goo blog サービス終了のお知らせ 

喜べ

祈れ、感謝せよ! (by モーセ神父)

9/6

2014年09月05日 | キリスト教
キリスト教歳時記249  9月6日
B今日の福音
 マタ21:1-9【エルサレムに迎えられる(マコ11:1ー11、ルカ19:28ー38、ヨハ12:12ー19)】一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」


C今日の暦
1522年 マゼラン一行の5隻の船のうち唯一生き残ったビクトリア号がスペインに帰還。人類史上初の世界一周を達成。
1620年 ピルグリム・ファーザーズ(イギリス国教会から分離を求める清教徒ピューリタン)102名が信仰の自由を求めアメリカに出発。最初の冬は厳しく半数が死ぬ。またインディアンとの間でも土地と食物をめぐり激しく対立した。
1970年 パレスチナ解放人民戦線 (PFLP) が5機の旅客機を同時にハイジャックし、ヨルダンの革命空港に着陸。人質開放後爆破。後にPLOは事件を「黒い九月」と呼び、最大派閥ファタハが結成したテロ組織のグループ名とした。


W今日の言葉 ホサナ(ヘブライ語)
 「今、救ってください」の意味で、仮庵祭にうたわれた(詩編118:25)。転じて歓呼の言葉。
 並行個所ルカ(異邦人が主に対象)ではヘブライ語「ホサナ」を省き、「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光(ルカ19:38)」となっている。
 群衆は「木の枝(マタ21:8)」「野原から葉の付いた枝(マコ11:8)」「なつめやしの枝(ヨハ12:13)」をもってイエスを迎える。
 これも仮庵の祭りを想起させる。「初日には立派な木の実、なつめやしの葉、茂った木の枝、川柳の枝を取って来て、あなたたちの神、主の御前に七日の間、喜び祝う(レビ23:40)」。
※主の名によって来られる方に、祝福があるように。   「祝福あれ、主の御名によって来る人に。わたしたちは主の家からあなたたちを祝福する(詩編118:26)」。


Pワンポイント    ろばに乗って
 ソロモンも父ダビデのロバに乗り、キドロンの谷のギホンの泉に下り、油注がれて王となり、歓呼の中エルサレムに上った(I列王1:32-40)。
 イエスもベトファゲからキドロンの谷をわたり、エルサレムに入城する。
 子ろばは、まだ人を乗せたことがなかった(マコ11:2)。そこで子ろばが落ち着くように、母ろばと共にひかれてきた。
 「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って(ゼカ9:9)」。

9・5

2014年09月04日 | キリスト教
キリスト教歳時記248  9月5日
B今日の福音
 ヨハ12:9-11【ラザロに対する陰謀】イエスがそこにおられるのを知って、ユダヤ人の大群衆がやって来た。それはイエスだけが目当てではなく、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って、イエスを信じるようになったからである。


C今日の暦
1947年 カプチン・フランシスコ修道会、アメリカ施政下の沖縄で宣教活動開始(→5月31日C)
1905年 ポーツマス条約締結。日露戦争終結。講和の内容に不満の民衆による日比谷公園での反対集会が暴徒化。
     日本海海戦で日本は勝利したが、戦力を使い果たし、戦争続行は不可能だった。戦争賠償に応じないロシアに譲歩せざるをえなかった。朝鮮における日本の優越権、関東州の租借権、満鉄の譲渡、南樺太の割譲などが決まった。しかし国家予算4年分の戦費の回収はできず、民衆の不満が爆発した。
1972年  ミュンヘンオリンピックの選手村でパレスチナゲリラがイスラエル選手団を殺害。イスラエルのアスリート11人が死亡。親ナチス、反ユダヤで知られたアベリー・ブランデージIOC会長によりオリンピックは続行された。
1987年 『聖書 新共同訳』刊行(日本で初めてカトリックとプロテスタントが共同で翻訳)
1997年 福者コルカタのテレサ(マザーテレサ)帰天(1910年-)。 マケドニア生まれ。1928年ロレッタ会修道女としてインドに派遣され、カトリック女子高で教えていた。しかしイエスの乾くという声を明確に聞き、1946年修道院を出て、コルカタのスラムで、単身、貧者、病人、瀕死の人々の保護、ハンセン病、孤児救済を始める。1950年神の愛の宣教者会を創立。活動初期は地元民に、キリスト教に改宗させようとしていると疑われていた。しかし彼女たちはケアする相手の宗教を尊重する姿勢を貫き、亡くなった人に対しては、その人の宗教で看取った。1965年からは世界に会の活動を広げる。日本にも3回訪問。
 1979年ノーベル平和賞受賞。葬儀は国葬で行われた。帰天後6年の2003年に列福。


