(殺して!)
私は、突如として落雷に遭ったかのように、
脳天から衝撃を受けた。
その夫婦と一緒に、その家の一階の広いリビングで、
コーヒーを片手に椅子に座っているときに、
はっきりとしたメッセージを叩きつけられたのだ。
(早く! 殺しなさいよ!)
迷いのない、そして強要するかのような、
逃げることも拒むことも許されない、
極めて一方的なものだった。
(聞こえてるんでしょ! 殺すのよ!)
私は動揺を表に出さないように努めながら、
可能な限り落ち着いて、それをどう解釈するべきか、
適切に判断しようという精神状態を自らに課した。
しかし、それはやや困難にも感じられた。
(私を殺しなさい!)
(それくらいできるでしょ!)
(誰か来るのを待っていたのよ!)
女の声だった。
いや、正確には声ではない。
私の左右の鼓膜も、耳石も、聴覚神経も、
人間の発声器官から生み出される肉声としては、
それらの強烈なメッセージの数々を認識できなかったからだ。
私は、脳の中で響く何かとして、
それらを捉えていた。
(鈍いわね! このスカポンタン!)
(イライラさせんじゃないわよ! ヒョロメガネ!)
どんどんと激高していき罵倒に近くなってきたそれに反し、
私は、対照的に冷ややかになっていった。
ちなみに私は痩せ型の体型で、丸メガネをかけている。
その家のその広いリビングには、
限られた者しかいなかった。
私と、寝たきりの中年女性と、介護者である夫さんと、
かごの中のインコと、水槽の中の大きな熱帯魚と、
そして中年女性の拘縮した麻痺手の中で、
まるでヘッドロックを掛けられているかのように収まっている、
かなり大きめのプーさんのぬいぐるみ、
たったそれだけだ。
私は、夫さんに怪しまれないように気をつけながら、
それらを順番に、探るように見つめてみた。
この中に、この物騒なメッセージを吐きだしている者が、
いるのかもしれないと感じたので。
ごく普通に考えれば、
インコや熱帯魚やプーさんのぬいぐるみは、
ちょっと候補にはしがたかった。
もちろん私も違う・・・つもりだ。
夫さんを何気なく、しかしまじまじと注目してみた。
夫さんは私に、その中年女性の介護における苦労、
具体的には、便の出し方とか吸引器での痰の引き方とか、
夜中にベッド上でドタバタ暴れられて不眠に陥っていること、
それら諸々を私に、力なく笑いながらこぼしていた。
夫さんのどこか投げやりな浮遊してるような疲労感と、
あまりにぶしつけで強引なそれら一連のメッセージとは、
どうしても同一人物のものとは思えなかった。
(私はこんな姿で生きていたくないの!!)
(お願いだから私を殺して!!)
(こんなのもう耐えられない!!)
残った候補はただひとりだった。
口からは一言も発声できない、寝たきりの中年女性だ。
きっと間違いない。