仕事に関して「自分の代わりはいない」という人がいる。しかし、実際そうだろうか? 自分が世から姿を消した場合その仕事は終わるのか? 私は、そう思わない。自分が姿を消した場合、その瞬間は仕事が一旦滞ることは間違いない。しかし、そのあと別の人が自分の代わりの仕事を始める。それは、どれ程難しい仕事であっても同じである。それが人に真似の出来ない仕事であった場合、後任者は別の方法で、たとえ前任者より膨大に時間を要したとしても、その仕事を実現するであろう。それはフリーランスであっても企業に勤めていても同じである。 従って、仕事について「自分の代わりはいない」と言うことはないのである。しかし自分と全く同じ仕事ができるかは別である。自分の仕事を真似ることはできるが、自分と同じ効率で業務を遂行はできない。後任者が、自分より効率のいい方法で仕事を行なう可能性もある。後者の場合、誰でもいくらでもできる仕事ということになる。後任者が自分よりも効率のいい仕事をした場合、それはすでに「自分の代わりはいない」から外れていることになる。零細企業のサラリーマンや、職人などは、「自分の代わりはいない」と思いがちなのである。しかし、必要な場合必ず代わりは現れる。もし代わりが居なくなり仕事が滞ると別の会社が代わりになる。もっと大きくいうと、日本が滞った場合他国の会社が代わりを行える。その場合もっと効率のいい仕事をする可能性もある。今のところ日本はいい仕事をするのでそのようなことはない。少し話が逸れたが、仕事というのは誰かが代わりを必ず行なう。「自分の代わりはいない」ということはない。しかし、人は「自分の代わりはいない」といいたい、そうあってほしい願望は必ずある。その願望は、自分の存在を他人に認めてほしいからであろう。人は、「自分の仕事の代わり」がいくらでも存在し、業務に支障をきたさないということを認めたくないのだ。認めてしまうと自分の存在が薄れてしまう。そうならないために、誰にも真似できないような方法を考える。場合によっては、「匠の技」などという言葉を使って後任者が出来ない方法や引き継げない方法を考え出す。それは自分の存在が薄れないための方法である。従って、「自分の代わりがいない」というのは「自分の存在を薄れさせたくない」ということである。そうであれば、仕事以外のアプローチが必要ということになる。しかし、企業側から営利目的である以上、仕事以外のアプローチはないということになる。自分の代わりは存在する。それは、凄腕の職人であってもその仕事を上回る可能性もあることを、理解した方がいい。