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浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

仏に成る条件は放下すること

2014-06-26 | 【仏陀の教育】


成佛的條件是放下 / 仏に成る条件は放下すること
文摘恭錄—淨土大經解演義(第三十四集)2010/5/9 檔名:02-039-0034

這一句佛號是梵語,阿彌陀佛,如果完全翻成中文的意思,阿翻作無,彌陀翻作量,佛翻作覺,不是不能翻,為什麼不翻?叫尊重不翻。整個翻出來是無量覺,沒有一樣不覺。我們現在怎麼樣?我們現在是一切迷,一樣也不覺,天天念這一句提醒自己。什麼是覺?放下障礙就覺了,不執著、不再有成見,你就開始覺悟了。真的不執著了,對於世出世間一切法都不執著,身也不執著了,恭喜你,你證得阿羅漢果,你成了正覺。再放下分別,不但不執著,於世出世間一切法都不分別了,為什麼?凡所有相,皆是虛妄;一切有為法,如夢幻泡影。今天科學家跟我們說,一切現象都是波動,根本就不是事實存在,了無所得。科學家發現這個事實真相,只要他放下,他也成佛,他也成菩薩。
阿弥陀仏、この仏号はサンスクリット語(梵語)です。もし中国語の意味に翻訳するなら、阿は「」と訳し、弥陀は「」と訳し、仏は「」と訳します。翻訳できないのではありません。なぜ訳さないのでしょうか?尊重して訳さないのです。すべて翻訳すれば無量覚です。覚らないところは一つとしてありません。私たちは今どうでしょう?私たちは今すべて迷っています。一つとして覚っていません。毎日この仏号を念じて自分を悟らせます。覚とは何でしょうか?障碍を放下すれば覚ります。執著せず、成見(せいけん=先入観、既成概念)を持たなければ、あなたは覚り始めます。本当に執著せず、世間、出世間の一切の法に執著せず、身体にも執著しなくなれば、幸いにして、あなたは阿羅漢果を証得したのです。あなたは正覚を得たのです。更に分別を放下します。執著しないだけでなく、世間、出世間の一切の法を分別しません。なぜでしょう?「凡所有相,皆是虚妄」(およそ姿・形あるものは、すべて偽りである)、 「一切有為法,如夢幻泡影」(すべての現象は、夢、幻、泡、影のようなものである)【注1-2】。今の科学者は説いています。一切の現象は波動であり、根本的に事実として存在せず、捉えることはできません。科学者はこの事実の真相を発見しました。放下しさえすれば、彼らもまた仏に成り、菩薩に成ります。
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 【注1】 凡所有相,皆是虚妄。
 凡そ相有る所、皆是虚妄なり。
 およそ姿・形あるものは、すべて偽りである。
 【注2】 一切有為法,如夢幻泡影,如露亦如電,應作如是觀。
 一切の有為(うい)の法、夢幻泡影(むげんほうよう)の如し、露の如く亦(ま)た電(かみなり)の如し、応(まさ)に是(か)くの如く観を作(な)すべし。
 すべての現象は、夢、幻、泡、影のよう、また露、または電光のようなもの、そのように見るが良い。
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不一定是學佛才能成佛,學科學也能成佛,學哲學也能成佛,學其他宗教也能成佛,成佛的條件是放下。無論學什麼,你只要能把執著放下,在佛家講,你就成正覺,你證阿羅漢果;你分別放下了,你就成菩薩,你成正等正覺;你不起心、不動念,你就成佛,你成無上正等正覺。釋迦牟尼佛給我們講這些事實真相,除了教學之外,幫助我們覺悟,幫助我們回歸自性。他要什麼?他什麼都不要,他也不要名,也不要利,也不需要別人尊重,心地確實一塵不染。他給我們示現的,他所教導我們的,都是我們自己本來有的,我們本來跟他是一樣的,向他學習就能夠找到我們本來面目。
仏法を学んで仏に成るとは限りません。科学を学んでも仏に成れます。哲学を学んでも仏に成れます。他の宗教を学んでも仏に成れます。仏に成る条件は放下することです。何を学ぼうと、執著を放下することができれば、仏家で言うところの正覚を得るのです。あなたは阿羅漢果を証得するのです。分別を放下すれば、あなたは菩薩に成ります。正等正覚を得るのです。心を起こさず、念を動かさなくなれば、あなたは仏に成ります。無上正等正覚を得るのです。釈迦牟尼仏はこれらの事実の真相を説かれました。教学の他に、私たちが悟るのを助け、自性(じしょう)【注】に回帰するのを助けました。彼は何かを必要とするでしょうか?彼は何も必要としません。彼は名声も利益も要りません。また他人が尊重することも要りません。心は間違いなく一塵の穢れもありません。彼は私たちの為に示現されました。彼は私たちを教え導いているのです。すべて私たち自身が本来具えているものです。私たちは本来彼と同じなのです。彼に学べば私たちの本来の面目を見つけることができます。
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 【注】 自性(じしょう)・・・・各人に内在する真如(しんにょ=宇宙の根源的な存在、永久不変の真理)。本来具えている性質。
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<参考> *以下は浄空法師のお話を基に整理したものです。
 <放下する煩悩>  <回復する本性>  <境界>
    執著心   →   清浄心   → 阿羅漢  正覚
 (執着・こだわりの心)  (清らかな心)    ↓ *六道輪廻からの離脱
    分別心   →   平等心   → 菩薩   正等正覚
 (識別・差別する心) (分け隔てのない心) ↓
    妄想(起心動念)→       → 仏陀   無上正等正覚
 (心・意念の働き)  (妄想を離れた境界) *相似即仏

*相似即仏(そうじそくぶつ)は仏に似ているが、まだ妄想、起心動念の習気(じっけ)を残している。起心動念、無始無明の煩悩を放下して、ようやく常寂光土に入り真仏に成るという。



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