クレイモア第6話 テレサとクレア
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2529798
この話は何度見てもいい。
「好きにしろ。これだから人間は・・・こんなもののために私たちは戦っていると言うのか」
・・・命を懸けて戦って守るに値するものとそうでないものがある。その何であるのかは簡単に答えが出せるとは限らない。答えは出せないかもしれない。平和のために戦うというアメリカのスローガンはあまりに幼稚で聞くに堪えないわけがここにある。
「勘違いしているようだから言っておくがな。掟はあくまで掟。守る守らないはそれぞれの勝手だ。掟を守るのも掟を破って仲間に斬り殺されるのも私たちの自由なんだよ」
・・・いわゆる科学的法則が人に妥当しない理由がこれだ。人は最後まで選択ができる存在だ。熱を加えれば自ずと沸騰する水とは性質が異なる。人としての選択の自由を捨てたときクレイモアは覚醒者になる。
「抱きしめられていたのは私のほうだ」
・・・気づきの瞬間だ。ここで組織のただの戦士としてのテレサは死んだ。オルセの言う「最強の化け物」は死んだ。そして覚醒とは異なる不滅の女神として生まれ変わりを果たしたのだった。たとえ、プリシラに首をはねられたとしても。
「私の体の半分しかないその小さな少女は銀色の瞳からも涙を流せることを私に教えてくれた」
・・・イースレーの言う「無力は罪だ」「弱者のために強者が死ぬ」という言葉は、「力」「強弱」の意味を片側からしか捉えていないことがわかる。どれほど力があろうとも真の意味で生きているといえるかどうかこそが問われているのではないか。
「心配するな。金はある。私一人じゃろくに使わんからな」
・・・いいえ。どれほど使ったとしても一人じゃたいした金額にはなりません。金というのは人に何かをさせる権利にすぎず、人に頼らずとも生きていけるテレサには、なおさらに無用の長物なのです。そして第7話にも出てくるように、報酬なしで人のために働くというのは、さらにいいものなのです。それこそが「傍(はた)楽(らく)」ということなのです。
「見ての通り私の仕事は妖魔を斬ることだ。そのほかになすこともないし、存在理由もない」
・・・いいえ、テレサさん。すでにもう、そうは思っていないあなたがいたはずです。盗賊が山中にいたわけを見損なっていたのではなく、新しく生まれ変わった自分にまだ確信が持てていなかったのです。そのままこの村にとどまるか、クレアとともに妖魔を無償で退治する旅に出ていればよかったんじゃないかな。それこそが、「賢い選択」だった・・・。
「私とお前じゃ、やはり住む世界が違うんだ」
・・・テレサにして、まだこのナイーブさ。分かり合うことの難しさ。わかりあった後もたえずわかりあう努力を重ねなくてはならない。言うは易く・・・。
「人の中で人として生きろ」
・・・自らもそうすべきだったんだよ、テレサ。それが悔やまれてならない。だから第26話でクレアの内なるテレサはそのことをクレアに告げるわけだ。
「覚悟しろ、貴様ら。妖魔以下の存在であるその身を呪うがいい。お前ら全員皆殺しにしてやる」
・・・確かに冷静さを失った。そこが人間テレサらしくもあるが。理不尽で邪悪な力に対抗することはやはり難しい。
「いつでも冷静でいられる自信があった。我を忘れた」
・・・すでに冷静さを取り戻しましたね。すでに気づきを果たしたテレサの目には組織の在り様が違って見えている。
「悪い。やっぱりまだ死ねないや」
・・・そうだね。君が死んだらクレアが組織の餌食にされてしまう。クレアを守るためにこそ掟に反して人を斬った。そしてそれは組織に離反することを意味していたはずだから。
「別に深い意味はないさ。ひどく単純でわかりやすい理由だ。生きる意味を見つけた。これからはこいつのために生きてみることにするよ」
・・・それほど単純でもなかったしわかりやすくもなかったはずだ。しかし、わかってしまったテレサにとってはこの上なく簡単明瞭な決断だった。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2529798
