接骨院閑話 Ver.2024_01

「しれは迷ひしらねは迷ふ法の道
 なにかほとけの實になるらん」
至道無難禅師の句は健康にも通じるのです。

歴史から健康を考えた②

2024年04月08日 | 現状

またベルツ先生は「ベルツの日記」(岩波文庫)で、
こんな事も書いています。

・・・とくに日本人が文明開化の叫びのなかで、日本の古いものはなんでも悪いと恥かしがり、西洋のものをなんでも良いとする風潮を憂いた。・・・ベルツは古くから日本に伝わるものの価値を見出し、それを積極的に採り上げて宣伝した。その一つに温泉がある。日本の温泉の歴史は古く、江戸時代にも後藤艮山がその治療価値を賞揚したが、ベルツは、温泉が日本人の間に長く伝承されてきたのは、そこに必ず医学的効用があるからに違いないという確信を持って調べ始めた。
「ベルツの日記(上)」P14~P15より

当時、医療先進国であったドイツの医師であるベルツ先生が、
医学的な価値を認めたモノ(生活や習慣等)を、
当時の日本人が捨てていく事を憂いるのです。

これだけの事から考えても、
当時は厳しい生活環境で短い寿命だったかもしれませんが、
それでも当時の人は生活習慣や信条によって、
優れた精神と強靭な肉体を保っていられたのです。
(当然全ての人ではありませんが・・・)

然しベルツ先生の憂いた事は、
様々な事情(国の近代化?)から明治政府は無視して、
国の欧米化政策(富国強兵と殖産興業)に伴って、
日本人の生活も大きく変わっていったのです。
その中でも当時の人の身体に大きな影響を及ぼしたのが、
食の変化だったのです。

それは片山一道先生の「骨が語る日本人の歴史」の中の、
「表10  日本人の身長の時代変化」(前回の投稿記事を参照)
を見れば分かりますが、
この時期から日本人の身長は伸び始めているのです。
これは当時の日本人の食環境が状態が良くなった事を意味しているのですが、
(「栄養状態が良くなった=肉食が始まった」です。)
然しその反面で困った事も起こり始めたのです。

それは昭和12年に刊行された、
「食ひ改めよ-無病健康法-」(久留弘三著)には、
次のように書いてあります。

・・・徴兵検査に就いて見るに、丙丁種該當の壯丁(不合格者)は大正十一年から十五年までは千人につき二百五十人内外であつたものが、昭和二年から七年に至る間は三百五十人に增し、更に昭和十年には四百人に激增している。(或る府縣では四百五十人を超過とてゐる!)殊に大都會に存在せる壯丁に至っては、甲種二十人に對し、丙丁種四十人といふ駭ろくべき数字を示している。いふまでもなく壯丁検査の成績は、國民の健康狀態を反映してゐるものであるから、若しこのままで行けば國民の大半は數十年ならずして、丙丁種の劣弱國にならうといふ、極めて寒心すべき趨勢に在る。
「食ひ、改めよ -無病健康法-」P8より

僅か60年間で日本人の体力は明らかに低下していて、
久留弘三先生はその原因を、
食の欧米化だと断言しているのです。

つまり食が欧米化して(肉食が始まり)日本人の栄養状態は良くなり、
体格は見栄えが良いものになっていくのですが、
中身はそれについていけず逆に身体の働き(体力)は低下し始めて、
様々な体調不良(病気を含む)がでてきたのです。
これは、
体格(外見)と健康(中身)は必ずしも一致しない。
という事になるのです。
(「栄養状態が良くなった=肉食が始まった=健康」とは、
 一概にいえないという事です。)

然し一労働組合運動家の発言が国に届く筈もなく、
(国は体力低下は分かっていたかもしれませんが・・・)
徴兵検査で甲種合格者が減っている事実に、
何等対策を講じる事なく、
尚一層の国の欧米化を推し進めて、
軈て太平洋戦争に突入していったのです。

明治時代から始まった戦争の時代は、
今から約70年前の太平洋戦争敗戦で一旦終わります。
終戦で日本は米国(GHQ)主導で復興を始めるのですが、
この時にも日本人の健康に影響を及ぼしたと思われる事がありました。

それは米国(GHQ)が日本の再軍国化を防止する為に、
軍国化の可能性のある図書(?)を焚書にした事と四大教育指令です。

「ふんしょ【焚書】」の解説
学問・思想を権力によって弾圧するための手段として、書物を焼き捨てること。
「goo辞書:ふんしょ【焚書】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%84%9A%E6%9B%B8/

四大教育指令
第一指令 文部省はGHQの指令に従って政策を実施する
第二指令 GHQの政策に反対する教職員や官僚を解雇する
第三指令 神道指令(国家神道や神社神道に対する政府の保証や支援、保全などを廃止)
第四指令 修身・日本歴史・地理の授業の停止
「日本人を狂わせた洗脳教育 いまなお続く占領軍の心理作戦」P66より

焚書(発刊禁止)や四大教育指令に関しては、
これ以上の説明はしませんが、
ここで大切な事は、
今迄の日本人は生活全般で健康が維持できていたのが、
焚書(発刊禁止)や四大教育指令で禁止されたモノの中には、
直接的・間接的を問わず、
日本人が健康(身体的・精神的を問わず)を維持する為に、
必要不可欠なモノも多く含まれていて、
それが禁止された事で、
糸綴じの本の糸を抜いたようにバラバラになってしまったのです。
そしてページだけでを読んでも全体の話しが分からないように、
健康も一つ一つの部分だけで考えるようになった事で、
本来の意味(全体)が分からなくなってしまった・・・と考えられる事なのです。

そのうえ従来の日本人の健康は、
先人の経験が継承されたもので、
科学的な根拠はありませんから、
日本人の健康観(健康や病気の考え方)が、
科学的な理屈で解釈するようになってきた事で、
科学的な根拠の無い先人の知恵はドンドン忘れられ(捨てられ)て、
僅かに残ったものも形骸化していったのです。

マタこの時にも食に関する事で、
身体に影響を及ぼす事がありました。
それが脱脂粉乳(乳製品)を使い始めた事です。
戦後間もない頃の日本は食べるモノが満足になかったようで、

昭和22年、全国都市の児童約300万人に対し学校給食がはじまりました。アメリカから無償で与えられた脱脂粉乳が使われ始めました。
昭和24年、ユニセフから脱脂粉乳の寄贈を受けました。
昭和25年(1950年)、アメリカ合衆国からの小麦粉を使い、8大都市の小学生児童対象の完全給食がおこなわれルようになりました。
「学校給食:給食の歴史[9月13日(金)]」より

と書いてあるように、
国民(ここでは子供)の栄養失調対策に学校給食が始まり、
この時に脱脂粉乳(乳製品)が使われるようになりました。
(私も保育園の頃に飲んで(飲まされて)クソ不味かった記憶があります。)
然し脱脂粉乳(乳製品)に関しては、
「正食医学 講義録第一集」に次の表が掲載されています。

「正食医学 講義録第一集:動物性食品の「安全な」食べ方「危険な」食べ方」P45より

この表から分かると思いますが、
乳製品はアメリカ人(特に白人)には全く問題がない食品でも、
日本人の身体には負担の大きな食品だという事です。

(負担の大きな食品とは、
 ケッシテ毒という意味ではありません。
 私の幼少期の話しになりますが、
 私のお爺チャンやお婆チャンは、
 「牛乳を飲むとお腹がゴロゴロする。」と言って、
 牛乳を飲まなかった事や、
 私の父は「牛乳も噛んで飲め。」と私に言っていたのも、
 当時の人は経験から、
 牛乳がお腹に負担が大きい事を知っていたのでしょう。)

ですから戦後の食糧難のような状況であれば、
身体に負担の大きなモノ(今回は脱脂粉乳(乳製品))を使ってでも、
栄養を確保して飢餓(餓死)を回避するのは当然ですが、
現在のように飽食の時代(最近では食品ロス)といわれている状況で、
健康の維持増進(ケガや病気の回復も含む)を目的とした人が、
身体に負担の大きな食品(この場合は乳製品)を、
敢えて使う意味が何かあるのでしょうか?

こんな事は国が言う事はありませんから、
(実際に管理栄養士は乳製品の摂取を強く指導しています。)
だから身体に良いとか悪いと言われている事は、
実際に自分の身体で試して、
自分の身体には良い事なのか悪い事なのかを、
感じ取っていかなければならないのです。
(自分で判断していかなければならないという意味です。)

このように日本人は戦後の厳しい環境から、
新しい価値観(健康観(健康や病気の考え方)も含む)で復興が進み、
昭和31年(1956年)には、
「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれる程の、
経済発展(高度経済成長期)を始めたのです。

この時に当時の人の身体に影響を及ぼした事は、
西丸震哉先生が1990年(平成2年)に出した、
「41歳寿命説 死神が快楽社会を抱きしめ出した」に、
次の事が書かれてあります。

昭和三十四年(一九五九年)を記憶せよ
いまの日本人の平均寿命について考えるとき、昭和三十四年(一九五九年)という年を忘れることはできない。この年、日本全体が先進工業国の仲間入りをしようとし決心し、GNP増大という目標に向かって暴走をはじめた。
「41歳寿命説 死神が快楽社会を抱きしめ出した」P16より

これは農業が主要産業だった日本が、
昭和34年(1959年)から先進工業国を目指すようになり、
それで日本人の生活は物質面では豊かになり始めて、
社会も清潔で便利で快適な環境になり始めたのですが、
然しその反面で自然は破壊されていき、
環境汚染も始まり、
嘗てのどの時代よりも環境面では、
身体に厳しい時代になったと書いてあるのです。

