CDのパンフにある、小池昌代さんの「歌の翼」という記事の続きです。
『「捨てた葱」は、地味で短いが、異様な迫力を持つ作品である。風邪予防としても使われる葱は、性の強い野菜というイメージがあるが、歌では、引っこ抜かれ、捨てられ、枯れた、無残な姿をさらしている。ここに人生を重ねる人も多いだろう。アンネットさんが、こぶしをまわして歌っており、普段は、ウィーンでオペラを歌うその声に、なつかしい土の匂いがした。葱の根についた土である。
「証城寺の狸囃子」は、可愛らしい曲だ。詞は、千葉県木更津市に伝わる狸囃子伝説を踏まえているという。この曲のアレンジは、大抵、にぎやかなものが多いが、このCDでは、実にさらりと歌われている。曲のシンプルな美しさに気が付く。
「七つの子」も、様々なパロディが生まれるほどに、愛されている有名な曲だ。嫌われ者の鳥だが、夕暮れどき、巣へ戻る群れを見ると、誰もがきっとこの歌を思い出すだろう。長調の明るい曲調のなかに、一箇所、短調のトーンが混ざるところがある。その陰影が、この曲に複雑で深みのある情感を与えている。曲の向こうに、夕焼けの紅く焼けた空が広がって見えてくる。
「信田の藪」の背景にあるのは、「葛の葉伝説」。歌舞伎などの題材として取り上げられてもいるこの伝説は、武士に追われていた白狐が、助けてもらった陰陽師と愛し合い、子をもうけるが、狐という正体がばれてしまって、「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信田の森のうらみの葛の葉」という歌を残し、夫子の元を去ったという悲話である。
「船頭小唄」は雨情・晋平のコンビで創られた流行歌謡だ。おれもお前も枯れすすき。二人の運命を呪うこの歌は、めっぽう暗い。しかも、2年後に、関東大地震が起こり、この曲を「亡国の歌」と非難するひともあったという。雨情自身の、当時の屈折した心情を映してもいたというが、この暗さには人をひきつける魅力があった。その後も多くのひとが、様々のアレンジでこの曲を復活させ、現代へと歌い繋いでいる。日本人の心情にある良くも悪しくも変わらぬエッセンスが、この曲のなかにあるのかもしれない。
「十五夜お月さん」もよく聴けばまた、哀しい家族離散の曲である。あまりにくっきりとした夜の月を見ると、人間は、そこへ自分の心情を吐露したくなってしまうものなのだろうか。雨情の離婚経験が、この曲に影を落としていることを指摘するひともいる。いったい、どんな事情があったのか、協議離婚をしたあと、この歌のとおりに、婆やには暇を出し、子を引き取った雨情だが、子供たちは、母を慕って泣き、結果、雨情は、子を母の元へ戻してやったという。
「黄金虫」も、一度、耳についたら、離れない曲である。ふしぎな呪縛が曲のなかにある。半音が重ねられ、ひたひたと進むメロディには、どこか、悪魔的な魅力があるが、こういう妖艶なきらめきのある童謡は、平成の世に、なかなか生まれにくいような気がする。
「雨降りお月」とは、雨の降る日の月のことだろうか。上田信道編著『名作童謡 野口雨情100選』によれば、雨情の最初の妻の婚礼当日も、土砂降りの雨で大変だったとか。月のまわりにできる光の環を暈(かさ)といい、暈ができた翌日は、雨になると、昔のひとは言ったそうだ。雨の日の月に、お嫁さんを重ねて思う神経は、やはり詩人のものだと思う。「嫁入り」という行為には、それでなくてもさびしいものがある。雨情もそこに感傷を覚えていたかもしれない。
伊豆大島にある波浮の港を舞台にした、「波浮の港」は、昭和初期、雨情・晋平のコンビで、大ヒットしたもの。ヤレホンニサという合の手が効いている。
『「捨てた葱」は、地味で短いが、異様な迫力を持つ作品である。風邪予防としても使われる葱は、性の強い野菜というイメージがあるが、歌では、引っこ抜かれ、捨てられ、枯れた、無残な姿をさらしている。ここに人生を重ねる人も多いだろう。アンネットさんが、こぶしをまわして歌っており、普段は、ウィーンでオペラを歌うその声に、なつかしい土の匂いがした。葱の根についた土である。
「証城寺の狸囃子」は、可愛らしい曲だ。詞は、千葉県木更津市に伝わる狸囃子伝説を踏まえているという。この曲のアレンジは、大抵、にぎやかなものが多いが、このCDでは、実にさらりと歌われている。曲のシンプルな美しさに気が付く。
「七つの子」も、様々なパロディが生まれるほどに、愛されている有名な曲だ。嫌われ者の鳥だが、夕暮れどき、巣へ戻る群れを見ると、誰もがきっとこの歌を思い出すだろう。長調の明るい曲調のなかに、一箇所、短調のトーンが混ざるところがある。その陰影が、この曲に複雑で深みのある情感を与えている。曲の向こうに、夕焼けの紅く焼けた空が広がって見えてくる。
「信田の藪」の背景にあるのは、「葛の葉伝説」。歌舞伎などの題材として取り上げられてもいるこの伝説は、武士に追われていた白狐が、助けてもらった陰陽師と愛し合い、子をもうけるが、狐という正体がばれてしまって、「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信田の森のうらみの葛の葉」という歌を残し、夫子の元を去ったという悲話である。
「船頭小唄」は雨情・晋平のコンビで創られた流行歌謡だ。おれもお前も枯れすすき。二人の運命を呪うこの歌は、めっぽう暗い。しかも、2年後に、関東大地震が起こり、この曲を「亡国の歌」と非難するひともあったという。雨情自身の、当時の屈折した心情を映してもいたというが、この暗さには人をひきつける魅力があった。その後も多くのひとが、様々のアレンジでこの曲を復活させ、現代へと歌い繋いでいる。日本人の心情にある良くも悪しくも変わらぬエッセンスが、この曲のなかにあるのかもしれない。
「十五夜お月さん」もよく聴けばまた、哀しい家族離散の曲である。あまりにくっきりとした夜の月を見ると、人間は、そこへ自分の心情を吐露したくなってしまうものなのだろうか。雨情の離婚経験が、この曲に影を落としていることを指摘するひともいる。いったい、どんな事情があったのか、協議離婚をしたあと、この歌のとおりに、婆やには暇を出し、子を引き取った雨情だが、子供たちは、母を慕って泣き、結果、雨情は、子を母の元へ戻してやったという。
「黄金虫」も、一度、耳についたら、離れない曲である。ふしぎな呪縛が曲のなかにある。半音が重ねられ、ひたひたと進むメロディには、どこか、悪魔的な魅力があるが、こういう妖艶なきらめきのある童謡は、平成の世に、なかなか生まれにくいような気がする。
「雨降りお月」とは、雨の降る日の月のことだろうか。上田信道編著『名作童謡 野口雨情100選』によれば、雨情の最初の妻の婚礼当日も、土砂降りの雨で大変だったとか。月のまわりにできる光の環を暈(かさ)といい、暈ができた翌日は、雨になると、昔のひとは言ったそうだ。雨の日の月に、お嫁さんを重ねて思う神経は、やはり詩人のものだと思う。「嫁入り」という行為には、それでなくてもさびしいものがある。雨情もそこに感傷を覚えていたかもしれない。
伊豆大島にある波浮の港を舞台にした、「波浮の港」は、昭和初期、雨情・晋平のコンビで、大ヒットしたもの。ヤレホンニサという合の手が効いている。