q&A」は続きますが、有料会員記事になるそうです)
(2)『認知症の第一人者が語る「みずから認知症になってわかったこと」-ありのままを受け入れるしかない-』(文春オンライン)
精神科医の長谷川和夫氏(89歳)は1974年に認知症診断の物差しとなる「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表した認知症医療の第一人者だ。認知症ケア職の人材育成にも尽力してきた長谷川氏は、昨年10月の講演で自らも認知症であることを明かした。
半世紀にわたり認知症と向き合ってきた長谷川氏が、当事者となった今の思いを率直に語った。以下の(A)~(E)は長谷川先生が語った内容の記述を抜粋したものです。
(A)私の場合は、自分が話したことを忘れてしまうことから始まりました。話したと思うんだけれども、どうもそうでないような気もする。さらに、昨日の日付は分かっていたのに、翌日になると、今日が何日か分からなくなる。自宅を出るとき鍵を閉めても、鍵を閉めたことがはっきりしないから、来た道を戻って確認しなければ気が済まない。ひどいときは一度確認したことを何度も確かめたくなる。こうしたことから、自分が認知症ではないかと疑いはじめました。
(このブログからのコメント)
・これらの言動から長谷川先生の「認知症」は「老化廃用型認知症」の早期
(「小ボケ」から「中ボケ」の始まり)である可能性が高いと思いました。
「自分が認知症ではないかと疑いはじめる」ではなく「歳のせい」と「ボ
ケの始まり」の境界ではないかと判断していただきたいと思っています。
(B)私は当初、自分をアルツハイマー型認知症ではないかと考えました。認知症の診断では、私が開発した「長谷川スケール」(1991年に改訂)を用います。長谷川スケールは、「お齢はいくつですか」「今日は何年の何月何日ですか、何曜日ですか」といった9つの質問によって構成されており、それぞれの得点を合計して、認知症の有無を診断します。しかし、開発者の私は、この質問項目を全て覚えているので、正しい診断ができない(笑)。なので難しい心理テストをいくつも出してもらうことになりました。その結果、私は「嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)性認知症」と診断されました。
(このブログからのコメント)
・「長谷川スケール」の歴史的意義は評価に値するものですが、このスケール
が「主に左脳が担う認知機能を評価するスケール」であることが認識され
ていないことや、老人性認知症という病態の本質的な原因が「前頭葉機能
の病態」であることが認識されていないことを、大変残念に思っています。
・このブログの読者の方々には「長谷川スケール」は「認知症の有無を診断
する」スケールでなく「認知障害の有無を診断する」スケールであること
を認識していただきたいと思っています。
(C)自分が認知症になって初めて体験したことの1つは、週に1回、デイケアに通うようになったことです。私はこれまで、患者さんに「ケア職の人に接するのはとても良いことだから、週に1度や2度でもいいから行ってごらんなさい」と勧めてきました。それが、いまでは勧められる立場になったわけです。
デイケアに通うようになって、まず驚いたのは、スタッフ一人ひとりが、利用者の情報をよく知っていることです。スタッフがそれぞれ何人かの利用者を受け持っている、というのではなく、スタッフ全員がみんなのことを把握している。こちらは馴染みのないスタッフでも、向こうは私のことをよく知っている。利用者としては、大きな安心感があります。それに、こちらが少しでもボーッとしていると、「長谷川さん、どうしたの? 何か困ったことでもある?」「ちょっとこっちへ来て、こんな体操をやってみない?」と、すぐさま声がかかります。すれ違ったときにも「長谷川さん、お昼ご飯は美味しかった?」とかね。簡単なゲームをする時間もあって、それがまた面白いものばかり。雰囲気は非常にゆったりとしていて、人と人とのつながりが温かい。デイケアというのは、すごいものだなと、本当に感心しました。