W今日の言葉   ラザロをも殺そう(→8月26日P)


Pワンポイント    列福のための奇跡(→3月24日P)
 マザーテレサ列福のため奇跡として認められた事例は、非カトリックのインド人女性モニカ・ベスラの治癒。
 1998年34歳の時、腹部の腫瘍を患い、腫瘍は7ヶ月の胎児と同じ大きさとなった。治る希望がなく、神の愛の宣教者会の「死に行く人のための家」に行った。そこで治癒を祈ってもらおうと思った。「礼拝堂に入ると、マザー・テレサの写真が目に入りました。そのとき、あたかも一条の光が私に向って飛び出たように感じ、私は体が麻痺したように感じました。その後、シスターたちは私のためにお祈りしてくれて、私は眠りにつきました。朝の一時に目が覚めると、腫瘍がなくなっていたのです」。 突然の完全な治癒は医者を驚かせ、医師は自分たちの診断が間違っていなかったと強調し、あらゆる証拠を提出した。小さな外科手術の跡も見つからなかった。

9/4

2014年09月03日 | キリスト教
キリスト教歳時記247  9月4日
B今日の福音
 ヨハ12:1-8【ベタニアで香油を注がれる(マタ26:6ー13、マコ14:3ー9)】過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」


C今日の暦
1943年 上野動物園で空襲に備え薬殺した猛獣を慰霊法要。
1949年 ピークスキル暴動。ポール・ロブスン(公民権運動をしていた黒人俳優、歌手)の再コンサート終了後、観客が反共主義者や退役軍人・KKK団の襲撃を受け140名の負傷者を出す。
1957年 リトルロック高校事件。アーカンソー州知事の命令で州兵100人が出動、黒人9人の高校通学を阻む。公立学校で白人と黒人の分離教育が違憲となり、融合教育化が進められるようになったが、これを阻止。
1995年 沖縄米兵少女暴行事件。米兵3名が12歳の小学生を強姦。日米地位協定により起訴されるまで犯人が日本側に引き渡されないことが問題に。


W今日の言葉    ナルドの香油
 インド、ヒマラヤの原産植物、甘松または根からとった高価な香油。タルソで製造され、アラバスターの容器に詰めて市場に出された。
 ここでは1リトラ(326グラム)で300デナリオン(300日分の給与)とある。
 「王様を宴の座にいざなうほどわたしのナルドは香りました(雅歌1:12)」。
※髪で足を拭う女(→3月27日P)


Pワンポイント    葬りの日(→8月23日P)
 遺体には香油や香料が塗られた。墓を訪れる人のために腐敗臭をごまかすためである。
 マリアがこうしたのは、イエスが十字架で死んだ際に、十分にそれらの処置ができないので(→2月24日W 日が暮れると)、前もってした行為だと、イエスは擁護した。もちろんその意味はこの時点で弟子にわかるはずもなかった。

9・3

2014年09月02日 | キリスト教
キリスト教歳時記246  9月3日
B今日の福音
 ルカ19:20-27 また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』」


C今日の暦
○聖グレゴリオ1世教皇教会博士(540-604年)。ローマに生まれる。ローマ市長、最高裁判所長の職を退き修道生活に入る。590年教皇に選ばれた。当時ゲルマン民族大移動の時期でランゴバルト族がイタリアを侵略、ローマの3/4は荒廃していた。ローマ総督はランゴバルト族に対抗できず、グレゴリオは王と話し合って停戦に導き、その後も改宗のため働きかけた。またフランスやイギリスの教会を指導し立て直した。またグレゴリオ聖歌を編集した。
1868年 江戸を東京と改める。事実上東京が(京都、大阪でなく)首都となる。
1979年 第1回東西霊性交流。仏僧51名、ヨーロッパの11修道院で修道生活を体験。
1941年 アウシュヴィッツ強制収容所のガス室で初めて大量処刑が行われる。
1981年 女子差別撤廃条約が発効。2013年5月現在、署名国は98か国、締約国は187か国。アメリカは批准していない。
2004年 ロシア・北オセチア共和国でチェチェン独立武装勢力により、ベスラン学校占拠事件。治安部隊が突入し、1000人以上の死傷者を出す。人質の生徒ら386人が死亡。