マタこの時期は国民皆保険制度に関する問題もあるのですが、
これに関しては機会があれば後述します。

このようにして日本人は、

一度目は明治時代に国策による生活の欧米化。
二度目は太平洋戦争敗戦で米国(GHQ)主導の復興による伝統の破壊。
三度目は高度経済成長期に先進工業国になる事で環境の破壊。

といった三度の転換期を、
数世代に亘って経てきた事で、
私達の健康観(健康や病気の考え方)ひはユックリと着実に偏っていき、
それに併せて身体の働きを弱めてきたと考えられるのです。

人の時間で150年はあまりにも長いものです。
この150年間に、
日本人の体格は向上して、
小中学生の運動能力は向上して、
平均寿命は延びて、
死産率は低下して、
感染症の発生も激減して、
救急医療(応急処置)も発達する等、
数字の上では常に良い結果が出ていましたから、
誰もが日本人は健康になっていると思った(勘違いした)のでしょうが、
それはある一面では正しかったのですが、
然しその反面で日本人の身体の働きは弱化が進み、
最初は数値化ができない(難しい)身体の働きから、
徐々に低下が始まっていたのです。

(身体の働きで誰でもが知っているものとしては、
 「免疫」「恒常性」「自然治癒力」があります。)

恒常性(こうじょうせい)ないしはホメオスターシスとは、生物において、その内部環境を一定の状態に保ちつづけようとする傾向のことである。
「Wikipedia(ウィキペディア):恒常性」より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%92%E5%B8%B8%E6%80%A7

私達の健康(病気を含む)は、
生活する環境に大きく左右されますから、
それを(ホボ)無視した業者(医療福祉従事者)サンの指示指導は、
幾ら身体に良い(と指導された)事をヤッたとしても、
逆に身体に悪い(と指導された)事をヤメたとしても、
それだけでは解決する話しではないのです。

それが何となくですが分かる例として、
明治時代から昭和の中頃迄はゴク一部の人が罹っていた病気が、
当時は病人の数が少なかったから、
あまり大きな問題にならなかったのですが、
日本が豊かになるに従って徐々に増え始めて、
今では誰もが罹る病気として大きな問題になってしまった事です。
それが生活習慣病とか認知症と言われている慢性病で、
「ガンも5年生存率が向上して治る時代になった(?)」と、
言われるようになった今でも慢性病に関しては、
現在の医療(医学)は結果をだせていないのです。

そして平成になり。
今、ネットニュース等を観ていますと、
一時期は激減していた感染症がマタ増え始めたり、
自分勝手な動機の犯罪(動機がない犯罪)が増えたり、
その他にもマダマダありますが、
増えた理由が分からない不穏な流れなのです。

これは生活環境が厳しくても精神的・肉体的に健全な人が多かった昔も、
生活環境が豊かになっても精神的・肉体的に不健全な人が多い今も、
どちらも解決しなければならない課題があるという事です。

これは私達の身体には極(端)はどちらも間違いであり(負担が大きく)、
極(端)になった時の困った問題(健康では症状)は、
どちらの極(端)も特に初期では、
同じ現象(健康では症状=炎症反応)という事なのです(後述)。
ですから常にプラス志向で積極的でいる事が正しいと思っている人が、
体調不良(病気を含む)になった時の症状と、
常にマイナス志向で消極的な人が、
体調不良(病気を含む)になった時の症状は、
特に初期に於いてはどちらも同じで、
それがどちらの極(端)によって体調不良(ケガや病気を含む)になったのかを、
判断するには原因の特定しかないのです。

嘗てベルツ先生が憂いた
「日本人が文明開化の叫びのなかで、日本の古いものはなんでも悪いと恥かし
 がり、西洋のものをなんでも良いとする風潮を憂いた。」で思う事は、
一度捨てたモノをもう一度拾う事は難しい事です。
(ハッキリといってマズ無理です。)
ですから医療福祉の専門家(現在は代替療法の施術者も含む)は、
自分達の考え方が旧態化してしまったとは思わないし、
思わないから見直す事もなく、
相変わらず旧態依然の健康観(健康や病気の考え方)で、
体調不良(ケガや病気を含む)の回復や、
病気予防や健康増進を考えているのですが、
これは仕方がない事ですから、
その分、私達には自力が必要なのです。

【参考資料】
「ベルツの日記」(上)
トク・ベルツ 編/菅沼竜太郎 訳  株式会社 岩波書店 刊
「食ひ、改めよ ─無病健康法─」
久留弘三 著  阪神食養研究會 發行
「Wikipedia(ウィキペディア):徴兵検査」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B4%E5%85%B5%E6%A4%9C%E6%9F%BB
「日本人を狂わせた洗脳教育 いまなお続く占領軍の心理作戦」
関野通夫 著  株式会社 自由社 刊
「学校給食:給食の歴史[9月13日(金)]」
http://www.juk2.sakura.ne.jp/rekisi.html
「正食医学 講義録第一集」
大森英桜 著  日本CI協会 刊
「41歳寿命説 死神が快楽社会を抱きしめ出した」
西丸震哉 著  株式会社情報センター出版局 刊

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歴史から健康を考えた①

2024年04月01日 | 現状

「国民総不健康時代(2024/03/04)
「曖昧な健康と病気」(2024/03/11)
「病気基準の健康」(2024/03/18)
「家畜の健康管理」(2024/03/25)

で説明した事は、
そんなに見当外れな内容ではないと思います。

それはこの記事に書いた事は全て、
私の接骨院に来るお客サンの身体を観察して話しを聞いて、
誰でも確認できる(入手できる)資料で調べて、
私が考え至った事で、
「これも一つの考え」なのです。
然し健康(病気を含む)をよく勉強している人程、
私とはホボ真逆の考え方をしていますから、
私が提案する生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しが、
逆に身体を悪くする事だと受け取られても仕方がないのでしょう・・・。

次に私は生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直し程度の簡単な事でも、
頑なに拒む人ばかりの理由を、
歴史から調べてみました。
それで分かった事を今回から書いていきます。

私は自分が体調不良(肉魚酒アレルギー)を回復させた方法は、
最初は私が独自に考えた完全オリジナルだと思っていました。
然し後になってイロイロと調べてみますと、
私のオリジナルは一つもなく、
全て既に先人が言っていた事ばかりだったのです。

そこで以前の私の疑問ですが、

私のような医療(医学)の素人でもできた事が、
それも全て先人が答えを出している事を、
医療福祉の専門家は無視したり禁忌にして、
体調不良(ケガや病気を含む)の回復で参考にしないのか?

に対して私が考えた答えは、

貝原益軒先生の「養生訓」や、
道元禅師の「赴粥飯法」や、
旧約聖書のモーゼ五書である「レビ記」等(マダマダアリマスが)は、

①宗教・哲学・歴史の分野であり、
 医学(医療)の分野ではない(医療とは関連付けない)事。
②先人の智慧には科学的(医学的)なエビデンス(根拠)がない事。

だったのです。
これは医療(医学)の専門家には当然の事なのでしょうが、
私達にはケッコウ大切な問題で、
それは体調不良(ケガや病気を含む)になった時は、
医療(医学)の分野で結果がでなければ、
どんな分野の考えを利用してでも、
体調不良(ケガや病気を含む)を治す事が大切だからです。

つまり体調不良(ケガや病気を含む)がナカナカ治らない理由を、
「年(加齢)だから治らないのは仕方がない」とか、
「これからは病気と上手に付き合っていきます」とか、
「薬を飲んでいるから検査を受けてもどこも悪くはない」等と、
最初から治す事を妥協したり諦めるのは、
今後の事を考えると得策ではないからです。

ところが非常に多くの人が、
健康(病気を含む)問題を、
医療(医学)の分野だけに限定して考えていて、
この考え方や方法で良い結果が出なければ(治らなければ)、
次の一手(打開策)がないのです。
そんな事から私は健康(病気を含む)を考えるようになり、
今回は歴史から人の健康(病気を含む)を調べてみたのです。

人の歴史を考えてみますと、
嘗て一度として無病無怪我だった時代は、
何処の国にもありませんでした。
何時の時代も、
その国の環境や情勢によって流行ったケガや病気があったのです。
この事から人の歴史は、
ケガや病気との闘いの歴史だと言っても過言ではなく、
だから医療(医学)・公衆衛生・福祉等の考え方が発達したのかもしれません。

何処の国にも、
現在の科学的な医療(医学)が入ってくる迄は、
その国独自の医療がありました。
その一部を現在は伝統医学・代替療法・補完療法・民間療法等といっていて、
中にはWHO(世界保健機関)も認める正式(?)な医療もあります。

その国独自に発展した伝統医療(民間療法)は、
その国の環境・風俗・宗教に密接に関係していました。

風俗(ふうぞく、ふぞく)は、ある時代や社会、ある地域や階層に特徴的にみられる、衣食住など日常生活のしきたりや習わし、風習のことである。広く、世相や生活文化の特色をいう場合もある。類似語に世俗や習俗(習慣と風俗)がある。用例としては「明治時代の風俗」「下町の風俗」などがある。
「Wikipedia(ウィキペディア):風俗」より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E4%BF%97

日本の場合も同様で、
現在の科学的な医療(医学)が一般的でなかった時代は、
庶民は伝統医療(民間療法)を、
普通に医療(治療手段)として利用していたのです。

当時、庶民が頼っていた伝統医療(民間療法)は、
主に漢方・鍼灸・按摩・接骨(ほねつぎ)・産婆等があり、
それ以外にも宗教家(お坊サン・神主サン・祈祷師等)にも頼っていました。

「さんば【産婆】」の解説
助産師の旧称。
「goo辞書:産婆」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%94%A3%E5%A9%86/

それでは当時(主に江戸時代後半です)流行っていた病気には、
どのようなモノがあったのでしょうか?