(このブログからのコメント)
・一般に老化廃用型認知症の早期(「小ボケ」から「中ボケ」の始まり)の
高齢者、特に左脳偏重型の頑固な男性は「何で俺がそんな所に行かなければ
ならないのか」と怒り出しデイケアに通うことを頑なに拒否する傾向がみら
れます。
・上記の長谷川先生の言動から、長谷川先生の「感性が豊かで心が広いお人柄」
が伺われ、改めて長谷川先生の人間性に敬意を表したいと思っています。
・さらに、デイケアの様子の記憶や描写などからは長谷川先生の鋭い観察眼が
伺われ、改めて長谷川先生が「認知症ケア」の「プロ中のプロ」であること
を再認識できました。
(D)発症すると、まず「時間」の見当がつかなくなります。先ほど私の症状として申し上げたように、今日が何月何日か、いつも確認しなければならないような状態です。
こうして、時間、場所、人間についての記憶が、それぞれ約3年ずつかけて失われていく。そんな症状の進行を遅らせることができるアリセプトは、たいへんメリットの大きい薬でした。ただし、症状の原因を取り除く「原因療法」になるような薬ではありません。状況を元に戻すことはできない。それで満足するしか、いまのところは仕方がないのです。
(このブログからのコメント)
・長谷川先生の現在の知的機能の障害のレベル(「小ボケ」から「中ボケ」の
始まり)であれば「状況を元に戻すことはできない。それで満足するしか、
いまのところは仕方がない」ではなく「まだ大丈夫」であると考えていた
だきたいと思っています(アリセプトを常用しなくても)。
・このレベルであれば、前頭葉機能の改善は難しいと思われますが認知機能
の改善や維持は決して難しいとは思われません。双子の100歳高齢者で
国民的な話題となった「きんさん、ぎんさん」の「きんさん」は「中ボケ」
から「小ボケ」に回復したという事実もあるのです。
(E)私はいま、子どもたちに認知症のことを理解してもらうための絵本を作りたいと考えています。海外には、すでにそうした絵本があります。認知症の症状が進んでいくおじいちゃんを目の当たりにした孫が、いろいろな工夫をしながら、一緒に生活していく様子を物語にしたものです。僕はそれを真似して、おじいちゃんのところをおばあちゃんに変えて作ろうとしているんだけど(笑)、なかなかはかどりません。なんとか、今年の夏ごろまでには完成させたいと思っています。
(このブログからのコメント)
・89歳になられた長谷川先生の「私はいま、子どもたちに認知症のことを
理解してもらうための絵本を作りたいと考えています」という言葉は素晴
らしいの一言に尽きると思います。つまり、まだまだ「意欲」や「自発性」
や「計画性」があるのです(前頭葉が活発に活動する時があるのです)。
今回のブログ「長谷川先生が認知症?」では、ウェブ検索で知り得た長谷川先生の言動などから、長谷川先生は老化廃用型認知症の「初発期;小ボケ」から「境界期;中ボケ」の始まりの段階であると勝手に診断し、いろいろと勝手なコメントを述べてしまいました。
現在の認知症医療の専門医の先生方だけではなく、このブログの読者の方々からもお叱りを受ける覚悟はできています。しかし、今後の認知症を取り巻く様々な問題に対応していくためには、既存の認知症医学/医療(形態的、症候的、概念的アプローチ)ではなく機能的アプローチに基づく認知症医学/医療(脳のはたらきからみた認知症)の視点が必要不可欠であることを強調しておきたいと思っています。
最後に、長谷川先生の周囲の方々が「脳のはたらき(知的機能)からみた現在の長谷川先生の状態」に早く気付いて「脳リハビリ」を意識した必要な支援の手を差し伸べられるようお願いしたいと思います。そして、長谷川先生が末永く「元気で、楽しく、逞しく」生活され、絵本の作成や講演活動などを通じ、生涯現役として笑顔を絶やさずに活躍されることを心から願っています。
【参照】 ・07 老化廃用型認知症〔2018/05/21〕
・39 かなひろいテスト不合格(1)〔2018/10/24〕
・42 再び知的機能(重要)〔2018/11/09〕