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日本人として日々の暮らしの中で思うこと、知りたかったこと

ODAはテロの抑止力にはならない

2019-03-15 00:23:47 | 時事



朝鮮総督府庁舎(日韓併合時代建造)このようなものをつくる発想そのものがそもそも間違いだったのでは


2018/7/26(木) 午後 4:20

上の写真は日本が戦前にソウルに造った朝鮮総督府庁舎の写真です。当時東洋一という豪華絢爛な建物だったそうです。金泳三大統領時代の95年に爆破解体してしまったそうですが。


韓国の首都ソウルは朝鮮戦争のとき、一瞬で陥落して、というより当時の韓国大統領の李承晩などはそもそも最初からソウルを捨てて真っ先に逃げたと言われておりますが、何しろ38度線から僅か40kmの距離しかないそうなのです。それでも韓国はソウルから南よりの他の場所に遷都することを、「首都を南に移すと国が衰退する」として歴史的な位置づけから拒み続けてきたそうです。
参考:http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/service/newsletter/pdf/81/i_02_81_all.pdf


現在、北朝鮮の首都は平壌ですが、建国時から事実上の首都としての役割をもってはいたものの、北朝鮮において憲法で正式に平壌が首都となったのは1972年からだそうです。それ以前は「祖国統一を成し遂げるまでの暫定首都(臨時首都)」という位置づけで、つまりソウルを正式な首都と(南も北も)定めていたようです。ソウルは朝鮮半島の中央に位置しているばかりではなく、嘗ての朝鮮王朝の王宮である景福宮があった場所でした。


金泳三大統領が朝鮮総督府庁舎を爆破解体した理由は「歴史立て直し」と朝鮮王朝の「景福宮復元」が目的であったとされています。「景福宮」はおそらく朝鮮総督府庁舎より規模の小さいみすぼらしいものであっても韓国の人々にとっては歴史的な意味のあるものであったことにはちがいないのです。他国が造ったものでしかも併合時代の遺物はたとえ絢爛豪華な立派な建物であっても壊したかった、ということかもしれません。


ソウルが双方の憲法上の「首都」であったのは、南北双方とも長きに渡り相手を国家と認めず、建国以来憲法上は双方にとって朝鮮半島全域を領土としていたからで、例えば韓国の以北五道委員会においては平壌直轄市を認めず韓国は「平安南道平壌市」として扱ってきたそうです。



昨日、当ブログの「マキャベリが説く隣国への外交姿勢とは」で、日本が日韓併合時35年間で築き、1965年の日韓基本条約締結時に放棄した莫大な金額の国や個人の資産のことや、基本条約締結時に韓国に渡された賠償金に相当する無償有償合わせ国から5兆円(現在の価値に換算)民間借款で3兆円規模の支援金のことを書きました。


また、1966年から98年という約32年間に日本が韓国一国に対して行った膨大な件数のODAを検索して載せました。

参考:https://blogs.yahoo.co.jp/ymhkobayasis/35731936.html


つまり朝鮮半島は第二次世界大戦後の連合国軍の米軍とソ連軍による直接統治時代とその後の朝鮮戦争当時や日韓基本条約締結以前の日本と国交回復する以前の20年間を除いた1910年から1945年までの35年間と66年から98年までの32年間トータル67年間かけて鉄道、港湾、ダム、学校などインフラ整備や6-3-3制の教育システム、京城帝国大学(現ソウル大学)を含む社会基盤をつくり、朝鮮戦争後の38度線の南半分の韓国の復興はほぼ日本の金や産業技術、社会体系をもとになされてきたというのが現実だったようです。


併合以前の朝鮮は両班という貴族階級以外の大多数の平民は奴隷のような身分制度に縛られ教育を受ける機会すらない社会だったのですから。


朝鮮は併合前の1906年には人口1600万人程度だったのが1940年には2400万人程度となり、併合時(1910年)24歳だった平均寿命は1942年には45歳に伸びたとされており、日本式の病院などの医療技術の導入や教育その他による衛生状態の改善、農業技術や土地の改良によって食料事情が好転したことが想像できます。