「あっぱれ!江戸の医術 医は仁なり」によりますと、

疱瘡(天然痘)・麻疹(はしか)・水疱(水ぼうそう)・コレラ・赤痢・結核・インフルエンザ・癪(腹痛)・疝気(フィラリア)・瘧(おこり=マラリア)・痞(つかえ=鬱)・梅毒・湿瘡(しっそう=疥癬)等の感染性皮膚病
「あっぱれ!江戸の医術 医は仁なり」P96~より

と書いてありましたし、

「骨が語る日本の歴史(片山一道著)には、
江戸時代に流行っていた病気として、

「虫歯が多い。」
「梅毒が猖獗をきわめていた。」
「老人性の加齢変化が目立つ。」
「鉛汚染の問題が潜在していた。」
「骨が語る日本人の歴史」P150より

「しょうけつ【猖獗】」の解説
悪い物事がはびこり、勢いを増すこと。猛威をふるうこと。
「コレラが—を極める」
「goo辞書:しょうけつ【猖獗】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%8C%96%E7%8D%97/

と書かれてあり、
マタ当時の健康問題に関しては、

①乳幼児の死亡率が十四%ほど高かったこと、
②八〇歳以上の高齢まで生き、長寿を全うする者も少なかったこと。
③女性では、四〇~五〇歳代から四〇歳を越えるあたりの年頃で死亡率が高
 かったこと。
④男性では、四〇~五〇歳代で死亡率が高かったこと、
⑤男性のほうが女性よりも長生きの傾向にあったこと、
⑥平均寿命は四〇歳ほど、まだ「人生わずか四〇年」の時代であったこと。
「骨が語る日本人の歴史」P154より

と書いてあり、
当時に流行った病気の原因としては、
非衛生的に環境と慢性的な栄養不良を挙げていているのです。

特に慢性的な栄養不良が、
当時の人に及ぼした影響としては、

成人の平均身長は、男性で一五八センチほど、女性で一四四センチと推定できた。・・・・・今の中学生高学年ほどの身長。・・・・・日本人の歴史において、江戸時代人の背丈の低さは記録的であった。
「骨が語る日本人の歴史」P145より

「骨が語る日本人の歴史」P197より

と江戸時代を日本の歴史上最悪な栄養状態だと書いてあるのです。

因みに栄養と体格の関係については、
千島喜久男先生は「医学革命 血液と健康の知恵」の中で、
次のように書いています。

・・・それはヨーロッパやアジアから移住してきた若者たちのグループと、ヨーロッパやアジアに止まっている親族たちと比べて見るとその差は驚くべきものである。殊にアメリカで生まれたそれらの移住者の子供ははるかに身長が内地のものに比べて高いことが解った。・・・最も大きな原因は栄養にある。
「医学革命の書 血液と健康の知恵」P154~P155より

栄養状態によって体格(この場合は身長)は左右されると書いてあり、
これは体格(この場合は身長)が大きくなった(伸びた)事と、
健康状態が向上した事とはあまり関係ない・・・と考えられるのです。

ここ迄の説明で分かる事は、
江戸時代に流行った病気としては、

・寄生虫や細菌による感染症。
・栄養不良が起因する病気。
・生活習慣病
・事故によるケガ。

といえるのです。

因みに私の接骨院に来る一部の自然派サンは、
(自然派サンとは現在の科学的な医療や薬を否定して、
 分かり易いところでは有機無農薬栽培のコメや野菜を食べたりして、
 独自の考え方や方法で健康管理をしている人です。)
然も江戸時代が理想的であるかのように考えている人が多いのですが、
それは、
電磁波や合成洗剤等の人工のモノが少ない。
環境汚染が少ない。
食品も地産地消で有機無農薬野菜と天然物(養殖はない)。
等の理由からなのでしょうが、
然しソノ反面では身体(健康)には非常に厳しく、
現在以上に様々な病気が蔓延していて、
医療福祉に関するモロモロも発達整備しておらず、
弱い人から淘汰されていく弱肉強食の時代ともいえる状況である事は、
あまり考えていないようです。

私はそんな時代に比べれば、
現在の方が健康(病気を含む)に関しては余程マシだと、
私は思うのですが・・・。

このように健康に非常に厳しい江戸時代でも、
私達にとって参考になる事は、
身体には厳しくて平均寿命も今の半分程度しかなかった時代でも、
それでも生きている間は、
医療に頼らなくても(必要最小限度の代替療法だけに頼っただけで)、
元気に一生を送れた人も多くいた事です。
(いなければ日本人はトックに滅亡しています。)

そして健康に厳しい時代を、
医療(医学)に頼らなくても生き抜いてこれたのは、
当時の人にとっては本意不本意に係わらず、
生活全般で体調を崩さない最低限度の生活ができていた事と、
(その一部は今でも諺・食べ合わせ・風習として名残りがあります)
必要最小限で伝統医療(民間療法)に頼っていたからだと思います。

それでは普段の生活習慣と、
必要最小限の伝統医療(民間療法)だけで、
体調を維持していた(普通に生活していた)当時の人は、
一体どれ程の健康状態だったのでしょうか。
これに関しては、
当時来日した外国人が残した記録から知る事ができます。

最初に紹介するのは、
トロイアの遺跡を発見したシュリーマンの日記です。

・・・荷物を解くとなると大仕事だ。できれば免除してもらいたいものだと、官吏二人にそれぞれ一分ずつ出した。ところがなんと彼らは、自分の胸を叩いて「ニッポンムスコ」[日本男児?]と言い、これを拒んだ。日本男児たるもの、心づけにつられて義務をないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである。・・・
「シュリーマン旅行記 清国・日本」P78~P79より

日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなにん貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている。しかも気候が素晴らしい。いつも春の陽気で、暑さにうだることも、寒さを嘆くこともない。しかし、にもかかわらず日本には他のどの国よりも皮膚病が多い。疥癬を病んでいない下僕を見つけるのに苦労するほどだ。この病気の原因を探るには実に苦労した。いろいろ見聞きしたことから推量するに、唯一の原因は、日本人が米と同様に主食にしている生魚(刺身)にあると断言できると思う。
「シュリーマン旅行記 清国・日本」P87~P87より

シュリーマンは当時の日本人が、
他のアジアの国の人と比べても、
そればかりか先進国であるヨーロッパの人と比べても、
精神的に優れていたと書いているのです。

次は日本に西洋式(ドイツ式)医学を伝える為に、
明治政府がドイツから招聘した医師のベルツ先生が行った実験で、
車夫を使ったものです。

車夫に実験せる肉食と菜食
菜食者の気力の方が肉食者の気力より優っている。菜食者の歩行に耐え得る力は肉食者のそれより遙かにつよいと云うことについて玆で是非とも紹介したい例がある。
 それは曾て東京帝国大学の教授であったベルツ博士が日本在留中に自分が抱えていた二人の車夫について、この肉食と菜食の優劣を試してみて、やはり菜食が勝利を得たという実験、博士の下にいた車夫は二人とも筋骨逞しく一人は二十二歳で一人は二十五歳、両人とも体重八十キログラム(約二十一貫)の博士を乗せて、三週間の間、毎日四十キロメートル(約十里)を走らせて、二人は八月の暑さに閉口たれずよくこれに耐え得た。この間は米に馬鈴薯、大麦、栗、百合その他日本人の通常食、勿論各食物とも厳重に量ってその成分を定めておいた。それから今度は彼等に肉食をさした。初めの中には二人は非常に喜んだ。ところが三日目になると二人とも肉食はよして呉れと博士に嘆願した。その訳は身体が非常に疲れて、とても以前のように十里の道は走れないという。そこで再び初めの菜食に返した。すると初めと同様の成績であったという。
 更にベルツ博士は日光東京間百十キロメートル(約二十八里)を今度は馬と人間とについて実験してみた処、博士の乗った馬は六度取換えて十四時間で日光へ着いた。もう一人の日本人を乗せた人力車夫はそれより僅か三十分おくれて十四時間と三十分で着いた。菜食している人間の気力、忍耐力の強さはこれでも分る筈だ。日露、青島戦、済南事変等に際して歩行、気力、その他で日本兵の強かったことは「兵食」の項で記す通りである。
「食物大觀」P107より

この実験は「ベルツの日記」(岩波文庫)には掲載されていません。
(少なくとも私には見つけられませんでした。)
またインターネットで調べても信憑性が疑われているモノでしたが、
昭和10年に刊行された「食物大觀」には、
この実験が紹介されている事から、
一概に作り話しとも言い切れないので引用しました。

【参考資料】
「長生きしたければ朝食は抜きなさい」
甲田光雄監修/東茂由著  河出書房新社刊
「あっぱれ!江戸の医術 医は仁なり」
徳間書店 刊
「骨が語る日本人の歴史」
片山一道 著  株式会社 筑摩書房 刊
「医学革命の書 血液と健康の知恵」
千島喜久男 著  地湧社 刊
「シュリーマン旅行記 清国・日本」
ハインリッヒ・シュリーマン 著/石井和子 訳  株式会社 講談社 刊
「ベルツの日記」(上)
トク・ベルツ 編/菅沼竜太郎 訳  株式会社 岩波書店 刊
「食物大觀」
雨森兼次郞 著  正しき生活研究會 刊

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家畜の健康管理

2024年03月25日 | 現状

健康の定義か曖昧だったり、
病気には定義すら決まっていない状況で、
現在の医療(医学)が、
病気基準で健康(病気を含む)を考えている事で、
健康は難しいどころか訳の分からない変なモノになってしまいました。
(病気基準の健康とは、
 病気になる事を前提に健康(病気を含む)を考える事です。)

