
日露戦争 日本海海戦で、日本海軍の連合艦隊が、ロシアバルチック艦隊を撃破したことは、世界的に有名です。
そして、その前年に行われたのが、黄海海戦です。
黄海海戦と言うのは、日清戦争でも戦われていますが、場所が同じと言うだけで、全く別物です。
旅順港に陣取るロシア太平洋艦隊と、日本海軍の連合艦隊の間で戦われたこの海戦では、日本海軍の連合艦隊優勢であったものの、ウラジオストックへ向かうと思われたロシア太平洋艦隊は、旅順港に逃げ帰ってしまい、その後の日本を悩ませることになります。
フリートインビーイング/現存艦隊主義 と言われる効能は、まさにこれを意味します。
そのため、のちに行われた日本海海戦では、日本海軍の連合艦隊は、徹底的に逃さず叩く作戦を取り、まず進路を塞ぐ丁字戦法が取られたことは有名です。
この海戦では、ロシア太平洋艦隊旗艦の戦艦ツェザレウィッチ艦橋に命中弾があり、司令長官のヴィトゲフトが戦死していますが、同時に戦死した操舵手が、舵を切ったまま亡くなったため、旋回を開始してしまい、後続艦がそれに続こうとしたため、舵を切ったまま一周してきた戦艦ツェザレウィッチと入り乱れて混乱したという事件も有名です。
日露海軍の英霊に合掌


