耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

かかりつけ医

2021年07月08日 08時49分30秒 | この頃思うこと

 コロナのワクチン接種予約ができないデジタルデバイド対策で、

かかりつけ医が、話題になった。老人の8割にかかりつけ医が

居るというが、私には居ない。年に1回の無料健康診断以外には、

たまに風邪をこじらせた時位しか医者に掛からないからだ。

 定期健康診断は、ここ数年は近くの町医者に通っているので、

敢えて言えばそこがかかりつけかもしれない。そこに通う理由は、

建物が新しく綺麗なことと、患者が少なく殆ど待たないことだ。

医者は無愛想で必要最小限しか発言せず、カルテにわずかに記入

するだけで殆んど顔も見ない。私を特定の個人としてではなく、

不特定多数の患者の一人としてしか見て居ない。

 なかなか寄り付き憎いこんな医者は、かかりつけとは言いがたい。

かかりつけとは、患者の状況を把握していて、親身に相談出来る

存在であるべきだし、臨終に立ち会って貰いたい存在であるべき

だろう。


 私の母は老人介護施設で臨終を迎えたが、最後は救急車で病院に

運ばれた。死亡診断は医師しかできないし、医師が立ち会って

いない死亡は、警察の検死が必要になるからだ。明らかに死亡して

いても、救急車で病院に運んで医師に判断を委ねないと手続きが

うるさくなるからだ。


 延命処置を希望しない老人が、自宅で最期を迎えたいと思って

も、医師が立ち会わない死亡は不審死になってしまうので、面倒を

避けるために救急車を呼ぶことが多いと言う。救急治療は延命を

目的とするから、本人の意思に拘わらず、沢山管をつながれて、

植物人間状態を続けさせられる。

 臨終の床に往診してくれて、本人の希望を尊重して不必要な延命

措置を省略して、最期を看取ってくれて死亡診断してくれる医師

こそが、掛かり付けだと考えるが、そんな医師が、居るだろうか?

 

 最近、患者の顔を見ながら、丁寧に診察してくれるクリニックに

出会った。今年は定期健康診断をそこにお願いした。

 身体検査や検体採取は時間を予約したのでスムーズだったが、

健診結果の説明を受けて健康手帳を返してもらうだけの、最後の

診察が上手く行かなかった。10:30からの予約だったが、40分以上

待っても順番が来ない。あとどれくらい待つのか、と聞いたらまだ

前に5人患者が待っている、と言う。「健診結果を聞くだけだから、

別の日にしたい」と言うと、その結果を聞くだけのために「今調べて

ますから」と言って、更に15分待たされた。

 確かに、待合室には待っている患者さんが沢山居て、医師は大変

だったろうと思う。しかし、待合室に拘束されて何もすることが

出来ず、何の情報も無くただ待たされることがどんなにつらいか、

察していただいても良いのではないか、と思った。

 

 近くの大学病院は1時間以上の診察待ちが常識だが、待ちの状況の

表示があるし、携帯電話で「もう直です」という連絡をするなどの

工夫も有る。

 患者のエゴかも知れないが、何かアイデアが有っても良いと思う!

 

    鬼灯を鳴らす口許愛らしく
      鬼灯の赤と浴衣の赤い帯
      鬼灯の如くに頬の朱かりし 蛙蝉

 

 

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