私の父方の実家のある村が壊滅した。文字通り壊滅だ。山あいにあるその村は、なんと村ごと地震によって滅んだ。私は、これはただの自然現象であって私の裏の仕事と何か関係があるという考えはただの妄想にすぎない、と必死に自分にいいきかせた。いまとなってはそう考えるしかない。
父方の親戚に見舞金を送ったらその親戚から電話がきた。親戚は家も財産もすべて失って毎日辛酸を舐め尽くしているはずなのに、電話では泣き言ひとついわなかった。驚いた。どういうことなのか、親戚はひたすら私を励ましてくれるのだ。きっと私が身寄りも友人もいない、まったく縁のない町にたったひとりで乗り込んで働いていることを誰かから聞いたのだろう。
それにしてもこれではまったく逆ではないか。電話で親戚の一方的な激励を聞きながら私は当惑した。死者も負傷者も難民も生じてしまった今回の地震で、よくぞ生きていてくれましたと少しでもいいたかったのだが、親戚の話の勢いはそれを私に許さなかった。
その親戚は、電話の中で何度か同じことを繰り返し私にいった。
「こちらのことは一切心配しなくていいから、あなたは自分のするべき仕事をしっかり続けなさい」
私は、ひょっとして何かの勘違いなのかもしれないが、電話で話しているこの親戚がもっと大勢の何かを代表してこの言葉を発しているように感じられた。父方の先祖の人たち全員の代表といったら適切だろうか。
電話での話を終えたあと、私は深々と一礼した。かたじけないという気持ちで一杯だった。私は自分のやるべきことを必ず完遂すると誓った。いまの私にほかにできることがあるだろうか。これまで通りに自分の信念を貫く。そうでなかったらかえって申し訳ない。
私の母方の実家が町ごと消失した。母方の実家のすぐ裏は川であり土手のすぐ近くにその実家はあった。大雨によって川が氾濫し堤防が決壊した。氾濫した川の水は、怒濤のように母方の実家のある町を丸ごと押し流した。母方の実家には私の叔父がひとりで住んでいた。川が氾濫して町が激流に破壊されたその日、叔父は幸運にも家を留守にしていた。
水に流されたその町は悲惨そのものだった。叔父が住んでいたその実家の近所では、寝たきり老人が何人も亡くなったそうだ。とっさに老人を動かせなくて激流に呑まれる様を見ることしかできなかった家族の無念さは想像を絶する。
叔父はたくましかった。そんな絶望的な災害のあとで驚くような前向きさをみせてくれた。叔父は災害後、泣きそうなくらい感動したそうだ。全国からボランティアで救済活動に何千人も駆けつけてくれたそうなのだが、家も財産も失った叔父はそのことにむしろ驚き、そしていった。
「いまの世の中、酷いことはたしかに多い、しかしまだまだこの世の中は捨てたもんじゃない、今回の水害でそれをこの目で確かめた」
この叔父の言葉を私はこの先ずっと忘れないようにしたい。この世はまだまだ捨てたものでない。私の仕事は決してムダにはならない。私の仕事は必ず大きな意味を持つ。必ずだ。
年に一度か二度、夜にディズニーランドにいくことにしている。いつもひとりでいく。エレクトリカル・パレードと花火が終わったあと、幸せそうな表情で家に帰ろうとする無数の家族連れを見るためだ。私はその無数の幸福そうな家族連れを見ていると、いつも涙を流してしまう。私はいつのまにかブツブツとつぶやいている。間違ってない、俺は間違ってない、と泣きながらつぶやくのだ。
何年もこの手を血で汚してきた。涙ひとつ流さずに戦ってきた。冷酷に。非情に。残酷なまでに。普段流さないものをここぞとばかりに両目から流すのだ。ドロドロに汚れてしまった自分を最も肯定できる場所、それがここだ。俺は間違ってなかった、きっと間違ってない、これからもやるしかない、私は無数の幸福そうな家族連れの姿を見ながら涙を流しながら自分を肯定する。
私は守るべきものを守るために、ひたすら鬼であり続けた。これからもそうだ。