W今日の言葉
※銀行  テラペジテース
 ギリシア語の意味では「両替商の机」「両替屋」の意味。利子として1ヶ月に1%くらい取っていた(→8月10日P)。
 利子が公然と認められるようになったのは、宗教改革後で、カルヴァンは正しい取引が行われる限りにおいて、5%以内という範囲内で許すようにした。
※「布に包んでしまっておきました」  並行個所マタ25:25では「恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました」。


Pワンポイント
 王の位を受けて帰って来たとは、アルケラオ(9月2日P)を引き合いに出しながら、イエスの再臨のことも指している。となれば王位を望まない人とはファリサイ派らのこととなる。
 イエスは問う。再臨までの試練の長い時に、神から恵みとして与えられたものを、きちんと大切にして増やしただろうか。
 初めからイエスの再臨などないと言って怠け、神に背き続けたならば、そのものは持っているものまで取り上げられることになる。持っていても生かさないからである。

9/2

2014年09月01日 | キリスト教
キリスト教歳時記245  9月2日
B今日の福音
 ルカ19:11-19【「ムナ」のたとえ(マタ25:14ー30)】人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた。さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った。


C今日の暦
1841年 伊藤博文誕生(-1909年)。政治家。吉田松陰に学び尊王攘夷論者となるが、イギリスに渡った後開国論者となり、討幕運動に参加。明治憲法を立案。枢密院、貴族院の初代議長。のち立憲政友会を組織し、総裁就任。日露戦争後初代韓国統監となる。日韓併合には否定的な考えを初めはもっていた。
1879年 安重根誕生(-1910年)。儒学教育を受けたあとカトリックに。1904年日本の朝鮮侵略の動きに対し、1907年義兵運動(反日武装闘争)に参加したが失敗し国外逃亡。1909年満州に潜伏し、韓国統監伊藤博文をハルビン駅頭で暗殺。翌年処刑。
 安自身は反日でなく、(白人支配への)日朝中の共闘を呼びかけていた。
1945年 マッカーサーが、朝鮮半島にいる日本軍に、38度線を境に米ソ両軍に降伏するよう指令。朝鮮の南北分裂の始まり。


W今日の言葉  十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し
 並行個所のマタイは「それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預け(マタ25:15)」られた。そして「五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた(マタ25:16-17)」。
※ムナ(ギリシア銀貨)=100ドラクメ=タラントンの1/60 (1タラントンが一日の給料)


Pワンポイント    王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった
 イエスの奇跡を見てきた弟子や群衆は、イエスがエルサレムに近づくにつれ、神の国、彼らの解釈によれば、政治的な解放が今にも実現すると思っていた。しかしイエスは今がどういう時代で、何をすべきかを語る。真の神の国の到来までには、王の不在の体験、また多くの試練と長い時間がかかると改めて指摘する。その間に人々は、善良さを示さなければならない。
 このたとえの背景となったのは次の事件である。 前4年ヘロデ大王が死に、その子アルケラオはローマに赴き、ユダヤ、サマリア、イドマヤの王として、ローマ皇帝から認証してもらおうとした。このときユダヤ貴族の使節50人がローマ皇帝のもとに赴き、アケラオを王と認めないよう願った。しかし前4年アルケラオが領主となった。残酷さのゆえ6年には退位させられている(→1月26日W ヘロデの跡)。

9/1

2014年08月31日 | キリスト教
キリスト教歳時記244  9月1日
B今日の福音
ルカ19:1-10【徴税人ザアカイ】イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」


C今日の暦
1790年 浦上一番崩れ。長崎の浦上で潜伏キリシタン発覚、19人が捕縛される。
1911年 平塚らいてうらが文芸雑誌『青鞜』を創刊。「元始、女性は太陽であつた」。
1923年 関東大震災。 本所、浅草、神田、築地教会、駐日ローマ教皇庁使節館など焼失。
1939年 ドイツが突如ポーランドに侵攻。これに対しイギリスとフランスが3日に宣戦、第二次世界大戦勃発。
1943年 教皇ピウス12世、全世界に平和を呼びかける。
1983年 ソ連の領空を侵犯した大韓航空機をソ連防空軍が撃墜し、269人全員死亡。