それは医療福祉の専門家も同様で、
健康や病気を医療(医学)の理屈だけで考えて難しくしてしまった分、
健康増進ばかりか体調不良(ケガや病気を含む)の回復や病気予防も、
努力して勝ち取るものと考えて(勘違いして)、
然もスポーツで試合に勝つ為に人一倍練習したり、
然も試験に合格する為に寸暇を惜しんで勉強するのと、
同じように考える人が多くなってしまったのです。

「寸暇(すんか)を惜(お)しむ」の解説
少しの時間も無駄にせず活用する。「—・んで読書する」
「goo辞書:寸暇(すんか)を惜(お)しむ」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%AF%B8%E6%9A%87%E3%82%92%E6%83%9C%E3%81%97%E3%82%80/

それが国民総不健康時代といっても過言ではない状況で、
伸び続ける国民医療費を抑制する為に、
(決して国民保健の向上が目的ではありません。)
厚生労働省は様々な対策を講じてきた成果の一つなのです。

平成14年(2002年)に健康増進法が開始されてからは、
医療福祉の専門家が様々なところに出没してき、
病気の早期発見や病気予防の大切さを啓蒙し始めて、
正しい生活習慣(???)を指導するようになりました。
それは、
「カロリーや栄養のバランスを考えた規則正しい食事をする。」
「規則正しい生活習慣を身に付ける。」
「定期的に運動(スポーツ)する。」
「常にプラス思考で前向き積極的に生活する。」
「感染症の予防の為に自ら進んで(半ば強制的に)予防接種を受ける。」
「病気の早期発見の為に特定(メタボ)健診を受ける。」
「病気になったら早期にお医者サンに診てもらう。」
等は誰でも聞いた事があると思いますが、
これは少し考えてみますと、
牛や豚等の家畜の健康管理と同じモノだと分かるのです。
仮に家畜と同じ健康管理だったとしても、
私達が健やかな生活が送られるのなら何等問題はないのですが・・・。

家畜は屠畜が前提ですから、
本来の寿命を全うする事はありません。
それでは家畜はどのぐらいの期間で屠畜されていくのでしょうか?
ブログ「ラブレター from CANADA」には次のように書かれていました。
(人の場合はこのブログとは関係ありません。)

「ラブレター from CANADA」より

ブログ「ラブレター from CANADA」によれば、
家畜は本来の寿命の1割にも満たない期間に屠畜されているのが分かります。

つまり家畜の健康管理は、
家畜が生後から数年間の元気な時期に行なわれているのですが、
人の場合は違っていて、
家畜と同様の健康管理を多くの人は、
人生下り坂に差し掛かり体力気力が衰え始めて、
健診検査で異常が見つかった時から始めているのです。

家畜の健康管理は、
寿命を全うする事が目的ではありません。
短い期間の健康(商品価値)が維持できる事が目的ですが、
それでも健康(商品価値)が維持できない場合は殺処分も許されています。
然し人の場合は違っていて、
多くの人が40~50歳の体力気力が衰えて、
健診検査で異常が見つかってから始めるのですが、
正しい生活習慣を身に付けるという大義名分がありますから、
一度始めたら生きている(動ける)限りは続けなければならないのです。

それがどのぐらいの期間になるのか?

平成22年(2010年)の日本人の平均寿命で考えてみますと、
男性79.64年で女性86.39年ですから、
仮に50歳で始めたとしたら三十数年間は続けなければならず、
これは家畜よりも圧倒的に長い期間になるのです。
そしてこの期間は、
如何なる状態になっても殺処分は許されないのです。

平均寿命の解説
人口統計では、定常な(対象となる年の各年齢の死亡率が今後も維持される仮想的な)個体群について平均寿命を求める。つまり、平均寿命とは0歳の平均余命のことである。平均余命は年齢によって異なり、例えば平均寿命が80歳だとしても、今79歳の人が平均であと1年しか生きられないということではないので注意が必要である。
「Wikipedia(ウィキペディア):平均寿命」より

(平均寿命に関しては、
 Wikipedia(ウィキペディア)ではこのように解説されていて、
 私達が考えているであろう平均寿命とは少し意味が違うと思いますが、
 このブログでは一般的に考えてられているであろう平均寿命で説明します。)

(家畜の殺処分を人の場合で考えますと、
 安楽死とか尊厳死というのでしょうが、
 日本では基本的に認められていません。)

マタ家畜は全頭が同じ環境で同じ日課で生活していますから、
画一的な健康管理でもマダ通用するのでしょうが、
人の場合は違っていて、
生活は十人十色で同じ環境で同じ日課で生活する人は一人もいないのです。
それが老若男女や職業程度の大雑把な区分けだけで、
現在の多様化した人の生活習慣に対応できるのでしょうか。

この事だけを考えても、
人と家畜とでは見事に条件が真逆な事が分かります。
この相反する二者が、
同じ考え方の健康管理が通用するとは私には思えず、
特に人の場合には通用しないと思うのですが、
そんな事を検証した資料はありません。。。が、
家畜と同じ考え方の健康管理を、
長期に亘って実践しても非常に限定的な効果しかないのではと、
思ってしまう根拠は幾つかあり、
その一つが平均寿命と健康寿命の十数年の乖離なのです。

健康寿命の解説
WHOが2000年にこの概念を提唱した。平均寿命から日常的・継続的な医療・介護に依存して生きる期間を除いた期間が健康寿命になる。
平均寿命は寿命の長さを表しているが、健康寿命は日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間を表し、健康寿命が高いほど、寿命に対する健康寿命の割合が高いほど、寿命の質が高いと評価され、結果として医療費や介護費の削減に結び付く。
世界保健機関も世界各国の政府や保健医療政策を管轄する行政機関(一般的には保健省という名称である)も、健康寿命を高め、寿命に対する健康寿命の割合を高めることを重要な政策目標にしている。
「Wikipedia(ウィキペディア):健康寿命」より

つまり医療(医学)福祉の専門家が指示指導する健康管理は、
人生最後の十数年間は、
自分で身の周りの事ができなくなるものと考えられるのです。
(当然個人差はありますが・・・。)
~2024年追記:
WHO(世界保健機関)が健康寿命という概念を提唱した2000年から、
20年以上経ちますが、
今でも平均寿命と健康寿命の十数年の乖離は(大して)縮まってしません。~

「がいねん【概念】」の解説
1 物事の概括的な意味内容。「—をつかむ」「文学という—から外れる」
2 《concept》形式論理学で、事物の本質をとらえる思考の形式。個々に共通な特徴が抽象によって抽出され、それ以外の性質は捨象されて構成される。内包と外延をもち、言語によって表される。
「goo辞書:がいねん【概念】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%A6%82%E5%BF%B5/

それでは限定的な効果しかないと、
私には思えてしまう家畜の健康管理で、
効果がある人とはどんな人なのでしょうか?

それは普通に娑婆で生活している人であれは、
単なる過食偏食が原因で最近体調を悪くした人が、
規則正しい食事や多少の食事制限をして、
一時的に体調が改善するとか、
単なる運動不足が原因で最近体調を悪くした人が、
定期的に運動(スポーツ)を始めて、
一時的に体調が改善するとか、
元々が頑丈にできている高齢者がお遊戯程度の気分転換をして、
一時的に多少体調が改善する程度だと思われるのです。

マタそれ以外の人では病気で入院中の病人です。
この場合は病気の回復(緊急事態を脱する事)が最優先になりますから、
普段の仕事や趣味や付き合いを休んで、
治療の為に専門の施設(病院)に寝泊まりする事になります。
そこは集団生活ですから規則正しい日課で生活して、
治療の妨げにならない程度にカロリーや栄養のバランスを考えた、
大して美味しくもないエサのような食事をして、
問答無用に禁酒・禁煙・減塩をさせられて、
寝てばかりだと体力が落ちるからと、
少しでも体調が安定してくると、
散歩と称して病院内を歩かされて(徘徊)、
刺激の少ない退屈な毎日を過ごしていると、
ロクな事を考えなくなってしまうから、
敢えてプラス志向になり闘病する気持ちを奮い立たせて、
辛い検査や治療に積極的に協力するのですが、

マサにこれが家畜と同じ健康管理であり、
そして病気で入院中の病人の生活(家畜の健康管理)を基に、
娑婆で生活する人用に考えられたのが、
今、医療福祉の専門家が啓蒙している生活習慣の指導だといえるのです。

ここで私達が考えてみる事は、
牛や豚等の家畜や、
病気で入院している病人は、
その生活を支える多くの専門スタッフが揃っている事です。

だから何も考える事もなく努力する事もなく、
体調不良(ケガや病気を含む)を治すのに(回復を目指して)、
理想的(???)な生活が送られるのですが、
ある程度、
体調不良(ケガや病気を含む)が回復して退院した人や、
入院する迄もない体調不良(ケガや病気を含む)の人が、
仕事や趣味やその他の事をしながら、
この理想的(???)な生活をどこまでできるのでしょうか?
実際に日常生活の片手間に実践するには、
難しい事が幾つもあるのです。

これに関して医療福祉の専門家は「適度」「適切」という言葉を使い、
「無理をしないように」とも言っているのですが、
ソモソモ何が「適度」「適切」かが分かっていないから、
体調不良(ケガや病気を含む)になり、
一度なった体調不良(ケガや病気を含む)が治らないのです。

ですから医療福祉の専門家の行う生活習慣の指導は、
実践する人が「適度」「適切」が分かるように、
日常生活に無理のない範囲で指導する事が大切だと思うのですが、
実際に私の接骨院に来るお客サンの話しを聞いていますと、
画一的な指導だけで済ませられて、
実践する人自身が、
「適度」「適切」を見つける事はできていないのです。

その結果、
普段の生活を犠牲にしてでも努力した人や、
何の努力もしていなくても口では「ヤッている」と言う嘘つきサンも、
検査結果が良ければ評価されるのです。

(逆に普段の生活を犠牲にして努力しても、
 検査結果が悪ければ評価されません。
 その場合は全て指導を受けている私達に非があるように思われて、
 決して指導した専門家自信に非があるとは思っていないようです。)

普通に娑婆で生活する人が実践するには、
難易度の高いものが幾つかあると思われる、
医療福祉の専門家の行う生活習慣の指導が、
幾ら身体に良い(正しい)モノ(???)だったとして、
体調不良(ケガや病気を含む)が回復(???)してからも、
続けられる人がどの程度いるのでしょうか?