しかし、実は併合時代のみならず朝鮮半島が日本から独立した戦後においても日韓国交正常化(基本条約締結)の1965年以降、南半分の近代化と復興は日韓基本条約によってもたらされた莫大な支援金と毎年のODA名目の巨大な資金や日本からの投資、円借款、技術援助によって間接的に国家の整備事業や産業基盤の構築を行ってきたものであるということに、あの膨大な毎年のODA事業群をながめていれば気付くことです。


韓国の「漢江の奇跡」がいつから始まったのか、逆に言えば太平洋戦争後に日本と国交正常化する以前で朝鮮戦争休戦後の20年間、韓国は世界の最貧国の一つに留まりほぼ自力の発展などは出来なかった。


日本が残してきた工場や水力発電所などのあった北朝鮮よりも当時の韓国は貧しく、産業らしい産業など育たず、つまり韓国の発展は日本政府からの支援と資本投入と技術支援が全ての要因だということが南北のGDP曲線の変化をみれば言い切れます。1965年が分岐点だったのだから。同じ民族という一卵性双生児の比較実験のようなケースです。



2011年8月28年に韓国李明博元大統領をして「北朝鮮の復興は心配ない、日本にやらせるのだ。私が日本に全ての金を出させる。我々は既に日本を征服しているからだ。やつらの金は我々が自由にできる」という発言まであったということを数回このブログに載せましたが、要するにあの言葉の真意は「北も南と同様、日本の金と技術支援で発展させよう」という意味だったのだということがわかります。
https://www.youtube.com/watch?v=i3dTy1lFnrw


韓国の産業構造も日本の技術が土台で、同じ民族で現在の南北朝鮮の差(GDPで48倍の差、平均寿命12年の差)を比較すればわかるように、日本の支援なしでは現在のようなG20に入る経済発展はおろか、輸出産業すら興り得なかったと思います。


しかし日本に助けてもらったように今度は韓国が、同じ民族として(西ドイツが東ドイツにそうしたように)北朝鮮を助けるのが筋です。韓国以外の他の国はそのように思っているのではないでしょうか。それをこの期に及んで「日本の金で」という発想は情けない。




ODA(政府開発援助)に関しては、DAC(開発援助委員会)諸国によるODA実施状況を純額ベースでみると、長らく米国が世界1位、冷戦の終結を背景に1989年から日本が米国を追い抜きその後1990年を除き2000年までの10年間世界最大の援助国だったそうです。


しかし2001年には米国が再び首位に立ち(日本は2位となり)、2006年には英国が2位となり(日本は3位となり)、2007年にはドイツが3位、仏が4位となり(日本は5位となり)、2009年までの日本は5位の位置だったそうです。この間日本はODAの予算を削減し続けた一方、欧米諸国は「貧困がテロの温床になっている」との認識に基づき、ODAを増額させてきたそうです。


米英仏独がせっせとODAを増額した結果はテロの抑止力になったでしょうか。結果に関してはそれぞれの精査が必要だとは思いますが、ならなかった、むしろこの10年間で世界各地、特に欧米でテロが増えたように思います。


2011年12月の当時の野田総理大臣と韓国李明博大統領(現在逮捕拘留中)の会談以降、一部の日本人や韓国の団体が誘導して「慰安婦は性奴隷」とする国連人権委員会クマラスワミ報告を書かせて日本を女性の人権を踏みにじる国家であるかのような反日キャンペーンの一貫で「少女像」を立て始めました。


李明博元大統領の竹島上陸や天皇謝罪要求発言なども、日本からの賠償金を得るという実利目的だけではなく、日本から韓国へのODAがなくなったこと、日本が「失われた20年」という時代にあり没落したかの印象を相手が抱き、一種の復讐心から韓国特有の「どぶに落ちた犬はたたけ」といった発想でのいやがらせのように私は感じています。いやがらせのためのいやがらせ。


とうとう一昨日、韓国政府は日韓合意に基づいて日本側が差し出した10億円を突き返すために自国で予算編成して「肩代わり」し、事実上の合意の白紙化を図り始めました。永久に決着させる気がそもそもないのがわかります。何故なら彼の国は「千年被害者」なのですから。
https://news.nifty.com/article/world/korea/12211-061463/


