ベトナム在住日誌(Hanoi編)

2004年9月末、日本からホーチミンへ。2006年1月末ハノイへ。2007年8月シンガポールへ。2008年6月ハノイへ。

言語

2004年09月12日 | 基本情報
言語系統の分類では、ベトナム語はオーストロアジア語族になるそうだ。クメール語(カンボジア語)も同じくこのオーストロアジア語族だ。
タイ語、ラオ語(ラオス)、ビルマ語はシナ=チベット語族に分類される。

なんとなく変な感じがする。

ぼくはクメール語もタイ語も読めないが、見たことはある。とてもよく似ている。ぼくのような素人は、文字を見ただけではクメール語とタイ語の違いを判断できない。

一方ベトナム語とクメール語は誰が見ても違う文字であることがはっきりわかる。ベトナム語はアルファベットを基調としているからだ。

ベトナム(キン族)がもとは中国南部の民族であったのに対し、アンコールワットを造ったクメール族はインドシナ半島中央部の民族である。地理的にも離れた民族だ。

ではなぜベトナム語とクメール語は同系統に分類されるのか。

言語系統の分類では、文字の見た目はあまり重要でないらしい。
文字以前に発生した「話し言葉」が重要なのだ。

ベトナム語とクメール語には多くの共通点があるという。
・ 時制によって語形が変化しない。過去・現在・未来を厳密には区別していない。
・ 単音節・孤立語型。一つの単語に母音が一つで、他の単語が別の単語に影響を与えることがない。
・ 人称名詞が非常に多い。ベトナム語を話すとき、瞬時に相手が自分より年上か年下か同じくらいの年齢かを判断しなくてはいけない。それによって相手を指す単語が違うのだ。クメール語も同様だが、クメール語の場合、年齢だけでなく身分によっても呼び方を変えるらしい。

さて話をベトナム語の文字の歴史に転じよう。

10-19世紀の王朝時代、ベトナムでは漢字・漢文が公式の文章として用いられてきた。漢文が公式文書として用いられてきた歴史は日本でも同じである。平安時代になると、ひらがなが発案され、一般大衆に広まった。

ベトナムでも13・14世紀ごろベトナム独自の文字であるチュノム文字が発案された。しかしこれは一部の学者が中国文化に対抗して作ったもので、漢字をさらに複雑にした文字であった。その難解さゆえに一般大衆に広まることはなかった。

17世紀ごろカソリック宣教師がベトナム語のローマ字表記を体系化した。現在のベトナム語(クオック・グー:国語)である。
19世紀後半、フランスは植民地政策としてフランス語の普及とクオック・グーの普及を行った。
その後ベトナム民族主義の立場からも、政治運動が容易になるという理由で、クオック・グーの普及が図られた。
ホーチミンが新年の挨拶で子供たちに「クオック・グーを勉強しなさい」と言っている文章を読んだことがある。

以上がベトナム語の歴史の概要である。

「ベトナム語は難しい」にも書いたが、とにかく発音が難しい。6つのの声調(アクセント)があり、声調によって意味が異なるのだ。ぼくは現地でシンチャオ(こんにちは)さえ通じなかった。長年現地に住めば馴れて話せるようになるだろうか。

写真:ヴィンロン市場の肉屋

民族と歴史

2004年09月10日 | 基本情報
ベトナムは多民族国家だといわれる。
しかし人口の大多数(87%)はキン(京)族が占めている。残りの10%強を53の少数民族で分ける。では多数派であるキン族はどこから来たのか。
紀元前2~3世紀に中国南部(現在の雲南省や広西壮族自治区)に存在した諸民族の一派がキン族であるらしい。
キン族だけではない。ラオスを作ったラオ族、タイを作ったタイ族も中国南部の一民族だった。現在でもラオ族、タイ族、キン族は中国南部に少数民族として存在している。

十二世紀まで、現在のタイ、ラオス、カンボジア周辺はクメール族のアンコール王朝が支配していた。クメール族というのは現在のカンボジア人である。

13世紀になると、フビライの元(中国)からの圧力に押し出される形で、ラオ族、タイ族はメコン川を南下し、クメール族の領土を奪って国を形成していった。ラオス、タイの建国である。逆にクメール族(カンボジア)は領土を減らした。

話をベトナム(キン族)の歴史に戻そう。

ベトナムの学者によると、紀元前1,000年頃、雄王が文郎国(ヴァンラン)という国家を作ったという。これは雄王神話という神話の世界の話である。
この文郎国は前257年に安陽王によって滅ぼされた。安陽王はアウラック国を建国した。この経緯は古くからの中国資料に登場しているそうだ。
秦代の末期、南海部行政区の支配者であった趙田が独立し、今の中国の広州を首都とし、南越国を建国した。
アウラック国はこの南越に前208年に滅ぼされてしまう。
また、秦を継いで中国統一王朝となった漢は前111年に南越国を滅ぼした。
これ以降、約1,000年間紅河周辺の地域は中国の支配を受ける。
938年に呉権が南漢軍を破り、中国から独立した。
その後、短命の王朝が続くが、1010年に李が昇龍(タンロン=今のハノイ)に遷都し200年続く長期王朝となる。
その後、陳が王朝を立てるが元の侵攻などにより滅び、明の支配下に置かれる。しかしレロイが決起しベトナムを解放した。
1471年南進し、チャンパ王国の首都ヴィジャヤを制圧する。
これ以降ベトナムは動乱の時代に入るが、南進し、1698年広南阮氏がサイゴン府を設置。
1802年に阮映が国家統一、フエを首都とする。
現在ベトナム人の約4割がグエンとい苗字を持つのはこの王朝の影響だろうか。
1847年にフランス軍の侵攻が始まる。
1887年カンボジア、ラオスと共にフランス領インドシナとなり、植民地化される。
1890年、ホーチミン生まれる。
第二次世界大戦の初期、1940年フランスがドイツに敗れると、日本は北部ベトナムさらに南部ベトナムへ進駐する。
1945年日本は連合国に無条件降伏。
1954年フランスはディエンビエンフーの戦いに敗れる。
1956年ジュネーブ協定により、17度線を境に北ベトナムと南ベトナムに分断。
1965年アメリカの北爆開始。
1969年ホーチミン死去。
1975年サイゴン陥落。
1979年ベトナム軍、プノンペンを制圧。
    中国軍、ベトナムへ侵攻、撤退。
1986年ドイモイ政策。

