浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

天地に生きる人類が直面する最大の危機02/10

2013-06-27 | 調和が危機を救う

【智慧と知識】

【司会者】:您是說現在很多人連判斷威脅和安全的能力都喪失了?
老法師は、現在多くの人は脅威と安全を判断する能力さえ喪失したと仰るのですね?

【浄空法師】:沒這個能力,這是智慧,這不是知識,這是智慧。
その能力がありません。これは智慧であり、知識ではありません。智慧なのです。

【司会者】:喪失的原因就是喪失了智慧?
喪失した原因は、智慧を喪失したからなのでしょうか?

【浄空法師】:對。中國人自古世代相傳是智慧,知識是第二,智慧是第一。你看中國《四庫全書》,經史子集,經是智慧,史是知識。
そうです。中国人が古来より代々伝えてきたのは智慧であり、知識は二番目です。智慧が第一です。中国の『四庫全書』を見れば、経史子集(けいしししゅう)【注】の「経」は智慧であり、「史」は知識です。
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 【注】 経(けい)史(し)子(し)集(しゅう)・・・・経書・史書・諸子百家・詩文集。漢籍の分類法。
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【司会者】:那能不能這樣說,經典指的是原理和原則、是規律?
それでは経典は原理と原則、法則を指すものであると、このように言えるでしょうか?

【浄空法師】:沒錯。歷史是經驗,從經驗當中汲取教訓。
その通りです。歴史は経験です。経験の中から教訓を汲み取ります。

【司会者】:這是兩樣東西。
これは異なるものなのですね。

【浄空法師】:對,沒錯。經史之學。
そう、その通りです。経史の学です。

【司会者】:譬如說我們看儒家經典,孔老夫子就講一個字,仁愛的「仁」,就這一個字就包括了一切,這肯定不是知識。
例えば儒家の経典を見ると、孔夫子は一字を重んじています。仁愛の「」ですが、この一字にすべてが包括されています。これは間違いなく知識ではありません。

【浄空法師】:不錯。你看「仁」這個字,二人,這個意思是會意,讓你想到自己就要想到別人。「仁者愛人」、「己所不欲,勿施於人」,這是中國人!外國人不是,外國人是損人利己。人人都損人利己,這個社會怎麼會沒有衝突?所以今天社會衝突,各個階層都衝突,家庭衝突,在公司裡面,員工跟老闆的衝突,領導跟被領導的衝突,發展到族群的衝突,乃至於宗教的衝突,政治上的衝突,派系的衝突,到處都是衝突,這個成什麼世界!
その通りです。「」という字は、「」と「」とで構成されています。これは会意であり、自分のことを考えると同時に他者のことを考えさせます。「仁者は人を愛す」、「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」、これが中国人です!外国人は違います。外国人は人に損害を与えて己を利するのです。誰もがそうなっては、この社会に衝突がないことがあるでしょうか?ですから今日の社会の衝突は、各階層すべてが衝突しています。家庭で衝突し、会社では社員と社長が衝突し、指導者と支持者が対立し、民族の衝突に発展し、乃至は宗教の衝突、政治的な衝突、派閥の衝突、至る所で衝突しています。このようなことで世界はどうなってしまうのでしょうか!

【司会者】:西方價值觀盛行的世界就是這樣,競爭,鼓勵競爭。
西洋の価値観が盛んな世界は、正にこうです。競争を奨励しています。

【浄空法師】:對,競爭到最後,我常講的,競爭提升就是鬥爭,鬥爭提升就是戰爭,那戰爭就是佛講的小三災。
そうです。私はよく言うのですが、競争が激化すれば闘争になり、闘争が激化すれば戦争になります。その戦争とは仏の説かれる小三災です。

【司会者】:已經發生過一次了。
すでに一度発生しました。

【浄空法師】:對,是。所以從前我們講經的時候,遇到「小三災、大三災」,總是講不圓滿。
そうです。ですから昔は講経の時に「小三災、大三災」が出てくると、いつも説法は円満ではありませんでした。