W今日の言葉
※四倍にして返します
 賠償は普通5分の1を加算すればよかった(レビ5:24)。4倍としては「人が牛あるいは羊を盗んで、これを屠るか、売るかしたならば、牛一頭の代償として牛五頭、羊一匹の代償として羊四匹で償わねばならない(出エジ21:37)」がある。
 ローマ法でも明らかな盗みに対しては4倍の返済を課していた。
※エリコ(→8月31日P)   ※徴税人(→1月28日W,P)
※いちじく桑   果実はいちじくに、葉は桑に似ているパレスチナでよく見られる木。
※失われたものを捜して救う  ルカ15の「見失った羊」「無くした銀貨」「放蕩息子」のたとえのように(→8月6,7,8B)。


Pワンポイント  あなたの家に泊まり「たい」  μεριμναω
 原文は「泊まらなければならない」「必ず泊まることになっている」という神の計画から生じる必然性を表した言い方。
 ルカでは次のように使われる。「自分の父の家にいるのは当たり前(2:49)」、「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない(4:43)」、9:22、「自分の道を進まねばならない(13:33)」、17:25、22:37、「罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている(24:7)」、「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する(24:44)」。
 イエスは偶然にザアカイに会って、泊まりに行くのではない。「人の子は、失われたものを捜して救うために来たので」あり、その計画を実現するために、イエスは声をかけた。

8/31

2014年08月30日 | キリスト教
キリスト教歳時記243  8月31日
B今日の福音
 マコ10:46-52【盲人バルティマイをいやす(マタ20:29ー34、ルカ18:35ー43)】一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。


C今日の暦
1688年 バニヤン帰天(1628年-)。イギリスの説教者、牧師。宗教文学者。家業の鋳掛屋を手伝い、内乱に際しては議会側に立ち戦う。妻の影響で清教徒として信仰に入った。王政復古後、非合法の説教のため投獄。寓意物語『天路歴程The Pilgrim's Progress(1678,1684年)』は、プロテスタントでは聖書に次ぎ、有名な書物。 夢物語の形をとる。破滅の町に住んでいたクリスチャンが、妻子を捨て重い荷を背負い、巡礼に出発。死の影の谷、虚栄の市などを経て、さまざまな苦難を克服し天都に至る道程を描く。イギリス近代小説の先駆となった。
 「わたしは牢獄の中で、まるでわが家にいるかのように安らぎを得ました。あふれる喜びの中で、落ち着いて書くことができました」
1997年 ダイアナ妃事故死(1961年-)。16歳でスイス留学後、幼稚園の教師をしていた。1981年チャールズ皇太子と結婚。1992年別居、1996年離婚。恵まれない子への慈善活動、エイズ、がんの撲滅運動、対人地雷の廃絶に関わる。 パリ滞在中しつこいカメラマンからのがれる途中で事故死。取材のいきすぎ、運転手の飲酒が問題となる。国民葬として葬儀が行われた。


W今日の言葉  憐れんで下さい
 カトリックのミサの冒頭の部分で、回心のために罪を認めたあとに歌われる。
 「主よ、あわれみたまえ。キリスト、あわれみたまえ。主よ、あわれみたまえ」(日本のカトリック教会)。
 ラテン語のミサの中では「キリエ・エレイソン」と唱えられる。これはギリシア語だが、言葉の響きの美しさから、このギリシア語だけは残されている。


Pワンポイント  目が見えるようになりたいのです
 エリコは死海北10kmに位置し、エルサレムに上るための交通の要所、商業の中心地。人通りも多く都合の税を取り立てるのによく、また物乞いをする者にも好都合だった。徴税人の頭ザアカイがいたところ(ルカ19:2)。善いサマリア人の譬えにも出てくる(ルカ10:30)。
 ここでバルティマイは、「金を恵んでください」ではなく「目が見えるようになりたいのです」と言った。すでにイエスをメシアと見抜いている。その信仰にイエスは答えた。

8/31の説教

2014年08月30日 | キリスト教
年間22主日 Α【マタ16:21-27 自分の十字架】

クリックしてください → 礼拝説教より

 このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。

8/30

2014年08月29日 | キリスト教
キリスト教歳時記242  8月30日
B今日の福音
 マコ10:41-45 ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」


C今日の暦
1945年 連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に到着。敗戦の日本で1951年トルーマン大統領により解任されるまで、帝王のようにふるまった。解任の理由は、朝鮮戦争で中国本土への戦線拡大を望み、局地化したいトルーマンと対立して。
1974年 三菱重工爆破事件。東アジア反日武装戦線「狼」により千代田区丸の内で無差別爆弾テロ事件。連続企業爆破事件の一。時限爆弾により三菱重工ビルの1階が破壊され、通行人も巻き込まれた。死者8人。