最初は体調不良(ケガや病気を含む)を治したい一心で、
一途に続けていたとしても、
体調不良(ケガや病気を含む)が回復していく(???)に従って、
徐々に仕事や趣味や付き合いが優先されていき、
自分なりにアレンジしていく人が多いと思います。

自分なりにアレンジする事は確かに大切なのです・・・が、
ここで少し考えてみる事は、
自分なりにアレンジしていく時に、
自分の身体に良い事や悪い事を考えてアレンジするのではなく、
例えば運動(スポーツ)の好きな人は運動(スポーツ)をヤル事で、
(然しこの時に運動(スポーツ)を休む事を考える人はいませんが・・・)
食べる事が好きな人は栄養を考えた食事やサプリメントを使ったりして、
(然しこの時に食事を休む事を考える人はいませんが・・・)
自分の好みや得手や手間のかからない事を選択する人が多い事です。
そんな人は自分なりのアレンジをしていった結果、
体調不良(病気を含む)になる前の生活習慣に戻っている人もいるのです。

医療福祉の専門家の行う生活習慣の指導(「食事」「運動」)は、
牛や豚等の家畜が屠畜される迄の短い期間や、
病気で入院している病人が入院している短い期間だけ、
利用する分には一定の効果はあります・・・が、
だからといって体調不良(ケガや病気を含む)でも、
普通に娑婆で生活している人が長期に亘って利用するには、
幾つか問題になる事がある(使えない)と思います。

それは普段の仕事や趣味の妨げになったり、
毎日続けるには難易度の高いモノが多く現実的ではない事と、
この現実的ではない(難易度の高い)生活習慣の指導(「食事」「運動」)を、
努力して続けたとしても、
どれ程の病気予防や健康増進ができるのかは、
医療福祉の専門家も含めて私達はあまり分かっていないからです。

だから体調不良(ケガや病気を含む)でも、
普通に娑婆で生活できている人の場合は、
医療福祉の専門家の言っている身体に良い事や悪い事を、
実際に自分の生活で試して、
その結果を自分で判断していかなければならないのです・・・が、
それは相当難度が高い事なのです。

【参考資料】
「ラブレターFromCANADA」
http://plaza.rakuten.co.jp/fuguchanincanada/diary/200605160000/
「Wikipedia(ウィキペディア):平均寿命」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%AF%BF%E5%91%BD
「Wikipedia(ウィキペディア):健康寿命」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%A5%E5%BA%B7%E5%AF%BF%E5%91%BD

コメント
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病気基準の健康

2024年03月18日 | 現状

人間は病気をしないもの
・・・今日の人は、生理学、医学、親から、人間は病気をするものと教えこまれている。これがいけない。自然科学は発達の途中で、未だ分からぬものがいろいろある。たとえば人間とは何か。そのほんの一面が分かっただけで、本当の姿は分かっていない。だから一面では自然治癒力の存在を認めながら、これは一体何か、どうとり扱ったらよいかが分からぬままに、自然治癒力を第一義とした治療を行う者がいない。だから病気は治せない。
「スピリチュアルな生き方原典 日本神霊主義聴聞録」P180より

これは日本のスピリチュアルの第一人者であった脇長生先生の言葉です。
この言葉から私達が知っておく事は、
宗教(スピリチュアル)も人の健康を考える分野だという事です。

脇長生は兵庫県飾磨(現在の姫路市)生まれ。少年期は岡山県和気で過ごし、山中で仙人に会い、数々の奇跡体験をする。二十二歳の時肺結核になるが、単身で無人の家島に渡る。途中船から医薬を捨て数か月間修業。その間に見神の体験をして病気は消える。京都府立医大研究室で医学を修し、Y製薬会社の顧問を務める。他方、浅野和三郎の「心霊科学研究会」で審神者となり和三郎を補佐。心霊の科学研究に努める。浅野の没後(昭和十二年)より、事実上心霊科学研究会を引き継ぎ、昭和五十三年七月一日没(八十八歳)まで、月刊「心霊と人生」誌を発行し続け、日本に正統な心霊研究の灯を守り通した。
「スピリチュアルな生き方原典 日本神霊主義聴聞録」より

これは以前にテレビで観たのですが、
未開の地では今でもシャーマン(呪術師)が病気を治していましたし、
日本でも現在の科学的な医療(医学)が入ってくる迄は、
お坊サンや神主サンや祈祷師が普通に病気を治しをしていたのです。

そして現在の医療(医学)の歴史を調べても、
医療と宗教(スピリチュアル)は元は同じ・・・といいますか、
宗教(スピリチュアル)の一部が医療だったのが、
19世紀から宗教的な考え方を排斥していったのが、
現在の科学的な医療(医学)の流れなのです。

中世・近代初期ヨーロッパ医学
中世ヨーロッパではギリシア・ローマの学問の成果の多くが失われた。中世初期の医学知識の主流は、主に修道院などに保管されて現存していたローマの文献だった。これらの施設にはしばしば病院が併設されていた。また、医学知識を代々伝承し、地域的な民間療法が行われた。
近代医学
化学や研究技術・施設の発展により、医学は19世紀以降に大変革を起こした。伝染病についての旧来の考えは、微生物学とウイルス学に取って代わられた。
「Wikipedia(ウィキペディア):医学」より

ですから脇長生先生が宗教家の立場から、
「人間は病気をしないもの」と発言したのは当然の事で、
これは基礎的な生理学の教科書を読んでも、
脇長生先生の発言を裏付ける部分が多くある事でも分かるのです。

私達の身体は外界からの刺激や有害な物質から、
身を守る為の様々な仕組みを備えていて、
その仕組みの一部を、
「免疫」「恒常性(ホメオスターシス)」「自然治癒力」といっているのですが、
その仕組みは24時間年中無休で働いていますから、
それが正常に働いている限り、
私達は一生を通して健やかな(元気な)生活が送られるのです。
(但しこれは身体がどんな状態でも症状を感じない事ではありません。)
これが脇長生先生流の言葉では、
「人間は病気をしないもの」になるのです。

恒常性(こうじょうせい)ないしはホメオスターシスとは、生物において、その内部環境を一定の状態に保ちつづけようとする傾向のことである。
「Wikipedia(ウィキペディア):恒常性」より

マタ身体に備わっている仕組みが正常に働いていれば、
私達が健やか(元気)な生活が送られる事は、
先人の残した文献からも何となく知る事ができます。

例えば貝原益軒先生は「養生訓」に、

・・・ひとの健康についても同様で、養生の術を学び持続して実行すれば、身体壮健にして病むことはなく、天寿をたもち長生きをして、長く楽しむことは必然であろう。これは自然の理であって疑ってはならないのである。
「養生訓 全現代語訳」P30~P31

と書いていますし、
ルイジ・コルナロ先生は「無病法 極小食の威力」で、

わたしはこれまで、老年というものが、
これほど素晴らしいものとは知らなかった
「無病法 極少食の威力」p1より

と書いていて、
何れの先人も、
加齢が原因で体調不良(病気)になるとも、
体調不良(病気)か年(加齢)が原因で治らないとも、
書いていないのです。

貝原益軒(1630年12月17日(寛永7年11月14日)~1714年10月5日(正徳4年8月27日))は、江戸時代の本草学者(現代で言う薬学者)、儒学者。 50年間に多くの著述を残し、経学、医学、民俗、歴史、地理、教育などの分野で先駆者的業績を挙げた。
「Wikipedia(ウィキペディア):貝原益軒」より

ルイジ・コルナロ(1464~1566)は、ルネサンス期のイタリアの貴族で、ヴェネツィア共和国パドヴァ市の行政長官などを務めました。彼は暴飲暴食にあけくれた結果、30代でさまざまな成人病を患い、40代で生死の淵をさまよいました。12 彼の健康法は、極少食に徹することでした。彼はパン、卵の黄身、少しの肉、スープのみを摂取し、1日の総量は約350グラム(炊いた米1合ぶんに相当)でした。2 このシンプルな食事法が彼の健康長寿の秘訣となり、102歳まで生き、自然死の天寿を全うしました。
「Copilot(コパイロット):ルイジ・コルナロ」より

ところが現在は違っていて、
脇長生先生が言っている、
「人間は病気をしないもの」を前提に健康を考えることをせず、
「人間は病気をするもの」と病気になる事を前提に、
健康(病気にならない事)を考えるようになったのです。
これを私は病気基準の健康と言っています。

病気基準で健康(病気にならない事)を考えますと、
健康は訳の分からない難解なものになってしまいます。
それは体調不良(ケガや病気を含む)が回復した(治った)時が、
分からないからです。
これに関しては後述します。

これは私達が体調が優れない時に、
医療機関を受診すると分かります。
(私は医療機関を受診した事がありませんから、
 ここからは私の接骨院に来るお客サンの話しです。)
この時には自分の症状を、
お医者サンに訴えた後に検査を受けるようですが、
この時の検査に明確な異常が見つかればマダマシです。
それはお医者サンは、
体調が優れない理由を明確に説明してくれて、
正しいのか間違っているのかは別として、
病名を付けて治療を始めてくれるからです。
(然しこれも幾つかの問題はありますが・・・後述します。)

