これまで高島彩さんがやってる『エチカの鏡 ココロにキクTV』(フジテレビ)を観てて参考になったなぁと思った回は、教育法の紹介の一つで、子供に漫画を見せてそれを文章家させるというもの。それによって言葉による要約力、表現力を身に付けさせるというものだったと思う。
それを観たぼくは「そうそう、人生においてぼくが欲しかった人材というのはこういうことが得意な人だったんだよなぁ」と思ったのである。
どうも自分という人間の根源的欲求の大きな部分を占めるものとして「世界を感じたい」「世界を抱きしめたい」「世界を満喫したい」というのがあるようなのだ。
そんなぼくに必要だったのは、「“ぼく”と“世界”を同行や言葉によって橋渡し」してくれる人の存在だったのである。
“視覚”以外で“世界”を感じるために。
これまでの人生において、音楽ライブ・コンサートに行って、テレビ・ラジオからの言葉、最近ならソフトによって音声化されたパソコンのインターネットコンテンツの文字情報の言葉によって、あるいは(あまり機会はないけれど)何か珍しい物に、彫刻などの芸術作品に、好きな女の人に、触れることで、ぼくは“世界”を感じてきた。
でも、やはり身近に優秀なサポーターがいなかったために、“密度の薄い人生だったなぁ”という思いは拭えないのであった。
このことはぼくの恋愛観にもつながっていて、「好きな人の目を通して世界を感じたい」という思いとなっているのである。
具体的には、好きな人が見たものを客観的に近い言葉で説明してくれることのほかに、何かを見て引き起こされる反応、喜怒哀楽を言葉にしたものを聴くことである。
そのほかのこととして、ぼくが心掛けているのは「なるべくたくさんの人の言葉を聞く」ということである。
それぞれの人が別々の色を反射する反射板のようなものだから、林檎を見てある人は「赤い」と言い、またある人は「丸い」と言い、また別のある人は「おいしそう」というかもしれない。
人それぞれ興味・関心の対象が違うので、同じものを見ているはずなのにそれぞれに認識の範囲が異なるのである。
ぼくは自分で直接見ることができないので、なるべく多くの人の言葉を聞くことにより、なるべく対象の全体像と本質に迫れればと考えるのである。
「人それぞれ興味・関心が違うから見ているものも違う」という部分が曲者で、自分に同行してもらう人と自分との興味・関心の違いが「相性問題」につながっているところが大きいのである。
つまり「ぼくが見たいと思うものを見てくれない、言葉にしてくれない」ということがぼくの「不満足感」につながるのである。
逆にそれがしっくり行くと満足度が高まるというわけなのだが、なかなかそういう人とのめぐり合いというものはないというのがぼくの悩みの種なのであるが。
それを観たぼくは「そうそう、人生においてぼくが欲しかった人材というのはこういうことが得意な人だったんだよなぁ」と思ったのである。
どうも自分という人間の根源的欲求の大きな部分を占めるものとして「世界を感じたい」「世界を抱きしめたい」「世界を満喫したい」というのがあるようなのだ。
そんなぼくに必要だったのは、「“ぼく”と“世界”を同行や言葉によって橋渡し」してくれる人の存在だったのである。
“視覚”以外で“世界”を感じるために。
これまでの人生において、音楽ライブ・コンサートに行って、テレビ・ラジオからの言葉、最近ならソフトによって音声化されたパソコンのインターネットコンテンツの文字情報の言葉によって、あるいは(あまり機会はないけれど)何か珍しい物に、彫刻などの芸術作品に、好きな女の人に、触れることで、ぼくは“世界”を感じてきた。
でも、やはり身近に優秀なサポーターがいなかったために、“密度の薄い人生だったなぁ”という思いは拭えないのであった。
このことはぼくの恋愛観にもつながっていて、「好きな人の目を通して世界を感じたい」という思いとなっているのである。
具体的には、好きな人が見たものを客観的に近い言葉で説明してくれることのほかに、何かを見て引き起こされる反応、喜怒哀楽を言葉にしたものを聴くことである。
そのほかのこととして、ぼくが心掛けているのは「なるべくたくさんの人の言葉を聞く」ということである。
それぞれの人が別々の色を反射する反射板のようなものだから、林檎を見てある人は「赤い」と言い、またある人は「丸い」と言い、また別のある人は「おいしそう」というかもしれない。
人それぞれ興味・関心の対象が違うので、同じものを見ているはずなのにそれぞれに認識の範囲が異なるのである。
ぼくは自分で直接見ることができないので、なるべく多くの人の言葉を聞くことにより、なるべく対象の全体像と本質に迫れればと考えるのである。
「人それぞれ興味・関心が違うから見ているものも違う」という部分が曲者で、自分に同行してもらう人と自分との興味・関心の違いが「相性問題」につながっているところが大きいのである。
つまり「ぼくが見たいと思うものを見てくれない、言葉にしてくれない」ということがぼくの「不満足感」につながるのである。
逆にそれがしっくり行くと満足度が高まるというわけなのだが、なかなかそういう人とのめぐり合いというものはないというのがぼくの悩みの種なのであるが。