そこに調性は潜む。
ゴーベールとドビュッシーは二人ともフォーレの生徒であった。三人が生きたベルエポックを経て二つの大戦の狭間に探していたパリの空気を感じる。そこに調性の神秘が潜む。人々は生き延びた、がしかし不安と狂気がそこにはある。だから真の尊い喜びを無視したまま結果的に再び戦争を起こしている。個性、文化などと冷静に言えるのだろうか。そしてその狭間は我々の今にもあるではないか。空気の低くくに流れる冷たい音、勇気のない息づかい。装う無関心。
あの時代もジャポニスムが芸術と趣味のエレメントになっていた。その美の深層の中に。私は今、今の日本が戦争という死の行為から学んで守っている静かではあるが平和への、安心という尊いものを認め、戦争で負った心と身体の障がいの癒えぬ断片を嘆きよりも優先して作品の中に見つめ、調性で温めている。表現が叶って感謝している。




『勝俣敬二の純粋調性論』
第3回 ヘ長調とニ短調。
いよいよ、佳境にさしかかります。グレゴリオ聖歌を源泉〔原点〕とする私の調性論。私とフルート・セミナリオの会員が演奏いたします。毎回〝目からうろこ〟でしたと感想を戴いております。一人の演奏家の提案する奏法と理論を体験していただきたいと思います。



フルーティスト勝俣敬二の米沢日記20190713~20190715
7月13日~15日
山形県米沢市にて第37回目の夏期音楽合宿が開催されました。
連日のフルートレッスンの他に第2回海の日コンサートにも出演しました。
又、今回の源泉秘湯巡りはほたる祭りの小野川温泉と古き良き湯治場風情の滑川温泉でした。






何が幸いか。G.フォーレの生徒であったPh.ゴーベールの作品の叙情性は師の業績であったグレゴリオ聖歌の再興に基づいている。ゴーベールは旋法と調性を巧みに作風〔ジャポニスム〕として開花させた。1920年代、パリに暮らした蕗谷虹児の詩篇には抒情性を帯びたキリスト教の日常観が見られる。私が彼らの作品の融合〔コラボレーション〕の先に発見したものは、他には見られないまたとない感性である。