問題なのは検査で(大した)異常が見つからなかった時です。
この場合にお医者サンは、
「検査の結果は(大した)問題はありません。」
「医学的にはどこも悪くありません。」
みたいな事を言って、
この時の体調不良の原因を、
その人が体調不良になった原因かどうかは分からない、
「加齢(更年期)」「ストレス(疲労)」「運動不足」「食べ(飲み)過ぎ」
等の曖昧なものにして、
「暫く様子を観ましょう。(実際の放置)」
「念の為に(万が一を考えて)薬を飲みましょう。」
「これからは病気(痛み)と上手に付き合っていきましょう。」
みたいな見当外れな事を言われる人が多いようです。

そして検査結果で病名が付いて始めた治療(この場合は特に薬)でも、
検査結果が良くなってからも、
「念の為」「万が一」みたいな事を言われて、
何時迄も治療(この場合は特に薬)が続く人が多いようなのです。

これはお医者サンが、
健康がどのような状態なのか良く分かっていないから、
便宜上「検査に異常がない=病気ではない=正常(健康?)」と、
考えているからなのでしょう・・・が、
この考え方(公式=上の赤字)で健康(病気を含む)を考える事は、
お医者サンが病気の治療だけを行っていた頃(高度経済成長期)迄は通用しても、
(それでも調べてみますと少しずつ綻んできていましたが・・・)
時代が平成になり、
厚生労働省が病気を治療から予防へと方針を変更してからは、
明らかに旧態依然の考え方(公式=上の赤字)になってしまったのです。
(旧態依然とはこの考え方だけで、
 健康(病気を含む)を考えるのは無理があるという意味です・・・後述します。)

それは平成以降の考え方は、
少なくとも体調不良(ケガや病気を含む)の回復を含めて、
病気予防や健康増進を考えるのであれば、
マズは検査に(大した)異常が見つからない、
些細な体調不良(ケガや病気を含む)を適切に回復させて(終わらせて)、
中途半端に状態で残さないようにする事が大切だからです。

それが私達の身体への余分な負担を軽減して、
医療費(個人分も国分も含めて)も軽減できて、
本来の意味での病気予防や健康増進につながるのですが、
然し私達にしても、
旧態依然の考え方(公式=上の赤字)に慣れ親しんで、
その恩恵(薬の即効性等)を十分に受けてきましたから、
病気予防が大切だと考えられるようになった今でも、
旧態依然になってしまった健康観(健康や病気の考え方)を見直す事ができず、
今の体調不良(ケガや病気を含む)が治らないのは棚に上げて、
病気予防や健康増進を目指して、
何等かの事を先走ってヤッているのです。

マタお医者サンは、
定期的に健診検査を受けて、
病気を早期発見早期治療する事が、
病気予防と考えている(?)ようですが、
幾ら検査の結果では早期と考えられる程度の(些細な)異常でも、
その状態に至った原因と時間が分からなければ、
本当に早期発見なのかは分からないのですが、
実際には健診検査で(大した)異常ではない体調不良(ケガや病気を含む)は、
病気の早期発見早期治療が大切だと考えられて、
病気予防が大切だと考えられるようになった現在でも、
健診検査に(大した)異常がでない体調不良(ケガや病気を含む)は、
軽くアシラッているのです。
これは健診検査に(大した)異常がでない体調不良(ケガや病気を含む)に関して、
お医者サンは「分からない」・・・という事になるのです。
ですから検査結果に明確な異常がでる体調不良(ケガや病気を含む)には、
自信をもって対応してくれるお医者サンが、
(それでもイロイロと不都合な話しはありますが・・・後述します。)
検査結果に(大した)異常が出ない体調不良(ケガや病気を含む)には、
曖昧な対応になってしまうのでしょう。

お医者サンが、
実際の健康がどのような状態かを知らないのは、
仕方がない事だと思います。
それは現在の科学的な医療(医学)が日本に入ってきたのは、
今から150年程前の明治時代ですが、
以来一貫として病気(当時は主に感染症)だけを研究して、
病人だけを診てきた当時の医療(医学)は、
実際の健康がどのような状態なのかは研究していないのです。
(戦争時代の「731部隊」とか「九州大学生体解剖事件」は除きます。)

731部隊(ななさんいちぶたい)は、第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍に存在した研究機関のひとつ。
正式名称は関東軍防疫給水部(関東軍防疫部から改称)。731部隊の名は、その秘匿名称(通称号)である満洲第七三一部隊の略。なお、1941年3月に通称号が導入されるまでは、指揮官であった石井四郎の苗字を取って石井部隊と通称された。
概要
満洲に拠点を置き、兵士の感染症予防や、そのための衛生的な給水体制の研究を主任務とすると同時に、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関でもあった。そのために人体実験や、生物兵器の実戦的使用を行っていたとされる。
「Wikipedia(ウィキペディア):731部隊」より

九州大学生体解剖事件(きゅうしゅうだいがくせいたいかいぼうじけん)は、第二次世界大戦中の1945年に福岡県福岡市の九州帝国大学(現九州大学)医学部の解剖実習室で、アメリカ軍捕虜8人に生体解剖(被験者が生存状態での解剖)が施術された事件。相川事件ともいわれる。8人は全員死亡した。
大学が組織として関わったものではないとの主張もあるが、B級戦犯裁判ならびにその後の関係者の証言、関係者の反倫理的行為への意図的な隠蔽と否認などから、医学部と軍部の両方による計画的実行であったとする見解もある。
「Wikipedia(ウィキペディア):九州大学生体解剖事件」より

それでも昭和の中頃(高度経済成長期)迄はケガや感染症も多く、
対症療法でも十分でしたから、
実際に健康が分からなくても通用していたのですが、
昭和も後半(バブル期頃)になり、
生活習慣病(当時は成人病=慢性の体調不良)が無視だきない程増えてきますと、
それ迄の考え方や方法が通用しない事が明らかになってしまったのです。

慢性の体調不良(急性期のケガや感染症を除く)が、
どのような病気であった(病名がついた)としても、
原因は日常生活で何か間違った事をしていたり、
急性の体調不良(ケガや病気を含む)を回復し損ねたり、
身体に負担をかける生活を続けてきたりして、
身体の働きを弱めてしまったのを適切に回復させられず、
身体の働きが弱った儘で生活してきた結果、
症状(検査も症状の一つ)が出たものだと私は思っています。

ですから幾ら健診検査で(大した)異常でなかったとしても、
明確な理由もなく不快な症状が出てきた時は、
マタは一度出た不快な症状が消えなくなった時は、
身体が自力で症状(検査も症状の一つ)が消せないほど弱ってしまった
つまり身体の働きが相当弱ってしまったと考えられるのです。

この事から検診検査の結果が大した異常でなかったとしても、
本当に「大した事がない」のか、
本当に「早期発見の段階」なのかは分からないのです。

慢性の体調不良(病気を含む)の場合は、
その人の生活習慣(生活信条)や仕事や趣味嗜好等を事細かく聞き、
身体の働きを弱めているもの(原因)がナニか、
弱った身体の働きの回復を邪魔しているものはナニかを考えて、
そこで分かったモノ(原因)が、
一過性のものなのか継続的なものなのかを考えて、
大したものではないのか大したものなのかを判断するしかないのです。

これに関してお医者サンは、
既往歴や今飲んでいる薬は聞いても、
それを今の体調不良(病気を含む)に関連は考えず、
「加齢(更年期)」「ストレス(疲労)」「運動不足」「食べ(飲み)過ぎ」等、
その人が体調不良(病気を含む)になった原因かどうかが分からない、
当たり障りのない原因(らしきもの)でお茶を濁してしまうのです。

「御茶(おちゃ)を濁(にご)す」の解説
いいかげんに言ったりしたりしてその場をごまかす。
「goo辞書:御茶(おちゃ)を濁(にご)す」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%BE%A1%E8%8C%B6%E3%82%92%E6%BF%81%E3%81%99/

マアお医者サンの治療法は、
今でも体調不良(病気を含む)は、
急性慢性を問わず症状(検査も症状の一つ)を消す事だけですから、
お客サンの生活習慣(生活信条)や既往歴(治療歴)を、
根掘り葉掘り聞く必要はないのでしょう・・・が、
ここで私達が知っておいた方がお得な事は、
症状(検査も症状の一つ)は基本的(緊急時でなければ)に、
消すものではないという事です。

それは症状は、

①身体の異常を知らせる警告信号。
②症状自体が傷めた(弱った)身体を治す。

という意味もあるからです。
これに関しては後述します。

「ねほりはほり【根掘り葉掘り】」の解説
《「葉掘り」は「根掘り」に語調を合わせたもの》徹底的に。しつこくこまごまと。「わけを—尋ねる」
「goo辞書:ねほりはほり」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%A0%B9%E6%8E%98%E3%82%8A%E8%91%89%E6%8E%98%E3%82%8A/

症状を警告信号という意味で考えますと、
治療と称して薬で症状(警告信号)だけを消してしまう事は得策ではありません。
それは仮に症状(検査も症状の一つ)が消えて身体は楽になったとしても、
原因が野放しになってしまうからです。
そして体調不良(ケガや病気を含む)になる度に、
治療(対症療法)で症状(検査も症状の一つ)を消す事を繰り返すと、
体調不良(病気を含む)になったモノ(原因)を、
幾つも身体に残してしまう事になりますから、
身体の楽は続いても、
実際に身体の働きが弱っていくのは当然なのです。