こうしてみてみるとベトナムの歴史には2つの大きな特徴がある。
一つは被支配と独立を繰り返す戦争の歴史であるということだ。
中国に1,000年以上、フランスに約60年支配されている。アメリカとはベトナム戦争を10年以上戦っている。その度に独立を勝ち取ってきた。タフな国だと思う。

もう一つは南進の歴史だということだ。紅河周辺の国家であったベトナムは、中国からの圧力もあり、南下して勢力を広げる。ヴィジャヤ(現在のビンディン省)を首都とするチャンパ王国を滅ぼし、中部地域を制圧する。現在のサイゴン周辺やメコンデルタ地域の先住民であるクメール人の土地を奪い、南部の領土とする。

ベトナムを旅行していて感じるのは身の危険をまったく感じないということだ。これはぼくだけでなく、ベトナムに長く住んでいる人も同じ感想を持っていた。
上に書いたような歴史を知ると意外な気持ちになる。

写真:ヴィンロン市場にて

宗教

2004年09月09日 | 基本情報
片言の英語でベトナム人と話をしているときに宗教的な話題になることはあまりなかった。ベトナムには日本と同じく国教となる宗教は存在しないようだ。
ベトナムの宗教について調べてみた。

ベトナムでは公的に認められた宗教が6つあるという。仏教・カソリック・プロテスタント・イスラム経・カオダイ経・ホアハオ経である。
国民の8割は仏教徒と言われていて、その他の宗教はマイノリティになる。
政府の統計によると人口約8,000万人に対し、カソリック503万人、プロテスタント41万人、カオダイ経115万人、ホアハオ経130万人。
カオダイ経とホアハオ経はベトナム独自の新興宗教だ。
このブログの「銀行口座」のページにカオダイ経の礼賛の写真がある。ホーチミンからツアーが出ているので、バスに2時間あまり乗れば手軽に見学できる。色鮮やかな信者の服装や、寺院の壁面に描かれた片目(天眼)などは観光客にとってインパクトが強い。
ホアハオ経については、よく調べていないが、南部メコンデルタ地域のアンザン省ホアハオ村で出生した仏教亜流の宗教らしい。アンザン省では75%がホアハオ経の信者だという。

ベトナムの最大の宗教は仏教だが、タイやラオスの宗教事情とは少し違う。
日本のテレビでよく見るのだが、タイでは朱色の袈裟を着たお坊さんが街を歩き、周りの人たちが尊敬のまなざしで眺めている。
しかしベトナムではこのような風景に出会わないと思う。

ベトナムはカンボジア・ラオスと国境を接しタイとも地理的に近い位置にあるが、信仰している仏教の宗派が異なる。

タイ・カンボジア・ラオスで信仰されているのは上座部仏教(小乗仏教)で、ベトナムで信仰されているのは大乗仏教である。
ちなみに中国・韓国・日本も大乗仏教である。
(小乗仏教とは大乗仏教信仰者が名付けた蔑称であるため、以下は上座部仏教とする)

上座部仏教と大乗仏教の違いはなんだろうか。
上座部仏教の僧は厳しい戒律を守るために出家している。修行を重ね、僧個人が解脱をすることを目的としている。僧は家庭を持たないし女性と手を触れることも許されない。一般市民は僧侶に托鉢や寄付をすることで功徳を積み、来世で生まれ変わることを望む。
ベトナムや日本で信仰されている大乗仏教はもう少し、社会に溶け込んだ宗教といっていいと思う。僧は個人的な解脱を目指すのではなく、大衆を救うことを目的としている。日本では僧侶も結婚しているし、厳しい修行ばかりに明け暮れているわけでもない。

起源は上座部仏教である。
上座部仏教はインドで発祥し、そこからタイ・ラオス・カンボジア等東南アジアに広まった。

対する大乗仏教は、上座部仏教がインド国内で大衆を救う仏教として変化したもので、中国に伝わり、そこから朝鮮半島・日本・ベトナムへと伝わった。

ここが重要だと思う。

ベトナムの大乗仏教は日本と同じく中国から伝わったものなのだ。
中国からは、中国内で国教にまで発展した儒教も伝えられた。ベトナムと日本は中国の影響を受け両国とも儒教社会である。
儒教は孔子が説いたもので、仁、礼を重んじる教えである。他人をおもんばかり、先生や年上の人々を敬うという思想だ。宗教というより道徳であり、行動様式である。


「オンブラ、オンブラ」に載せた写真はファングーラオの某ホテルの屋上から通りを撮ったのだが、手前に祭壇(バーントー)が写っている。このような祭壇がホテルや民家の至る所にあり、先祖やお釈迦様、観音様を祭ってある。日本の仏壇や神棚によく似ている。果物やお菓子などを買ってきたときは食べる前にお供えしたりする。

なんだか難しい説明ばかりでオチがなくなってしまった。

いろんな文献を読むにつれてわかったことは、朝鮮半島、日本、ベトナムは大きく括ると中華文化圏に属するということだ。

写真:ヴィンロンの古い家にあった大きな祭壇