W今日の言葉
※身代金  λυτρον   「あがない(口語訳、フランシスコ会訳)」「贖いの代価(新改訳)」。  新約聖書でここと並行個所のマタ20:28にしか出てこない。
※ゼベダイの子ヤコブとヨハネ(→2月23日P)
※仕える 「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる(マタ23:11-12)」。


Pワンポイント
 並行個所のマタイでは母が願ったことになっている。 「そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。『何が望みか』と言われると、彼女は言った。『王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください』(マタ20:20-21)。」


ひとやすみ    慎重
 一人の老人の臨終の時。 神父が塗油の秘跡のため来ました。 神父は老人に忠告しました。
「死ぬ前に、私たちの主イエスに信仰を宣言して、悪魔を退けましょう。」
 老人は信仰を宣言しましたが、悪魔を退けるのを拒否しました。神父は彼に尋ねました。「どうして悪魔を退けないのですか?」
 老人はかすれ声で答えました。
「死んでからどこへ行くのか分かりませんから、誰の気も悪くしたくないんです。神を信じると宣言しますが、あらかじめ用心して、悪魔も退けないでおきます。」

8/29

2014年08月28日 | キリスト教
キリスト教歳時記241  8月29日
B今日の福音
 マコ10:35-40【ヤコブとヨハネの願い(マタ20:20ー28)】ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」


C今日の暦
○洗礼者聖ヨハネの殉教(マコ6:17-29;4月27日,28日B)(→6月24日C 洗礼者ヨハネの誕生)
 成人後の26-27年頃から、荒れ野で人々に「悔い改めよ。天の国は近づいた(マタ3:2)」と述べ、ヨルダン川で「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼(マコ1:4)」を行った。イエスにも洗礼を授けた(マタ3)。
 だがヘロデとその妻ヘロディアにより殺され、イエスに道を譲り、最後の預言者となった。イエスは語った。「およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない(ルカ7:28)」。
 ヨハネの首はダマスカ旧市街の最古のモスク、ウマイヤド・モスクで祭られ、2002年ヨハネ・パウロ2世が訪問した(→5月6日C)。
1799年 ピウス6世帰天(1717年-)。在位24年。フランス革命とそれに続いたフランス軍の教皇領占領によりローマを追われ、捕虜としてフランス内を転々とした。
1842年 清国とイギリスの間で南京条約が締結され、アヘン戦争が終結。香港の割譲、2100万ドルの賠償、上海など5港の開港とイギリス商人の港での活動の自由。


W今日の言葉 杯
  神から受けるように定められた神のご計画。そこには苦しみもある。
 「主はわたしに与えられた分、わたしの杯、主はわたしの運命を支える方(詩編16:5)」。
 「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように(マコ14:36)。
 「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか(ヨハ18:11)」。
 「目覚めよ、目覚めよ、立ち上がれ、エルサレム。主の手から憤りの杯を飲み、よろめかす大杯を飲み干した都よ(イザ51:17)」。


Pワンポイント   洗礼(→1月27日W)
 洗礼は水に沈められて(罪ある自分が)死ぬことをも意味する。
 イエスは2人に死ぬほどの苦しみを本当に共にすることができるのかと問うた。
 「しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう(ルカ12:50)」。


8/28

2014年08月27日 | キリスト教
キリスト教歳時記240  8月28日
B今日の福音
 マコ10:32-34【イエス、三度自分の死と復活を予告する(マタ20:17ー19、ルカ18:31ー34)】一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。イエスは再び十二人を呼び寄せて、自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する。」


C今日の暦
○聖アウグスチヌス司教教会博士(354-430年)。 アフリカで生まれる。女性と同棲、子どもを作るなど放蕩生活を送り、マニ教に入る。ミラノでアンブロジオ司教の説教を聞き、回心。その後も迷いつつも3年後の387年洗礼を受ける。その後祖国に戻り、ヒッポの司教となる。グノーシス、アリウス、ペラギウスなどの異端と戦った。友人である司祭と共同生活をし、そのために作った規則が、アウグスティヌス会会則となる。『告白』『神の国』。「神よ、あなたは私達をご自身に向けてお創りになりました。ですから私達の心はあなたの内に憩うまで安らぎを得る事は出来ないのです」。
1578年 大名大友義鎮、出家して大友宗麟と号していたが、キリスト教に改宗。
1963年 ワシントンで行われた人種差別撤廃を求める市民集会で、キング牧師が「I have a dream」の演説を行う。(→12月5日P)
 「……今から100年前に、我々が今日その像の下に立っている偉大なるアメリカ人(リンカンー大統領)が、奴隷解放宣言に署名しました。……しかし、あれから100年たった今、黒人が、いまだに自由ではないのです。……私には夢がある。私の四人の幼い子ども達が、いつの日か肌の色ではなく人格そのものによって評価される国に住めるようになるという夢です。……将来いつの日か、幼い黒人の少年少女たちが、幼い白人の少年少女たちと兄弟姉妹として手に手を取ることができるようになるという夢です。……」


