ぼくの好みとして、話のネタというか、会話の話題として、自分の病気や障害の話はあまりしたくないなぁというのがあるなぁ。
病気のことや障害のことはその肉体的条件を現実の生活の中でどううまく、あるいは何とか、適応させて行くか、といった具合にはいつも悩んではいるけれども、そのようなことやそれらに纏わる自分の心情について人と会話したいとか、人に話したいとかは全く思わないんだなぁ。
それをやっちゃうと自分の中に広がりが全くなくなっちゃうし、だいいちそのような話題そのものにもともと興味が持てないところが自分にはあるみたいなのだ。
それに自分の興味関心が向かう先というのが「自分の中身をどんどん掘り下げて行きたい」というよりかは「自分の外側へと広がって行きたい」と思うタイプのようなのである。
また、そのような心情を人に吐露することによって、人に理解をしてもらったり、同情してもらうことに全く気持ち良さというのを感じないからでもある。
病気のことや障害のことはその肉体的条件を現実の生活の中でどううまく、あるいは何とか、適応させて行くか、といった具合にはいつも悩んではいるけれども、そのようなことやそれらに纏わる自分の心情について人と会話したいとか、人に話したいとかは全く思わないんだなぁ。
それをやっちゃうと自分の中に広がりが全くなくなっちゃうし、だいいちそのような話題そのものにもともと興味が持てないところが自分にはあるみたいなのだ。
それに自分の興味関心が向かう先というのが「自分の中身をどんどん掘り下げて行きたい」というよりかは「自分の外側へと広がって行きたい」と思うタイプのようなのである。
また、そのような心情を人に吐露することによって、人に理解をしてもらったり、同情してもらうことに全く気持ち良さというのを感じないからでもある。