マタ身体は症状を感じる事で修復を始めるのですが、
治療(対症療法)で症状を消してしまうと、
身体は異常を判断し難くなってしまう事です。
つまり疑いながらも正常と判断してしまうのです。
当然、回復する事はありません。

この二つの事を考えますと、
治療(対症療法)で症状(検査も症状の一つ)だけを消してしまう事は、
その治療自体が、
体調不良(病気を含む)の回復を邪魔する原因にもなっている・・・と考えられるのです。

以上の事から慢性の体調不良(病気を含む)に対して、
対症療法で症状(検査も症状の一つ)だけを消す事は、
諺でいう「臭いモノに蓋をする」とも言えます。

「臭(くさ)い物(もの)に蓋(ふた)をする」の解説
悪事や醜聞などを、他に漏れないように一時しのぎに隠そうとするたとえ。
「goo辞書:臭い物に蓋をする」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%87%AD%E3%81%84%E7%89%A9%E3%81%AB%E8%93%8B%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B/

そして体調不良(ケガや病気を含む)になる度に、
対症療法で症状だけを消す事を繰り返しますと、
何れ蓋をしきれなくなり臭いモノが溢れてくるのです。
それが身体の場合では、
今受けている治療(施術)の効果が薄らいできたり、
その原因が起因した、
新たな体調不良(病気を含む)を引き起こしていくのです。
その時を私は「ツケの清算が始った」と言っています。

急性の体調不良(ケガや病気を含む)は、
マダ原因が分かり易いのですが、
慢性の体調不良(病気を含む)は原因が分かり難いものです。
然しそれは原因がないという事ではありません。
必ず原因はあるのです。
(これに関しては後述します。)

然し脇長生先生が言ったように、
「今日の人は、生理学、医学、親から、人間は病気をするものと教えこまれている」と、
病気基準で健康(病気を含む)を考えるようになってしまいました。
病気基準で健康を考えますと、
慢性の体調不良(病気を含む)の原因は分からなくなるし、
体調不良(病気を含む)になった原因を誰も考えなくなってしまうし、
体調不良(ケガや病気を含む)が回復した時も分からなくなってしまうのです。
そして一度治し損ねたモノは中途半端な状態で身体に残ります。
清算しない(治さない)限り一生残ります。
ですから何年経ったとしても、
「ツケの清算が始まった(体調が悪くなった)」時には、
それが慢性の体調不良(病気を含む)だつたとしても、
回復する(治す)のであれば原因を特定しなければならないし、
原因を特定して適切に解消できなければ、
病気予防や健康増進もないのです。

今ではテレビやネットや本(雑誌)等で、
お医者サンを含めて医療福祉の専門家は、
私達にイロイロな事を教えてくれています。

体調不良(病気を含む)になった原因を、
「加齢(更年期)」「ストレス(疲労)」「運動不足」「食べ(飲み)過ぎ」
にしてしまうのもその一つですが、
それで治療や生活習慣(「食事」「運動」)の指導が始まる人もいるのですが、
その治療や生活習慣(「食事」「運動」)の指導は、
何時迄続けなければならないのでしょうか。

これも私の接骨院に来るお客サンの話しを聞いてみますと、
「正しい生活習慣を身に付ける。」
「病気を予防する。」等の大義名分により、
ズーッと続けるものだと思っている人が多くいました。
(できるかできないかは別問題です。)
これはお医者サンを含めた医療福祉の専門家が、
体調不良(病気を含む)が回復した時(ゴール)が分かっていないから、
回復したと思われる状態(検査結果が良くなった状態)を続ける事が、
正解だと思っている(勘違いですが)からだと思われます。
(これに関しては後述します。)

「たいぎめいぶん【大義名分】」の解説
人として、また、臣として国家や君主に対して守るべき道理・本分や節義。ある行為のよりどころとなる正当な理由や道理。▽「名分」は身分などに応じて、守るべき本分。
「goo辞書:たいぎめいぶん【大義名分】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%A4%A7%E7%BE%A9%E5%90%8D%E5%88%86/

これが「病気基準で健康を考えた」時に起きる困った事で、
この記事を読んでいる人は、
何が書いてあるのは分からなくなってきたと思いますが、
記事を書いている私もヨク分からなくなってきました。
これも病気基準で健康を考えると、
説明が難しくなり訳が分からなくなる理由の一つです。
(良い悪いが逆転してしまうからですが後述します。)

そこで医療福祉の素人である私達に大切な事は、
マダ娑婆で動ける(普通に生活できる)体調不良(ケガや病気を含む)の時期に、
(重病だったら誰もできませんから・・・)
お医者サンの健康観(健康や病気の考え方)以外の、
もう一つの健康観(健康や病気の考え方)を知り、
体調不良(ケガや病気を含む)になった時に、
どの方法で回復させていくか取捨選択できる事なのです。

【参考資料】
「Wikipedia(ウィキペディア):医学」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E5%8F%B2
「スピリチュアルな生き方原典―日本神霊主義聴聞録―」
脇長生講述/桑原啓善 筆録 でくのぼう出版 刊
「Wikipedia(ウィキペディア):恒常性」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%92%E5%B8%B8%E6%80%A7
「養生訓 全現代語訳」
貝原益軒 著/伊藤友信 翻訳 株式会社講談社 刊
「無病法 極少食の威力」
ルイジ・コルナロ著/中倉玄喜 編訳・解説 php研究所
「Wikipedia(ウィキペディア):貝原益軒」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9D%E5%8E%9F%E7%9B%8A%E8%BB%92
「Wikipedia(ウィキペディア):731部隊」
https://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A
「Wikipedia(ウィキペディア):九州大学生体解剖事件」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%94%9F%E4%BD%93%E8%A7%A3%E5%89%96%E4%BA%8B%E4%BB%B6

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曖昧な健康と病気

2024年03月11日 | 現状

今では多くの人が健康や病気に関心を持つようになりました。
然し幾ら関心を持ってイロイロな事をヤッたとしても、
体調不良(ケガや病気を含む)がナカナカ回復できず(治らず)に、
辛い思いをしている人は多くいます。

私は体調不良(緊急性の無いケガや病気等)がナカナカ回復できないのは、
その人の健康観(健康や病気の考え方)が偏ってしまった事も、
大きな一因だと思っています。
仮に健康観(健康や病気の考え方)が偏っていたとしても、
実際に健やか(元気)な生活が送られれば問題は無いのですが・・・。

私達の健康観(健康や病気の考え方)が偏ってしまった理由の一つに、
健康や病気が曖昧な事があると私は思っています。
こんな事を言いますと意外に思うかもしれませんが、
私達が普段から口にしている健康や病気は、
少なくともWHO(世界保健機関)が設立されてからも、
曖昧な儘で現在に至っているのです。

医療福祉業に従事する人であれば、
誰もが一度は聞いた事があると思いますが、
WHO(世界保健機関)の健康の定義、

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. 
健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)
「公益社団法人日本WHO協会:世界保険機構(WHO)の健康の定義」より

それではWHO(世界保健機関)の健康の定義で、
自分の健康が具体的に考えられる人がどれ程いるのでしょうか?
マタ仮に考えられたとして、
その健康の提議で考えた健康は、
他の人にも通用する(誰にでも共通する)モノなのでしょうか?
ここで私がいいたい事は、
WHO(世界保健機関)の健康の定義は、
定義というにはあまりにも曖昧で、
私達が健康を考える時には使いモノにならないという事です。

更にいえばWHO(世界保健機関)の健康の定義は、
1948年(昭和23年)に、
WHO(世界保健機関)が設立された時に考えられたものです。
1948年(昭和23年)といえば、
日本がポツダム宣言を受託した(終戦)のが1945年(昭和20年)ですから、
太平洋戦争が終わって間もない頃で、
社会はマダ落ち着いていなかったと思われます。
そんな特殊な時期に考えられた健康の定義が、
戦後70年も経ち当時とは何も彼も変わってしまった現在に、
果たして通用するものなのでしょうか?

私は通用するとは思えないし、
実際にWHO(世界保健機関)の健康の定義が、
実情に合わなくなったのでは・・・と思せる事がありました。
それは1998年(平成10年)に、
WHO(世界保健機関)では、
WHO憲章の見直しが行われて、
その時に健康の定義の改正が議論されていたのです。

WHO憲章における「健康」の定義の改正案について
1.経緯
•従来、WHO(世界保健機関)はその憲章前文のなかで、「健康」を「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」
"Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity."
と定義してきた。(昭和26年官報掲載の訳) 
•平成10年のWHO執行理事会(総会の下部機関)において、WHO憲章全体の見直し作業の中で、「健康」の定義を「完全な肉体的(physical)、精神的(mental)、Spiritual及び社会的(social)福祉のDynamicな状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」
"Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity."
と改めることが議論された。最終的に投票となり、その結果、賛成22、反対0、棄権8で総会の議題とすることが採択された。
•本件は平成11年5月のWHO総会で議論される予定。総会では参加国の2/3以上の賛成があれば採択される。ただし、改正の発効には全加盟国の2/3以上における批准手続きが必要であるが、通常は2/3の批准を得るために数年以上の期間を要している。

2.今回の提案の背景
•提案についてWHO事務局からの見解は得られていない。WHO会議での過去の議論などから、「健康」の確保において生きている意味・生きがいなどの追求が重要との立場から提起されたものと理解される。
•平成10年のWHO執行理事会では、
(1)Spiritualityは人間の尊厳の確保やQuality of Life(生活の質)を考えるために必要な、本質的なものであるという意見
(2)健康の定義の変更は基本的な問題であるので、もっと議論が必要ではないかとの意見の両方が出された。
•また、同理事会ではDynamicについては、
「健康と疾病は別個のものではなく連続したものである」
という意味づけの発言がなされている。 
「厚生労働省:WHO憲章における「健康」の定義の改正案について」より