W今日の言葉   死と復活の予告
 計3回(5月24日、5月29日)エルサレムでの迫害を預言している。ここでは受難の模様がより具体的に示される。
 エルサレムでただならぬことがおきると、弟子は恐れを抱いていた。


Pワンポイント       エルサレム
 カナンの町で、エブス人がすんでいたが、ダビデが攻略し、首都とした。ソロモンの時神殿がたてられた。
 ①防衛上の理由 山の上(海抜790m)にあり、東がキドロンの谷、西と南がヒノムの谷。北だけ固めれば防衛できる
 ②ギホンの泉から水がわく
 ③ベニヤミン族とユダ族の中間にあった。南2部族、北10部族を和解させるのに、好都合。
前587年 バビロンにより灰じんと化す。前538年帰還した民が復興。70年ローマにより陥落。135年再建。673年イスラム教徒により占領(マホメットがここから昇天したということから、メッカ、メジナに次ぐイスラム教の聖地となった)。1967年第3次中東戦争(6日戦争;安息日までに戦争を終わらせた)でユダヤ人が回復。 離散中も、ユダヤ人は決して忘れることがなかった。
 現在イスラエル国はエルサレムを首都と主張している。しかし国連をはじめ多くの国は、東エルサレムの占領を非難し、首都と認めず、各国大使館は一つも置かれていない(テルアビブを首都と認める)。

8・27

2014年08月26日 | キリスト教
キリスト教歳時記239  8月27日
B今日の福音
 ヨハ11:54-57 それで、イエスはもはや公然とユダヤ人たちの間を歩くことはなく、そこを去り、荒れ野に近い地方のエフライムという町に行き、弟子たちとそこに滞在された。さて、ユダヤ人の過越祭が近づいた。多くの人が身を清めるために、過越祭の前に地方からエルサレムへ上った。彼らはイエスを捜し、神殿の境内で互いに言った。「どう思うか。あの人はこの祭りには来ないのだろうか。」祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスの居どころが分かれば届け出よと、命令を出していた。イエスを逮捕するためである。


C今日の暦
○聖モニカ(331-387年)。 北アフリカ、チェニジアに生まれる。アウグスティヌスの母。
 夫は遊び人だったが、回心し、死の1年前に受洗した。3人の子どもが残され、その一人がアウグスティヌス。罪の状態にあるアウグスティヌスのため断食し、祈り続けた。司教から「それほどの涙の子が滅びることは決してありません」と慰められた。アウグスティヌスがいるミラノに、心配してやって来たが、そこでアウグスティヌスの受洗の恵みにあずかる。そこで司教アンブロジオを他の信者と共に守り、病のため帰国することなく帰天。
1593年 フランシスコ会員ペトロ・バウチスタ神父、フィリピン総督の使節として来日(1585年にグレゴリオ13世が日本宣教をイエズス会のみに委ねたため、宣教師としては来日しなかった)。 豊臣秀吉に謁見(→2月5日C,P)。秀吉は初めキリスト教を許可したが、九州征伐のとき一部の宣教師を国外に追放、教会を破壊し公の宣教を禁止した。しかし貿易の発展には前向きで、ペトロ・バプチスタと通商条約を結び、京都での宣教を許可した。
1928年 不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)が結ばれる(初め15カ国、のち93カ国)。国際紛争を解決するため、国家の政策の手段として戦争に訴えることを禁止。国際連盟の制裁、自衛戦争は対象外。理念的、抽象的に過ぎ、1930年代以降の非常事態に対処できなかった。
1957年 茨城県東海村の原子力研究所で日本初の湯沸かし型原子炉が臨界に達する。
1999年 ブラジルのカマラ大司教帰天(1909年-)。ラテンアメリカの解放の神学(→2月21日P)の主な先駆け。「貧しい者に食物を与えると、人は私を聖者と呼ぶ。なぜ彼らは貧しいのか尋ねると、人は私を共産主義者と呼ぶ」。


