参議院選挙が昨日終わりました。
さて、今日はこの機会に、少し民主主義について考えてみたいと思います。
よく、民主主義を行使する行為としての「投票」というものが強調され、「一票を投じる=民主主義」みたいな報道や広報が多いわけですが、もし一票を投じる行為にしか民主主義が反映できないとしたら、その機会たるや絶望的ですね。それでは「結局、投票に行って何が変わるの?」という人たちの心は動かせないかもしれません。
効果的・機能的に働いている状態を考えるのに、人体のアナロジーはわかりやすいと思います。肺には肺の、胃には胃の役割というのがあり、脳という中央司令塔が演算してすべての命令を中央から降らせているのではなく、持ち場持ち場の臓器(各担当)が最も効力を発揮する場所において自分らしく働いている状態が維持されていることが大事だということなのです。
それを参考にすると、例えば「コロナ渦での保健所の保健師業務がどうあるべきか」というのは、政治的な最終決定権を持つ人物(例えば急に任命された素人知識しか持たない厚生労働大臣)が決めてしまうと、全く現場のニーズからは乖離された政策が全国一律で起きてしまうということになります。有能で機能している現場の保健師がどうしたいかを意思決定する仕組みにした方が明らかに機能するわけです。
ただし、Aというポジションで働く現場のプロパーとBというポジションで働く現場のプロパーでは、ものの見方捉え方は当然違ってくるから、それぞれの正しさ・やりやすさのみを通そうとすれば矛盾が出てくるシーンもあるわけです。そこで必要なのは
1.お互いの傾聴と対話
2.全体を俯瞰して整理する能力
3.ゼロサムゲーム(どちらかが勝者になればどちらかが敗者になる)に陥らない、第3極の賢い選択の創造(コ・クリエーション)
つまり、何が言いたいかというと、毎日の実践でものの動きがわかっている担当者にもっと権限を与えること。矛盾したり、トレードオフ関係にある政策が出てきてしまった場合には、真摯に互いに傾聴し、お互いをつぶし合わないで利を取れる第3極を模索するということになります。