ODAにせよ支援にせよ、やり方を誤ってその国に合わないものをこちら側の価値観の押し付けの様に与えてしまうことで、ちょうど外来生物によって本来の生態系の崩壊がおきてしまうように、相手の生気を失わせ、その国の風土に根をはっていた土着の循環経済を狂わせ、祖国に対する自尊心と自立心の崩壊などを起こすことにもなりかねず、いわばその国の侵略者であるかのように受け止められてしまいかねないのではないでしょうか。



気候風土、宗教、文化に違いがあるように、国家を運営する能力は国によって差があるのはやむを得ないことで、発展に差があることも当然のこととして、先進国のグローバリズムという「他国干渉主義」もほどほどにすべきなのではないでしょうか。


ゆっくり発展するか、その発展段階でとどまるのかは極論を言えばその国の勝手で、価値観を押し付けることこそ諸悪の根源のように思えてなりません。


進化論ではないけれど、環境の変化に適応できない国が淘汰されるのは生物の進化の常であり、そして進化によって環境との不適応などが増して「うつ病」などの文明病が出てきたという側面もあるわけですし。


クラシック音楽やロック音楽もいいけど、南米諸国のフォルクローレのように「生きていることの輝き」のようなシンプルな調べも美しいものですよね。先進国の価値観をありとあるゆる国に当てはめる必要はないと思います。


貧困や暴力のない世界は理想ですが、貧困や暴力は先進国の中にもあるわけで、他国の人々を自国民を犠牲にしてまで助けることなど到底できない話であり、下手に中途半端に助けても逆に恨まれるだけと日本がつくづく感じているように、先進国と呼ばれる国の多くが「自国民ファースト」「移民に対する人道的対応の限界」など21世紀の今ここに来て本音としてつくづく感じているのが現実のようです。



※補足ですが、もちろん全てのODAが無駄だという意味ではなく、本当に助けが必要な国に対しては緻密に現地の事情を調べて、長期的視野で「相手の自助努力を助ける程度」を戦略的に行うべき、という意味です。



コメント

お書きに成られた事はすべて正しく思います。この様な幼稚で病んだ国が、近くにある事は不幸の源と言えそうです。チャイナ・コリアの固陋な歴史に比べて、我々が水と油の様に、異なる文化的背景の根源に付いて考えて仕舞う。大昔の奈良時代に隋・唐の官僚制度を取り入れたが、それも平安期には捨て去られた。日本の古層は海洋民族の基盤が有りそうです。大陸とまったく文明の質が異なっている事を感じます。外国を考える場合に、ミラー・イメージで捉えては成らない事は、謂わば鉄則なのですが。ミラー・イメージとは、相手が、鏡に映る自分と同じなのだと誤解する事です。外国経験に慣れない殆んどの日本人が、自分の誠意は伝わると云う幻想を常に、無意識に持って来たことです。寧ろ、これは現代では危険な事なのです。
2018/7/29(日) 午前 8:59 [ 井頭山人(魯鈍斎) ]


> 井頭山人(魯鈍斎)さん
仰る通りだと思います。韓国の人々の思考パターンを私は大手の2紙の日本語版に目を通して数年間「定点観測」してきたのですが、彼らの思考パターンはまさしく「ミラー・イメージ」です。自分達の思考パターンをこちら側に当てはめて邪推する、その連続です。
日本人は「清き明き心」を尊び、「和をもって貴しとなす」が基本姿勢で、恨みごとがあっても「水に流す」という心の安定化という知恵があるから、少々のことがあってもいざとなれば肝心なときには周囲と助け合いながらやっていきますよね。
半島や大陸の人々は我々とは逆で「恨みは忘れない」「沢山泣く子は沢山の饅頭をもらえる」などをモットーにしているらしいのでとことん利己的で、我々の感覚で彼らと付き合って行くのは危険だということですね。
そのことを日本人は承知しておくべきで、そこを間違ったことで、今のようになったように思います。「誠意が伝わる」のは感覚が近い者同士である場合ですね。
2018/7/29(日) 午前 11:02 kamakuraboy

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