W今日の言葉   荒れ野
 荒れ野は何もないところ。だからこそ神にしか頼れず、神の声が聞こえる場所。同時に悪魔のいる場所。神と出会うため預言者、聖人は荒野にしばしば退く。イエスは宣教開始前に、霊に導かれて荒野に退いた(マタ4:1)。宣教中もたびたび人里離れた所に退いている(→2月25日W 人里離れた所)。また洗礼者ヨハネも荒野で、メシア到来が近いことを宣べ伝えた。


Pワンポイント 過越祭
 公生活3回目の過越祭となる。 1回目(ヨハ2:13 →2月7日B)、2回目(ヨハ6:4 →4月29日W)
イエスの逮捕と死をユダヤの指導者は画策するようになる。
 後にユダヤ教ナザレ派と呼ばれるキリスト教信者は、90年頃になるとガマリエル2世の指導により、会堂で公に唱えられる18の祈願の12番目で、異端(ナザレ派)として呪詛の対象として明文化されることになる。
 §十八の祈り(シェモネ・エスレ) 第12 背信の徒らには何の希望もありませんように。また、尊大な政府(ローマ)をあなたが速やかに私たちの時代に根絶やしにしてくださるように。そしてナザレ派とミーニーム(ユダヤ教異端派)は一瞬のうちに亡び、生命の書から消し去られ、義人たちと共に記録される事がありませんように。よこしまな者どもを屈服させたもう主よ、あなたは称えられるべき方です。

8/26

2014年08月25日 | キリスト教
キリスト教歳時記238  8月26日
B今日の福音
 ヨハ11:45-53【イエスを殺す計略(マタ26:1ー5、マコ14:1ー2、ルカ22:1ー2)】マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。しかし、中には、ファリサイ派の人々のもとへ行き、イエスのなさったことを告げる者もいた。そこで、祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。」彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った。「あなたがたは何も分かっていない。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。」これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである。この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ。


C今日の暦
1789年 フランス国民会議がフランス人権宣言を採択。人間の自由と平等、人民主権、言論の自由、三権分立、所有権の神聖。アメリカ独立宣言、ルソーの影響を受ける。 ただし人権が保障されていたのは「市民権を持つ白人の男性」のみ。
2002年 ヨハネスブルクで持続可能な開発に関する世界首脳会議が開幕。
2008年 アフガニスタンで、NGO組織「ペシャワール会」メンバーの日本人が拉致され、殺害される。ターリバーンによる。


W今日の言葉
※ローマ人が来て(→1月18日 イスラエルの簡単な歴史)。  すでに前63年ポンペイウスのエルサレム入城により、ローマに事実上支配されていた。神殿崩壊は66年の第1次ユダヤ戦争の結果70年に現実のものとなる。
※カイアファ(→10月11日W)        ※大祭司(→6月21日W祭司長たち)


Pワンポイント
 イエスが死者をよみがえらせたことは3回あった(3月23日W 生き返らせる)。ユダヤ人宗教指導者からみれば、ナインやカファルナウムは遠いガリラヤでの出来事で、まだ黙殺することはできた。しかしラザロを生き返らせたベタニアは3kmしか離れていない。これは見過ごすことはできず、イエスの殺害を決めるきっかけとなった。
 カイアファは、イエスひとり死ぬことで、ローマによる攻撃を免れ、ユダヤの国全体が滅ばなくてすむ。その政治的な自分の見地を語った。
 しかしこれは結果として、イエスによって、民、すべて散らばっている神の子たちを滅びから救い、一つに集めるために死ぬ。つまりアッシリアやバビロン捕囚で散らされたユダヤ人だけでなく、イエスを信じるすべての人を、ひとつに集められることとなる。
 その新約時代におけるイエスの真の大祭司としての役割、全人類を救う神の計画を正確に預言することとなった。
 「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる(ヨハ10:16)」。

8/25

2014年08月24日 | キリスト教
キリスト教歳時記237  8月25日
B今日の福音
 ヨハ11:38-44【イエス、ラザロを生き返らせる】イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。


