併読というのは一発変換できるが、これはできない。
だから造語である。
混浴ならば辞書登録されているが、混読は、やっぱし、新語であるな。
併読というのは、異なるジャンルの本を同時進行的に読む場合に使うのであろう。
だから、頭の中でストーリーやら何やらが混ざり合うことはない。
これは昔からよくやっているので慣れっこである。
しかし、同じジャンルの似たような話を同時進行で数冊読んでいると、話が混線してしまいかねない。
たとえば、
子供の誘拐やら保険金詐欺やら連続殺人やらスパイものやら法廷サスペンスやら同種のテーマを素材にした小説を同時に読み始めると、どこかで話が相互に乗り入れてしまうようだ。
もっともそれが原書と翻訳だと混線が生じないというのは不思議である。
ま、それはさておき、
そういうわけで実験的にテーマや舞台の違うものを同時に読み始めたというわけ。
しかも本ごとに読む場所も変えるようにしてみた。
混線はないが元の話に戻るのに時間が少しかかってしまう。
所詮、読む速さには限度がある。
読みたいものをまとめて読んでやらうなどと、
あんまり欲をかくものではないな。
だから造語である。
混浴ならば辞書登録されているが、混読は、やっぱし、新語であるな。
併読というのは、異なるジャンルの本を同時進行的に読む場合に使うのであろう。
だから、頭の中でストーリーやら何やらが混ざり合うことはない。
これは昔からよくやっているので慣れっこである。
しかし、同じジャンルの似たような話を同時進行で数冊読んでいると、話が混線してしまいかねない。
たとえば、
子供の誘拐やら保険金詐欺やら連続殺人やらスパイものやら法廷サスペンスやら同種のテーマを素材にした小説を同時に読み始めると、どこかで話が相互に乗り入れてしまうようだ。
もっともそれが原書と翻訳だと混線が生じないというのは不思議である。
ま、それはさておき、
そういうわけで実験的にテーマや舞台の違うものを同時に読み始めたというわけ。
しかも本ごとに読む場所も変えるようにしてみた。
混線はないが元の話に戻るのに時間が少しかかってしまう。
所詮、読む速さには限度がある。
読みたいものをまとめて読んでやらうなどと、
あんまり欲をかくものではないな。
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