【経済に関する素朴な疑問】

【司会者】:看著電視裡面很多經濟學家的講話和分析,我現在替老百姓問一個很質樸的問題,大家發現,就是好像如果人們要是沒有消費的話,這些經濟學家就沒事幹了,給人的感覺就是,他們這些經濟學家的理論還有他們的方法,大家要打一個問號,為什麼?他們是鼓勵消費的。鼓勵消費的反面就是鼓勵節儉,難道鼓勵節儉是錯誤的嗎?大家就有這個疑問,借錢過日子,那不是敗家子嗎?那老百姓就說,那些經濟學家難道在培養敗家子嗎?
経済学者たちの話や分析をテレビで見ておりますと、私は今一般庶民に代わって素朴な質問をさせて頂きますが、もし人々が消費しなくなったら、経済学者はすることがなくなります。そこで感じるのは、経済学者たちの理論と彼らの方法には誰もが疑問符を付けるということです。なぜでしょう?彼らは消費を奨励するからです。消費を奨励する反対は、節約を奨励することです。まさか節約を奨励するのは間違いなのでしょうか?誰もがこのような疑問を持ちます。お金を借りて生活するのは、放蕩息子ではないでしょうか?一般庶民に言わせれば、それらの経済学者は放蕩息子を育成しているのではないでしょうか?

【浄空法師】:是,沒錯。我記得我是第一次回中國的時候,那是一九八幾年的時候,好像開放沒多久,是韓館長回家,她是大連人,我們就陪她一同。到家裡面去的時候,家裡還有親戚朋友,大概有二、三十個人,我記得是三桌,圓桌三桌在一起吃飯。我們從美國回來,他們羨慕得不得了。當時他們要我講話,我就告訴大家,我說你們很羨慕美國人的生活,我說我今天問你們一句話,你們在座的這三十多位,你們哪個人是負債過日子的?他們大家都看看,一個都沒有,一個負債的都沒有。我說你不知道,你們真幸福!美國是負債過日子,從出生就負債,到老死都還不清,來生還要還,這個日子你們要過嗎?這房子,賒帳賒來的,車子,也是賒來的,冰箱什麼,都是賒來的,每一天拼命工作幹什麼?還帳。這個日子你願意過嗎?哪有像你們,放工之後,在門口擺個小桌子下下棋,喝老酒聊天,這種情逸致,在美國人作夢都想不到。你們願意過那種生活嗎?
そうです。その通りです。私が最初に中国に帰った時、あれは八〇何年の頃ですが、開放して間もない頃でした。韓館長が帰国しました。彼女は大連の人で、私たちは彼女に同行しました。家に行った時、家にはまだ親戚や友人がいて、だいたい二、三十人、三つの円卓で一緒に食事をしました。私たちはアメリカから帰って来たので、彼らはとても羨ましがりました。当時彼らは私に話をして欲しいと言うので、私は彼らに言いました。「あなた方はアメリカ人の生活を羨ましがっていますが、ここにいる三十数人のうち借金して暮らしている人はいますか?」 彼らの中に負債を抱えている人は、一人もいませんでした。私は「あなた方は本当に幸せですよ!」と言いました。アメリカでは負債を抱えて暮らしています。生まれた時から負債を抱えて、年老いて死ぬまで返済できません。来世でもまた返済します。このような日々を過ごしたいのでしょうか?家はローンで買い、車もローンで買い、冷蔵庫も何もすべてローンです。一日中必死に働いてどうするのでしょうか?返済です。あなたはこうした日々を過ごしたいでしょうか?あなた方のように、仕事を終えた後で、門の前にテーブルを並べて将棋や囲碁をしたり、老酒を飲んで世間話をしたり、そのように呑気に暇をつぶして過ごすことなど、アメリカ人は夢にも想像できません。そんな生活を送りたいのでしょうか?

【司会者】:那我跟您說,我在香港看到的,也很近似於美國的狀態,我這次了解到很多香港的居民都是這樣,很多香港老百姓也是,一輩子都在還債。北京也有一些這樣的例子。
老法師に申し上げますと、私が香港で見たものは、アメリカにとてもよく似た状態です。私は今回香港の多くの住民がそのようであることを知りました。香港の一般庶民もそうです。一生返済し続けています。北京でもそのような事例が見られます。

【浄空法師】:對。這種日子我們是決定不能過的。我在美國十幾年,沒有向銀行借一分錢。我覺得這很羞恥,借錢過日子,你成什麼話?我們再窮再苦,我們不要借錢過日子,你的心多安。所以心安理得,那才叫真正的幸福人生。
そうです。私たちはそのような暮らしを送ってはなりません。私はアメリカに十数年いましたが、銀行に一銭も借りたことはありません。それは恥ずべきことだと私は思います。借金して暮らすのは筋が通りません。どれほど貧乏で苦しくても、借金暮らしはしません。あなたの心は安らぎます。道理に適った行いをして、心の安らぎを得る。それが本当に幸せな人生と言うものです。