C今日の暦
1600年 細川ガラシャ自害(1563年-)。明智光秀の娘。15歳で父の主君・織田信長のすすめで細川忠興と結婚。1582年光秀が信長を本能寺で殺害、自らも滅び、忠興により1584年まで味土野(京都府京丹後市)に幽閉。高山右近の影響で洗礼。1600年関ヶ原の戦いで石田光成から人質として大阪城入城を強要されたが拒否。屋敷を包囲され、侍女を外に出した後、自分だけ自害。「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
1900年 ニーチェ没(1844年-)。ドイツ哲学者。キルケゴールと並び実存哲学の先駆者。牧師の子。
 ギリシア古典学、東洋思想に関心を持ち、近代文明を批判、民主主義を弱者の道徳として批判。キリスト教の神の死を宣言、善悪を超越した永遠回帰のニヒリズムに至る。その体現者として超人の出現を求めた。『ツァラトゥストラはかく語りき』『権力への意志』『善悪の彼岸』。
1945年 メリノール会バーン神父、終戦直後の日本国民の動揺を沈めるため、報道陣の依頼で米軍向け放送と日本人向け放送に活躍。その後も両者の和解調停に尽力。


W今日の言葉    布
 遺体は亜麻布でくるまれた。 「ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ(ヨハ19:40)」。
 清く白い亜麻布は天使の衣にふさわしく、聖徒の義の表象とされた。
  「天使たちは、輝く清い亜麻布の衣を着て、胸に金の帯を締めていた(黙示15:6)」。
  「花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。この麻の衣とは、聖なる者たちの正しい行いである(黙示19:8)」
 紫布は貴族、金持ちが着た(→8月12日P 紫)。
  「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた(ルカ16:19)。
 ラビ・ヨナタン「黒でもなく白でもない、灰色の布で埋葬してほしい。もし復活して義人の中に立つことがあっても恥じないよう。復活して悪人の中に立つことがあっても困惑しないように」
 ラビ・ヨシヤ「私を白い布で埋葬してほしい。自らの行動を恥としないし、創造者と顔を合わせる資格があると思うから」


Pワンポイント  大声で
 「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』。これは、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である(マタ27:46)」。
 「イエスは大声で叫ばれた。『父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。』こう言って息を引き取られた(ルカ23:46)」。

8/24

2014年08月23日 | キリスト教
キリスト教歳時記236  8月24日
B今日の福音
 ヨハ11:28-37【イエス、涙を流す】マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。家の中でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、後を追った。マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。


C今日の暦
○聖バルトロマイ使徒(→2月4日W 使徒の紹介①)。  バーソロミュー、バルトロメオなど。意味としては「トロマイの子」。
 フィリポにより導かれた(ヨハ1:45)。ナタナエルとも呼ばれる。ガリラヤ・カナ出身(ヨハ21:2)。「まことのイスラエル人。偽りがない(ヨハ1:47)」とイエスに言われた。 ペルシア、インドまで伝道し、アルメニアで皮をはがれて殉教したと伝えられる(→ミケランジェロ『最後の審判』で自分の皮膚を持ったナタナエルエルが描かれる)
79年  イタリア、ヴェスヴィオ火山大噴火。火砕流でポンペイが埋没。2千人が死亡。
1572年 サン・バルテルミの虐殺。カトリックがプロテスタントを大量虐殺した事件(→5月14日C)。


W今日の言葉 憤りを覚え  εμβριμαομαι
 口語訳は「激しく感動し」。霊における感情の高まりをあらわす。 ことばで怒りや感動を表し、あるいは厳しく命令することも含まれる。
 愛する友ラザロを絶望に追いやった「死」、そしてそれを引き起こした「悪魔」の誘惑にイエスは憤った。
 「厳しくお命じになった(マタ9:30)」「厳しく注意して(マコ1:43)」「厳しくとがめた(マコ14:5)」「心に憤りを覚え(ヨハ11:38)」


Pワンポイント  ユグノー戦争(1562-1598年)
 貴族の政治闘争が、カトリックとユグノー(プロテスタント改革派、カルヴァン派)で対立している市民感情を巻き込み、フランスの内乱に発展したもの。
 フランスはプロテスタントに対しあいまいだったが、1551年プロテスタントの集会を禁止した。
 1562年ギーズ公アンリによるバシーの虐殺を機に始まった。頂点がサン・バルテルミの虐殺。婚儀でパリに集まっていたユグノーの貴族のほとんどを虐殺。ギーズ公アンリと摂政があらかじめ計画していたといわれる(この時ナバール王アンリはカトリックに改宗しかろうじて難を逃れた。その後またプロテスタントになる)。これが全国に広まる大虐殺となった。
 スペインがカトリックを、イギリスがユグノーを支援した。国王アンリ3世が1589年暗殺されバロア朝が断絶した。
 1589年ナバール王アンリが国王アンリ4世として即位し(ブルボン朝)、カトリックに再改宗。ナントの勅令を1598年発し(→4月13日C)、プロテスタントにかなりの自由を認め、40年にわたる内乱が終結(→5月14日C)。