この話は何度見てもいい。
「好きにしろ。これだから人間は・・・こんなもののために私たちは戦っていると言うのか」
・・・命を懸けて戦って守るに値するものとそうでないものがある。その何であるのかは簡単に答えが出せるとは限らない。答えは出せないかもしれない。平和のために戦うというアメリカのスローガンはあまりに幼稚で聞くに堪えないわけがここにある。
「勘違いしているようだから言っておくがな。掟はあくまで掟。守る守らないはそれぞれの勝手だ。掟を守るのも掟を破って仲間に斬り殺されるのも私たちの自由なんだよ」
・・・いわゆる科学的法則が人に妥当しない理由がこれだ。人は最後まで選択ができる存在だ。熱を加えれば自ずと沸騰する水とは性質が異なる。人としての選択の自由を捨てたときクレイモアは覚醒者になる。
「抱きしめられていたのは私のほうだ」
・・・気づきの瞬間だ。ここで組織のただの戦士としてのテレサは死んだ。オルセの言う「最強の化け物」は死んだ。そして覚醒とは異なる不滅の女神として生まれ変わりを果たしたのだった。たとえ、プリシラに首をはねられたとしても。
「私の体の半分しかないその小さな少女は銀色の瞳からも涙を流せることを私に教えてくれた」
・・・イースレーの言う「無力は罪だ」「弱者のために強者が死ぬ」という言葉は、「力」「強弱」の意味を片側からしか捉えていないことがわかる。どれほど力があろうとも真の意味で生きているといえるかどうかこそが問われているのではないか。
「心配するな。金はある。私一人じゃろくに使わんからな」
・・・いいえ。どれほど使ったとしても一人じゃたいした金額にはなりません。金というのは人に何かをさせる権利にすぎず、人に頼らずとも生きていけるテレサには、なおさらに無用の長物なのです。そして第7話にも出てくるように、報酬なしで人のために働くというのは、さらにいいものなのです。それこそが「傍(はた)楽(らく)」ということなのです。
「見ての通り私の仕事は妖魔を斬ることだ。そのほかになすこともないし、存在理由もない」
・・・いいえ、テレサさん。すでにもう、そうは思っていないあなたがいたはずです。盗賊が山中にいたわけを見損なっていたのではなく、新しく生まれ変わった自分にまだ確信が持てていなかったのです。そのままこの村にとどまるか、クレアとともに妖魔を無償で退治する旅に出ていればよかったんじゃないかな。それこそが、「賢い選択」だった・・・。
「私とお前じゃ、やはり住む世界が違うんだ」
・・・テレサにして、まだこのナイーブさ。分かり合うことの難しさ。わかりあった後もたえずわかりあう努力を重ねなくてはならない。言うは易く・・・。
「人の中で人として生きろ」
・・・自らもそうすべきだったんだよ、テレサ。それが悔やまれてならない。だから第26話でクレアの内なるテレサはそのことをクレアに告げるわけだ。
「覚悟しろ、貴様ら。妖魔以下の存在であるその身を呪うがいい。お前ら全員皆殺しにしてやる」
・・・確かに冷静さを失った。そこが人間テレサらしくもあるが。理不尽で邪悪な力に対抗することはやはり難しい。
「いつでも冷静でいられる自信があった。我を忘れた」
・・・すでに冷静さを取り戻しましたね。すでに気づきを果たしたテレサの目には組織の在り様が違って見えている。
「悪い。やっぱりまだ死ねないや」
・・・そうだね。君が死んだらクレアが組織の餌食にされてしまう。クレアを守るためにこそ掟に反して人を斬った。そしてそれは組織に離反することを意味していたはずだから。
「別に深い意味はないさ。ひどく単純でわかりやすい理由だ。生きる意味を見つけた。これからはこいつのために生きてみることにするよ」
・・・それほど単純でもなかったしわかりやすくもなかったはずだ。しかし、わかってしまったテレサにとってはこの上なく簡単明瞭な決断だった。
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