【司会者】:在中國幾千年來,借錢過日子去享受,那是可恥的。
中国では数千年来、借金暮らしで楽しむのは、恥ずべきことです。

【浄空法師】:可恥!那實在是沒有人原諒你的。
恥です!それは本当に誰も許してはくれません。

【司会者】:我要是有個孩子,他說咱們去借錢,咱們去享受生活,我說你沒志氣,我是不是應該這樣講?
私にもし子どもがいて、子どもが借金して生活を満喫しようと言ったなら、私は「お前には気概がないのか」と言うでしょう。そのように言うべきでしょうか?

【浄空法師】:沒錯,一點都不錯。
その通り。間違ってはいません。

【司会者】:但是美國爸爸就不是這麼說。
しかしアメリカの父親はこのようには言いません。

【浄空法師】:對,美國人不是。所以災難一來,美國首當其衝,它不是沒有道理的。許多國外的預言家都講世界上有大災難,從哪裡開始?從美國開始。我相信,為什麼?你看他造的是什麼因。
そうです。アメリカ人は違います。ですから災難が来ると、アメリカが真っ先に矢面に立たされるのです。それは道理のないことではありません。海外の予言者の多くは、世界に大災害が起こると言っています。どこから始まるのでしょうか?アメリカから始まると言います。私はそれを信じます。なぜでしょう?彼らがどんな因を造り出したか見て下さい。

【司会者】:那他要是推行自己的價值觀,讓世界上的人們都像他這樣做。
それでは彼らが自分の価値観を推し進め、世界中の人々も彼らのようにさせたなら。

【浄空法師】:他頭一個毀滅,他把人教壞了。你自己壞是應有所得,你再教導別人作惡,你這個罪多重!
彼らが先に壊滅します。人を誤って導いたからです。自分を滅ぼすなら理の当然ですが、更に他人に悪い行いをさせたなら、その罪は重大です!

【司会者】:西方的經濟學理論就是鼓勵消費,擴大內需,但是它的反面就是我們中國的傳統,是鼓勵節約的。現在全世界的資源都快枯竭了,各個城市、各個國家也都是這個問題,譬如說像一次性的筷子,實際上按照正常情況下,應該是盡可能不要用,那就不用去砍樹了。但是你如果要是不用的話,那經濟學家和商人們就反對了,說你不消費怎麼行?
西洋の経済学理論は正に消費を奨励して、内需を拡大させます。しかしその反対に、我々中国の伝統は節約を奨励するものです。今全世界の資源はもう少しで枯渇します。各都市、各国でこの問題があります。例えば使い捨ての割り箸のように、実際に正常な状況下では、できる限り使うべきではありません。それで樹木を伐採せずに済みます。しかしもし使わなければ、経済学者と商売人たちは反対して、消費しないでどうするのかと言います。

【浄空法師】:不是這樣的,那是少數人,為了少數人個人的利益,破壞整個大自然,破壞整個社會,這是錯誤的。所以,必須要有智慧去觀察。我不贊成西方的經濟。好像我昨天跟你提起,你看西方的經濟學家到澳洲商學院講演,我聽了之後就搖頭。澳洲人還算不錯,澳洲人知足,澳洲人懂得享受大自然。澳洲人不願意賺錢,所以商店早晨十一點才開門,下午五點鐘就關門了,星期六、星期天不做生意,出去玩去了。
そうではありません。それは少数の人です。少数の人の個人的な利益の為に、大自然が破壊され、社会全体が破壊されています。これは間違いです。ですから智慧をもって観察しなければなりません。私は西洋の経済に賛成しません。私は昨日あなたに提起したと思いますが、西洋の経済学者がオーストラリア商学院に講演に来た時、私はそれを聴いて首をかしげました。オーストラリア人はまだ良い方です。オーストラリア人は足るを知っています。オーストラリア人は大自然を満喫することを理解しています。オーストラリア人は金儲けをしようとしません。ですから商店は朝の十一時に開いて、午後五時には閉めてしまい、土曜、日曜は仕事をせずに遊びに出かけています。

【司会者】:那他們會有企業家,會有這些學者要問這個問題,大家都知足了,中國傳統的老觀念,都知足了,國家怎麼進步?社會怎麼發展?
それでは彼らの企業家たちや、学者たちはこう質問することでしょう。誰もが足るを知り、中国伝統の観念のように足るを知ったなら、国家はどうして進歩するでしょうか?社会はどうして発展するでしょうか?