改正案の内容は扨措き、
これは従来の健康の定義が実情に合わないと、
考えた人が多かったと思われるのです。
ナゼならば改正案は賛成多数で可決されていたからです。

然し改正案は賛成多数であったにも係わらず、
実際には改正される事なく今でも従来の定義が採用されているのです。

WHO憲章における「健康」の定義の改正案のその後について
(第52回WHO総会の結果)
1.標記については、平成11年5月17日から5月25日まで、スイス・ジュネーブにおいて開催された第52回WHO総会において審議された。
2.総会のB委員会(総務、財政、法的事項を担当)において、数カ国から憲章前文について討議すべきとの意見も出されたが、現行の憲章は適切に機能しており本件のみ早急に審議する必要性が他の案件に比べ低いなどの理由で、健康の定義に係る前文の改正案を含めその他の憲章に係る改正案と共に一括して、審議しないまま事務局長が見直しを続けていくこととされた。
「厚生労働省:WHO憲章における「健康」の定義の改正案のその後について」より

インターネットもスマホも携帯電話も無く、
コンビニも冷凍食品も無く、
医療福祉制度も公衆衛生も未熟で、
戦後間もなくの混乱した時期に考えられた健康の定義が、
当時とは何も彼も変わり、
生活様式も価値観も多様化した現在でも、
当時の健康の定義が何一つ修正される事もなく採用されているのです。

それでは健康の対義語のように使われている病気には、
どのような定義が決められているのでしょうか?
そこで病気をWikipedia(ウィキペディア)で調べてみますと、

病気は曖昧な概念であるが、個人で定義していいものではない。
「Wikipedia(ウィキペディア):病気」より

と全く見当外れな説明がされていましたから、
過去にWikipedia(ウィキペディア)に掲載されていた解説を引用しましすと、

病気は曖昧な概念であり、何を病気とし、何を病気にしないかについては、様々な見解があり、政治的・倫理的な問題も絡めた議論が存在している。英語のillness(病気)は「不健康な状態」を意味し、disease(疾患・疾病)は「病気の原因」を意味するか、両者しばしば混同される。
「Wikipedia(ウィキペディア):病気」より

コチラの方が分かり易いと思いますが、
それは病気には定義がないどころか、
政治的にも倫理的にも解釈が変わってしまうという、
実にいい加減(曖昧)なものだという事です。

ここで私達が考えてみる事は科学の条件です。
これは以前に私の師匠に言われたのですが、
その分野が科学である条件は、

・用語に明確な定義がある。
・数値化できる。
・再現性がある。・・・同じ条件で実験すれば誰が実験しても同じ結果が出る。

の三つの条件で決まると言われました。
これを私なりに少し解釈しますと、

用語に明確な定義が決められているから、
違う立場の人や団体とでも共通の認識で話しができるのです。
モシ用語に定義が無かったり曖昧だったりすると、
用語は一部の人や団体に都合良く解釈されてしまいますから、
それでは科学とはいえないのです。
この事から現在の健康(病気を含む)問題を考えてみますと、
健康や病気を扱う医療(医学)は科学ではないのか、
マタは健康や病気は医療(医学)で扱うものではないのかの、
何れかになってしまうのです。

「かがく【科学】」の解説
一定の目的・方法のもとに種々の事象を研究する認識活動。また、その成果としての体系的知識。研究対象または研究方法のうえで、自然科学・社会科学・人文科学などに分類される。一般に、哲学・宗教・芸術などと区別して用いられ、広義には学・学問と同じ意味に、狭義では自然科学だけをさすことがある。サイエンス。
「goo辞書:かがく【科学】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%A7%91%E5%AD%A6/#jn-37739

然し私達は医療(医学)を科学だと思っていますし、
健康や病気は医療(医学)の分野だと思っています。
これに関して考えられる事は、
健康の定義が曖昧であったり、
病気には定義すらない(タダの概念でしかない)ところに、
様々な研究や実験(数値化と再現性)が行われて、
科学としての体裁を整えて、
私達の健康観(健康や病気の考え方)として浸透していったという事です。
これ自体はケッシテ悪い事ではないのですが・・・。

「概念」とは、思考において把握される、物事の「何たるか」という部分のことである。具体的には、「抽象的かつ普遍的なものとして捉えられた、そのものが示す性質」、「対象を総括して概括した内容」、あるいは、「物事についての大まかな知識や理解」などのことである。
わかりやすく大雑把に言ってしまえば、概念とは「どういう事か」「どういう物か」について捉えられる内容そのもののことである。例えば「ゼロの概念」は、(基本的に「対象がいくつあるか」を示すための「数える」行為において)、「無を数える」とはどういうことか、という、考え方に関する理解であるといえる。
「weblio辞書:概念」より
https://www.weblio.jp/content/%e6%a6%82%e5%bf%b5

このように私達に浸透していった健康観(健康や病気の考え方)は、
医療(医学)業界に都合良く解釈された健康観(健康や病気の考え方)であり、
今、私達が病気の治療・予防・健康増進の為にと、
関心を持って勉強している理屈なのですが、
その理屈が私達の身体に通用する理屈とは限らないのです。

私は「医療(医学)の理屈が私達の身体には通用しない部分がある」と思う理由は、
それは一つには、
身体には無視できない程度の個体差があるからです。
これはその人の身体の働きや、
普段の生活習慣や健康(病気を含む)に対する考え方(信条)や趣味嗜好によって、
健康(病気を含む)を考えるポイントは違いがあるという事です。
そしてもう一つは、
医療を提供する側と利用する側とでは利害が相反している事です。
今時「医は仁術」と思っている医療福祉の専門家は少ないのです。
この二つに関しては後述する予定です。

それでは医療(医学)に都合良く解釈された健康観(健康や病気の考え方)で、
私達が健康(病気を含む)を考えた場合、
何か不都合な事があるのでしょうか?

マズ考えられる事は、
お医者サン自身が、
明確に病気の判定ができないし、
病気が治った時も明確に判定できない事です。

これに関して少し説明しますと、
多くの病気にはガイドライン(マニュアル)があり、
お医者サンはガイドライン(マニュアル)に則って、
体調不良を診断して治療を進めていくのですが、
そのガイドライン(マニュアル)が、
症状(検査も症状の一つ)だけを指標に病気の判定をして、
治療も症状(検査も症状の一つ)を消す(制御できる)事が目的で、
必ずしも体調不良(ケガや病気を含む)を治す事が、
治療の目的になっていないのです。

(因みに健診や検査の結果も、
 他覚症状といって症状の一つです。)

他覚的所見とは、視診・触診や画像診断などによって、
医師が症状を裏付けることができる見解のことを指します。
「自動車保険navi:医学的他覚所見(他覚症状)とは」より

ここ迄の説明で分かると思いますが、
私達が今受けている治療(施術)の殆どが、
症状を消す事だけを目的とした治療なのです。
これを対症療法といいます。
(対症療法に関する私見は後述します。)

そして私達も対症療法の考え方だけで、
自分の健康(病気を含む)を考えるようになった事で、
体調不良(ケガや病気を含む)になった時には、
どんな手段を使ってでも症状(検査も症状の一つ)を消す事を考えて、
症状(検査も症状の一つ)が消えれば、
良くなった(治った)と考えるようになってしまったのですが、
ここで盲点なのは、
体調不良(病気を含む)になった「原因」が特定れていない事と、
症状(検査も症状の一つ)の有無だけで身体の状態を考えると、
身体の正常な働きも異常(病気)と判断してしまう事は考えていない事です。
(これに関しては後述します。)

原因を特定せず症状(検査結果も症状の一つ)だけを指標にして、
治療や生活習慣(「食事」「運動」)の指導を始めますと、
体調不良(病気を含む)が相当に進んでも、
検査結果に(大した)異常がでない場合もあります。
然しこの場合でも症状は軽減消失しますから、
「良くなった」と真逆な判断をされてしまうのです。

これが症状(検査も症状の一つ)だけで判断する盲点です。
対症療法は症状(検査も症状の一つ)だけを消す治療ですから、
応急処置としては通用(要不可欠)しても、
生活習慣病等の慢性の体調不良(ケガや病気を含む)には通用しないのです。

ですからお医者サンの診断(見立て)を信用(盲信)している人や、
医療(医学)の健康観(健康や病気の考え方)しか知らない人は、
体調不良(病気を含む)を治す為に始めた、
治療や生活習慣(「食事」「運動」)の指導が、
実はその人の正常な身体の働きを邪魔しているとか、
身体に大きな負担になっているのではと疑わないし、
病気の早期発見になると思って受けている健診検査が、
実は体調不良(病気を含む)を、
最も手っ取り早く回復させられる時期を見逃しているとか、
逆に身体の働きを拗らせて弱めているとは、
夢にも思っていないのです。

これが健康の定義が曖昧であったり、
病気には定義か無い事で、
私達に起きている困った事なのです。

~2024年追記:
改めて読み直してみますと、
自分の作文能力の無さを思い知った記事でした。~

【参考資料】
「公益社団法人日本WHO協会:世界保険機構(WHO)の健康の定義」
http://www.japan-who.or.jp/
「厚生労働省:WHO憲章における「健康」の定義の改正案について」
http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1103/h0319-1_6.html
「厚生労働省:WHO憲章における「健康」の定義の改正案のその後について」
 http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1110/h1026-1_6.html
「Wikipedia(ウィキペディア):病気」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%97%85%E6%B0%97
「自動車保険navi:医学的他覚所見(他覚症状)とは」
http://free-jidosha.com/post-530/

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