くつろぎの隠れ家風古民家【丹波篠山まつかぜ屋】

名古屋コーチン・丹波篠山牛・猪肉料理など。完全予約制。駐車場有り。駅弁「新デカンショ弁当」の予約販売も。

アンネット・一恵・ストゥルナート 「故郷、日本をうたう」に寄せて③

2010年05月13日 | Weblog
こうした昭和の歌謡を聴いたあと、再び大正期に戻り、「しゃぼん玉」を聴けば、ほっとするのは、わたしだけだろうか。

長く聴いてきたが、聴くたびに、曲の素朴さ、無垢な美しさに、耳が洗われる思いがする。しゃぼん玉自体、はかないものであるが、息ひとつによって、そのはかないものをうみだす、この遊び自体が、はかなく透明だ、目で追って、消える間際を見定める。消える瞬間に、しゃぼん玉の美は宿る。

雨情の歌には、様々な背景を持つものもあるが、わたしは歌には、あえて事情や思い入れを持ち込まず、歌われている情景に、心を素直に移して聴くのが好きだ。たとえばこの「しゃぼん玉」のように。「遊びをせんとや生まれけむ。--『梁塵秘抄』の有名な歌が、曲の後ろに重なって聞こえてくる。

俵はごろごろ」は珠玉の小品である。半音階で移動していくメロディには、「黄金虫」同様、妖しい官能美を感じる。

そして雨情の最後を飾るのは、「あの町この町」。言葉の繰り返しがだんだん暗くなっていく町をゆく、こどもの心細さを、とてもうまく表現している。

さて、次の「白い花の咲く頃」は、昭和25年に岡本敦郎が歌って大ヒットしたものだ。NHKのラジオ歌謡から生まれたものだという。三番まであるどの歌詞にも、「さよならと云ったら」という行がある。それにしても白い花には、さよならがよく似合う。

ゴンドラの唄」は、わたしが生まれるずっと前に出た曲だが、この美しい三拍子には聞き覚えがあった。歌い継がれてきたことを耳が証明する。大正4年に発表され、松井須磨子が劇中で歌って大人気を博した。その後、黒澤明監督『生きる』のなかでも使われて評判を呼んだ。大正の、時代の匂いがたちのぼるような一曲だ。吉井勇は、歌誌『明星』で活躍した歌人。この歌の歌詞は、同じ『明星』のスター、与謝野晶子の歌「やわ肌の熱き血汐のふれも見でさびしからづや道を説く君」を連想させる。

さくら貝の歌」は、「白い花の咲く頃」と同じころ、同じラジオ歌謡から生まれ、ヒットした曲。

そしてボーナス・トラックに入った、「千の風になって」。「わたし」というものは、ついに死なず、風になり光になり雲になり小鳥になり星となって、生き続けるという。その思想は、「歌」そのものを体言したものではないか。詞を書いた人も、曲を創った人も、やがてはこの世を去っていく。けれど歌は、声にのって、幾度も蘇り消滅しない。響きは、千の風のなかに、千の光となって、融け、広がり、聴く人の心から心へとリレーされていく。生き続けていく。それが歌だ。

【参考文献】「七つの子 野口雨情 歌のふるさと」古茂田信男 著(大月書店)
      「名作童謡 野口雨情 100選」上田信道 編著(春陽堂)

【協  力】 野口不二子(野口雨情生家資料館代表)』

(以上、CD:アンネット・一恵・ストゥルナート 故郷、日本を歌う付属のパンフ記載の「歌の翼」小池昌代 より)

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