【浄空法師】:對,澳洲人不願意發展工商企業,不願意發展這個,他說我們的資源要留給後代,我們現在這個生活過得很舒服就很好,他就滿足了。所以澳洲地大,資源豐富,人少,全國才只兩千多萬人。所以他不爭,澳洲人不競爭。
そう。オーストラリア人は商工企業の発展を望みません。その発展を望みません。彼らは自分たちの資源を後世に残そうとします。今の生活が快適に過ごせればそれで良いのです。彼らは満足します。オーストラリアは土地は広くて資源は豊富です。人は少なく、全国で二千万人余りしかいません。ですから彼らは争いません。オーストラリア人は競争しません。

【司会者】:您是說那種經濟學的觀點太自私了,是嗎?
老法師はこのような経済学の観点は、利己的だと仰るのでしょうか?

【浄空法師】:對。
そうです。

【司会者】:還有一些說法,就是說這是一個轉型期,這是個過渡期,過渡期肯定要砍樹,肯定會有自然的代價,這個轉型期過去之後,過渡期過去之後,可能就沒事了。
もう一つの言い方があります。つまりこれは一つの転換期であり、これは過渡期であるということです。過渡期には必ず樹を切り倒し、必ず自然の代償が伴います。この転換期が過ぎ去り、過渡期を過ぎた後、無事になるだろうというものです。

【浄空法師】:不,過渡期過去之後自然災害就來了。我是在抗戰時期,我走過長江,長江兩岸的森林都還在,原始森林都在。古人詩詞裡面,「兩岸猿聲啼不住,輕舟已過萬重山」,真有那個味道。二000年我陪同新加坡的九個宗教代表團訪問中國十六天,宗教局特別給我安排這個行程,說是你過去走過,你再去走一次。但這一次從宜昌到重慶這一段,走三峽這一段,兩岸的樹全沒有了。我看了看,心裡真是很痛心,森林沒有了,所以長江就有水災,水土保持保持不住了,常常有堤崩的這種現象,那就帶來災害。你想想看,你把這個樹木砍伐了,那一次水災,你用多少人的生命、財產做代價?
いいえ。過渡期が過ぎ去った後で、自然災害がやって来ます。私は抗日戦争の時、長江を渡り、長江の両岸の森林はまだ残っていました。原生林がありました。古人の詩の中にある、「両岸の猿声啼いて住まざるに、軽舟已に過ぐ万重の山【注】、本当にその味わいがありました。二〇〇〇年に私はシンガポールの九つの宗教代表団を案内して中国を十六日訪問したのですが、宗教局は私の為に特にこの行程を手配してくれました。昔行った所にもう一度行ってみて下さいと言うのです。しかしその時は宜昌から重慶に行って三峡に至ると、両岸の樹木は全部なくなっていました。私はそれを見て、本当に心を痛めました。森林がなくなったのです。だから長江には水害が起こります。水と土壌を維持できず、堤防が崩れることがよくあり、それが災害を招いています。考えてみて下さい。樹木を伐採したことで、一度の水害によってどれほどの生命と財産が代償になっているでしょうか?
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 【注】 李白の詩「早発白帝城」(早(つと)に白帝城を発す)の一節。
 早発白帝城  李白
 朝辞白帝彩雲間 朝(あした)に辞す白帝彩雲の間
 千里江陵一日還 千里の江陵一日(いちじつ)にして還る
 両岸猿声啼不住 両岸の猿声(えんせい)啼(な)いて住(や)まざるに、
 軽舟已過万重山 軽舟(けいしゅう)已に過ぐ万重(ばんちょう)の山
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【司会者】:當初在做這個事情的時候看不到。
当初それをした時は見えませんでした。

【浄空法師】:沒看到!結果以後才曉得,森林是保持水土的,它有這個作用,有這個功能。
見えません!その結果、あとからようやく分かるのです。森林には水と土壌を維持する作用があり、またその機能があります。


>>天地に生きる人類が直面する最大の危機03/10につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/332c8fd4a8052ac2543358628df432ce


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