1999

~外れた予言~

忍者の少女封印(16)

2007-04-01 03:20:02 | Weblog

私は息子たちの父親だ。この世でたったひとりしかいない父親だ。息子たちはまだ5才と3才だ。息子たちにとって私は必要だし、私にとってもそうだ。いまの私は妻や息子たちとの暮らしが何よりも大切で、医師という仕事をしているのも家族を養うためといって過言ではない。私にとっては家族がすべてであり、それ以外の何がどうなっても正直にいえばどうでもいい。

その私が、自分のかけがえのない家族を投げ出してまで別の何かに自分のすべてを捧げるなどと、どうして考えることができるというのか。自分の命を危険に晒すような何か、自分の残りの生涯を捨てるような何か、そんなものに一体どれほどの価値があるのだろうか。

世界など滅ぶというなら滅んでも構わない。最後の瞬間のその時まで、私は自分の家族とともに暮らせればそれでいい。しかしなぜだろう。私の心の中で葛藤が生じるのはどうしてだろう。おかしなことだ。私にとって最も大切なものは家族であると、私自身は結論を出しているはずなのに。



私は関係ない。私は関係ない。必ずほかの誰かがきっとその役割を果たすに違いない。私は必要とされていない。私は無関係なままでいい。そんな大それたことに関わり合いになりたくない。この世には私よりも強い者がたくさんいるはずだ。私よりも優れた者がたくさんいるはずだ。きっとほかの誰かが使命を果たす。私は関係ない。私はまだまだ死にたくはない。危険な話に巻き込まれるのは迷惑な話だ。私には妻や息子たちがいる。すでに私は家族を守るという重い責任を背負っている。私はまだ死ぬわけにはいかない。私は無関係だ。力のあるほかの誰かがきっとやってくれる。



仕事を終えて病院から家に帰ると、息子たちが玄関まで飛ぶように走ってきてくれて私を出迎えてくれる。笑いながら。大声を出しながら。
「パパ~! 今日も死にそうな人を助けてきた~?」
最近はこのセリフが息子たちにとってブームのようだ。毎晩息子たちはこのセリフを大声で叫びながら私を玄関で出迎える。なかなかシュールなセリフだ。息子たちは私が医師であることをすでに知っている。飼っていたペットのハムスターの死別を通して「死」とはどういうことなのかも体験を通して知っている。

ハムスターが死んだ時、私は息子たちと一緒に庭にハムスターの死体を埋めた。土をシャベルで掘って、土をかけて、踏み固めた。私はわざわざ息子たちにその埋葬の作業を手伝わせた。息子たちに「死」を教えるために。動かなくなって息をしなくなって冷たくなって、そしてこうやって土に埋められることが「死」なのだと。息子たちは泣いていた。

医師とは病気で死にそうな人たちを助ける人なのだと、どうやら妻が息子たちに教えたようだ。そして父親である私が、その医師という仕事を家の外でしていることも。息子たちにとって私は誇りなのだろうか。息子たちにとって私は「死」に真っ向から立ち向かう頼もしい存在に思えるのだろうか。

「そうだよ、パパは今日も死にそうな人を助けてきたんだよ」
私は毎回そのように息子たちに答えて、二人を順番に両手で抱き上げる。高く。できるだけ高く。そして同時に私は例えようもない後ろめたさを覚える。私は息子たちに対してはそれは口に出さない。しかし自分の心の中では隠し切れないほどとなる。後ろめたさとはつまりはこういうことだ。

「ごめん、パパは本当は卑怯者なんだ、大勢の、ものすごくたくさんの死にそうな人たちを黙って見殺しにするような酷いパパなんだよ」
「でも、それはお前たち家族のためなんだ、お前たちのためにパパは卑怯者の道を選んだんだよ」

決して口に出していえないことを私は心の中に閉じ込めて、これからも息子たちに笑って接しなくてはならない。これが私の選択だ。仕方がない。



大きな公園に一家四人で遊びに行った。妻が用意してくれた昼食を四人で食べた。いろんな遊具で遊び、そして息子たちと一緒に広い芝生を走った。楽しかった。しかしどこか楽しくなかった。

その大きな公園には多くの家族がいて、多くの子供たちがいた。みんな楽しそうだった。みんな幸せそうだった。しかしどうなんだろう。近い将来、この中でどれくらいの人が生き残っているというのか。わからない。私にはわからない。しかし確実に、いまあるような幸せはどこかに消え去っているに違いない。私はそのことを知っている。だから楽しいはずなのに楽しめない。すごく苦しい。



ある悪性疾患の患者を知る機会があった。いま私が勤めている職場とはまったく関係がない、別の病院の患者だ。無論私も職務上はまったく関係がない。彼はごく最近死んだ。死因は移植後合併症だ。彼は勇気ある男だった。意識を失う直前まで自分が生き延びる希望を失っていなかった。生きるということの壮絶さを死の瞬間まで体現していた。

私は言葉を失った。彼の死因を知ったためだ。私はいまは一般内科だがかつては悪性疾患を専門とする移植医だった。私は移植後合併症の治療を得意としていた。誰よりも得意なはずだと自惚れていた。移植治療の現場は自分の戦場だと信じていたし、自分が戦い続けることで少しでも移植死亡は減るはずだと意気込んでいた。しかし私はその戦場から逃げた。一年中まったく休みのない、朝から朝まで緊張の続くその戦場で戦うことに疲れ果て、ちょうど長男が生まれたのを機会にもっと楽な職場に移ろうと決めた。私は移植医をやめて一般内科に転身した。

かつて私が逃げ出した戦場で、誰よりも私が長く戦うべきだった移植後合併症という敵のせいで、いまも命を奪われている人たちがいる。それをまざまざと目の当たりにしてしまった。逃げ出そうと決心したあの頃、私は辛かった。苦しかった。多忙すぎた。自分の命を縮めていると感じた。自分に家族ができたのをいい機会に地獄から脱出したくなった。

いま私は再び逃げようとしている。家族が大事だからというのを言い訳にして。自分が戦うべき戦いから逃げようとしている。それでいいのだろうか。自分と自分の家族さえよければそれでいいのだろうか。たとえ周囲が丸ごと灰燼と化して、その灰燼の中の炭となるのが自分たちだとしても、その最後の瞬間まで私は戦いから逃げたことを後悔しないのだろうか。



寝ている二人の息子たちの寝顔を見ながら考えた。この子たちが、成長して恋をして大人になって結婚して家庭をもって年をとっていく、そういう未来の重要性を私は見失ってはいないだろうか。この二人だけではない、世界中の子供たちの幼い世代の未来の重みを、私はもっと考えるべきではないだろうか。幼い世代が今後生きるはずの「場」が崩壊するのを、何もせず見ているだけでいいのだろうか。

たとえ私が命を失ったとしても、たとえ私が家庭を離れて孤独になったとしても、それでも挑戦するべきなのではないだろうか。私はもう逃げたくない。きっと逃げるべきではない。