馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

松阪城に登ってきました

2024-09-07 22:02:25 | 城攻め

2024年9月7日松阪城に登ってきました。3回目ですかね。

お城カードを手中にしたく、行ってきました。100名城48番目です。

鶴橋駅から近鉄特急に乗って約1時間半……早くも失神して気づくと松阪駅でした。

近鉄松阪駅です。8時15分くらい。

駅の外に出ると……

持って帰りたくなる松阪牛くん、可愛いです。

朝の松阪駅です。

15分ほど歩きますよ。住宅街を抜けて、お肉屋さん、お魚屋さん沿いに進みます。

っと!

おお、高石垣です。

青空に映えますよね。

石垣に沿って歩きます、車が通るので注意します。

見えてきました、お城の東側、表門入り口です。

蒲生氏郷が1588年天正16年、四五百森(よいほのもり、難読過ぎ)に築城したのです。

重厚な石垣が随所にあるのです。

突き当りですがどっち?

松阪城と記してあります。

右に行ったところから左を見ました。たまりませんね、あの曲線美。

助左衛門御門跡と書いてあります。

鐘の櫓跡。今は何もありません。

向う側が見えます。雨対策用でしょうかね。

そのまま右に沿って歩きましょう。

簡単には登れませんよね。

既に二段目の高さにいるのです。高いよ~

一周しました。かつての櫓の礎石です。

これが本丸跡。こんなところに呆気なく出てしまいました。

金の間櫓跡。名前が凄いです、金の間櫓、どんなものか想像もつきません。

調べると金箔を貼ったお部屋がある櫓があったそうですよ。

振り返った先に見えるのが、天守跡です。行きましょう。

敵見櫓を経て、

天守閣跡。無いと寂しいものです。それもまた風情があるのですが。

積み方が違います、この辺りは野面積みだそうです。

天守の姿が想像できませんねえ。

それでは西側の門を下って行きましょう。

と、降りる途中で、またしてもおじ様に話し掛けられました。石垣の間に古い瓦が挟まっているとのことです。

おじ様によれば、木挽きの痕が入った瓦なんですって。

古ければ戦国期から江戸時代初期の瓦もあるかもしれないと、熱心に説明して下さります。

はぇー、お詳しいのですね、と言うと、城郭研究者の端くれと名乗って下さるのです。

今日は10時から発掘現場の説明会があるんです、参加しますか、と聞かれましたので、知りませんでしたと返答する私。

ちょっとこの後の予定あるんですよねえ……

おじ様と別れて散策中、石垣にため息を吐いちゃうのです。

あ、階段!!

登れそうです、危ないけど登っちゃいます。気をつけて。

階段から見下ろすと、発掘説明会の現場が見えました。人々が集まっています。

また降りて近づいてみます。

た、多聞礎石って何でしょう?初めて聞く言葉です。

こっちも発掘中です。

月見櫓です、ここから現場も見ることができました。

どんどん人が集まってきますが、他も見たいので私は離脱。

おじ様、教えて下さってありがとうございます。

太鼓櫓。

太鼓櫓から本丸方面を眺めます。降りてこっと。

中御門跡。この辺も立派な石垣で好きです。

見て下さいよ、素晴らしいじゃありませんか。

途中には本居宣長記念館もあります。有料です。

更に降りて。

降りて。

裏門を降りていくのです。赤く塗装してしまったのですね。

門の辺りは算目積みなんです。

もうすぐ出てしまいますので、名残惜しくて振り返りました。

江戸時代の常夜燈だそうですよ、古いですねえ。

道路側の石垣も高くそびえております。

更に西へ進みます。

神社です。

本居宣長ノ宮とあります。祭神が本居宣長大人ですって、行ってみます。

ご本殿。

傍らには、本居宣長の歌が記してあります。

敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜花

この歌は神風特攻隊の隊名ともなりましたね。

 

神社を出て、お城の南側にある御城番屋敷跡を探索します。

こちらは土蔵跡。

この様な感じで両側に数件あるのです。

1件だけ覗かせていただきましょう。

見通しが良いです。眺めも良くてスッキリです。

駅へ向かいます。

あら、マンホール。

松阪牛ですねえ、食べたことないですが(笑)

松阪市観光情報センターさんでGETしたお城カード。天守台の野面積みです。

松阪駅に来ました。

伊勢奥津駅行きの列車が来ました。これに乗ると多気北畠氏城館に近づくことができます。

でも私は、11時18分の列車に乗って……

でわ。

コメント (4)
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