[2022年以後] ぼくらの時代、ぼくらの祖国

そして私には小説が必要になった

ソウルから帰ってまだ2週間も経っていない。
先週私はチョ・ナムジュ氏の「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んだ。小説をほとんど読まなくなっていた私がたちまち読了し、小説を古典ではない現代文学を読む面白さがわかったような気がする、と書いた。
そして続けて李箱(イ・サン)文学賞を受賞したハン・ガンの「菜食主義者」を読んだ。
男尊女卑で封建的な家庭、韓国社会の中で育ち生きてきたヨンヘが心を病み、菜食主義者となる狂気と、それにより夫や家族が崩壊していくハナシ。これもやめられずに読了した。心に響いた。
次に読んだのが荻原浩の「明日の記憶」。50歳でアルツハイマーを発症した広告業界で働く管理職が、記憶を失っていく不安と恐怖、或いは絶望の日々。
これは一気に読了したとは言えない。読むのが辛くなって数時間、或いは半日中断した。最終章の何頁かは走り読みだった。彼がどうなってしまうのか知りたくて文章をじっくり味合う余裕がなかった。
そして昨日、机上に積まれた10冊を超える小説を手にとりパラパラめくりながらも、どれから読もうか私は決められずにいる。
私はソウルを旅したことが小説を読むきっかけになったみたいなことを書いたが、本当はちょっと違う。それよりだいぶ前に又吉直樹の「火花」を読んだことから始まっていた。それから又吉が “なぜ本を読むのか、文学の何がおもしろいのか” を書いた「夜を乗り越える」を続けて読んだこと、それがきっかけだったというのが正しい。
もっともこの歳になるまで私が小説を読まないできたわけではない。いや相当な数の小説を人並みに読んできた。
考えてみればほとんど小説を読まなくなったのはリタイア後だ。世界の歴史、塩野七生、ウッドワード、政治や社会などの著作を読むのに忙しかった私には小説を読む動機がなかった。
そして今年私はさらに年齢を重ね、17年間人生を共にしたハートとの別れ、ゼミの山本くんの突然の訃報、或いは己の体力の衰えといったことから、死や病について以前より少しリアルな想像をするようになった。
すると残されたこの先に何をするか、何がしたいかと考えたり、或いは自分の人生ってなんだったのかと思ったり。そんなことが増えた。
とここまで書いて、いまの自分にある “小説のマイブーム” の理由が少しわかった。
年齢と経験を重ねてしまったゆえに、私には小説が現代文学が必要になったのだ。
本当に “小説のマイブーム” がこれからもずっと続くのかはわからないが。

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