喜べ

祈れ、感謝せよ! (by モーセ神父)

夢は死なない

2011年12月30日 | 日記
 数学が得意だった。高2まで理系にいた。でも国際政治に興味を持った。いくら医学で病気を克服しても、幸福な暮らしを個人個人していても、戦争が起こったら、原爆が落ちればそれで終わりだ。平和が大事だ。ノストラダムスの予言で地球の崩壊がはやっていた時期でもあった。だから高3の時、文系に変わった。数学の先生はとても残念がった。
 大学は政治学科に入った。受験科目は英数国で得意科目がそろっていたから。320名の同窓生がいた。政治家になろうとは思わなかったが、政治について語るサークルに入った。でも人間の幸福は、外から与えられるものよりも、内から得ることの方が大事に思った。同じ生活をしていてもある人は幸福を感じある人は不幸に思う。それで政治を探求するのをやめ、哲学や心理学を勉強し始めた。
 家庭裁判所調査官になった。非行少年と9年間戦った。その間に洗礼を受けた。生きていく核がほしかったから。
 少年非行が多い時だった。とても疲れていた。そんなとき自分のどうしようもない罪深さに出会った。しかしそれと共に本格的に、赦す神と出会った。神の愛を伝えたいと思った。調査官では神は伝えることはできかった。公務員としての制約から。親には文字どおり死ぬほど反対し、母はくも膜下出血で死んだ。
 修道院に入って司祭になった。政治にはすっかり関心をなくしたままだった。だから何も知らなかった。 大学の同窓生の中に政治からぶれない友がいた。その友にはしかし血縁も地縁も金もなかった。だから24年もの間、毎日駅前で演説を続けた。
 ある朝教会に電話があった。聞きなれない人から。「大学の同窓会を開きたい。同級生が総理になったので」。「?!」。インターネット上のフェイスブックと教会コムに実名登録していた。だから私の履歴を確認した上で電話をしてきた。まったく突然に。
 友の履歴を調べた。同じ年に入学しており、確かに野田君は同級生だった。同窓生320人の一人だから一緒の教室で学んだことはあっても、たぶん話をしたことはないはず。
 もう忘れていた大学に入りたての頃の夢。自分は地方の幼稚園長の仕事だけで手いっぱいだったというのに、国の内外からの批判に毎日立たされながら、頑張っている友がいる。
 同窓会に出ることが許されたので、この年末、カトリック教会を代表する気持ちで出てきたいと思う。野田君の他に、黒岩君は神奈川県知事になった。民主党にも、増税路線にも賛成なわけではないし、野田君への支持率の低下も心配だ。でもひたすら夢を追い続け、それを現実にしながら生きる友たちに会って応援し、共に校歌を歌いたいと思う。 私も頑張ろうと思う。あの頃と夢はずいぶん違ってしまったけれど。
礼拝説教と同内容