My Painting Life

絵付けに係る日々の出来事を徒然なるままに、、、。

Maryのセミナー

2012-07-02 08:00:13 | 日記
5月末から6月初旬、米国のMary Ashcroft Seehagen 先生を軽井沢に招待し、セミナーをして頂きました。香港や国内各地から友人や生徒さんにもいらして頂き、満員御礼で無事終了致しました。しばらくは余韻に浸っていたくて、すぐにブログに書く気がしなかったのですが、少し落ち着きやっとその気になりました。
Maryの作品に出会ったのは10年以上前、始めたばかりのインターネットで世界中の絵付情報検索をしていた頃です。まだインターネット上の絵付け情報も今に比べれば限られたものでしたが、私にとっては世界の窓が突然目の前で開いたような興奮状態で当時は連日検索して情報集めに夢中でした。その中で、ぼかしを利かせた典型的なアメリカンスタイルとは少し異なるシャープでメリハリの利いた作品に出会い目をひかれました。直感的に『私はこんな絵が好き』と感じました。作者である米国人のMary Ashcroft Seehagenの名前を覚え、いずれ米国の大会で本人に出会えるかと期待しておりました。しかしその後数度訪れたIPAT大会にMaryが来ることは無く、数年が過ぎてゆきました。2007年、WOCPの大会がMichigan州のGrand Lapidsで開催され、参加した時Maryが出展しており、それが初めてのMaryとの出会いでした。長年憧れていたアーティストに初めて出会った時のわくわく感と恥じらいの気持ちは良く覚えています。彼女が売りに出していた芍薬の陶板を購入し、ハグしてくれた感激は昨日のことの様です。
その後、日本や海外で他の好きな作家のセミナーを受講する機会が何度か訪れましたが、Maryの手法を知りたい気持ちも消えることなく私の心に残り続けました。2009年に初めてアメリカの老舗絵付けスクールPowPowに申し込み、そこでMaryのセミナーを受講することになりました。申し込んだその年に、何とPowPowの経営者JackieからMaryがPowPowを買い取ってスクールの名前もPorcelain Painter's Paradise(PPP)に変えたことを知りました。こうしてMaryはスクールの経営者兼、講師の立場でスクールにやってきました。その年のPPPスクールはMaryにとっても経営者としての初仕事であり、ご主人のSeehagen氏も参加してスクールをサポートしていました。前経営者の時代から様々な改革が行われたとのことでスクールの評判は上々で私も大いに楽しんだのでした。その時のMaryのセミナーは期待通りの濃い内容でしたが、彼女には、連日スクール経営者として雑用が入り込み少しバタバタしていました。私自身ももう一度じっくり学び、ベテランの生徒さん達にも混色理論などを含むグレードの高い彼女のセミナーを受ける機会を得てもらいたいと思い、その時思い切って、Maryに日本に教えに来てくれないか聞いてみました。彼女からは『2011年5月に来てくれる。』という返事をもらい具体的な日程も決め、帰国後は早速、計画を進めました。参加者も無事に集まり全てスタンバイOKになり最終案内の書類をパソコンで作成していた最中にあの3.11地震が起こりました。Maryには私の無事を知らせ、10日ほど経過して少し状況把握ができた頃、予定通り来てくれるか確認メールを送ったところ、「どうしても今、日本に行くのは怖いので、キャンセルか延期にしてもらえないか。」という返事が来ました。正直がっかりしましたが、初めてアジアの国を訪れるMaryにとってあの地震と原発の爆発で不安材料が高まったのは当然のことで、1年延期することをお願いし、やっと今年、3年越しの計画が実現したのでした。

5月27日成田空港の第2ターミナル到着ロビーにMaryが現れた時には「やっと」という思いがこみ上げて、最初からうるうるしてしまいました。その日は成田のホテルに1泊しそこで香港からの友達二人と合流し翌日、春日部の我家とヤマダ電機とジョイフルホンダなど車であちこち寄りながら軽井沢に向かいました。何度も日本を訪れている香港の二人に比べMaryにとっては何もかもが珍しいようで、流山インターチェンジ付近の田植えしたばかりの広々とした田んぼが驚きの様で、相当感激していました。道端にアメリカと同じ雑草が生えていることにも感激した様子でした。日本は何もかもごちゃごちゃして狭苦しいと聞いていたのに広い空間がたくさんあることに一番驚いたのだそうです。広いのに牛が一匹もいないことも驚きだったそうです。毎年北海道にスキーで来ている香港の友人達が「日本は狭いのは東京など都市部だけで実は日本にも雄大な自然がたくさんある。」と説明してくれました。
ジョイフルホンダのフードコートでお昼を食べた後、久喜インターから軽井沢へ向かいました。3時には到着し、セミナー会場となった『ギャラリー望月』で荷物をおろしセッティングしてから近くの真楽寺を見学しました。夕方にはサポートをお願いした友人のRちゃんと参加者のIさんと合流し軽井沢ショッピングモールの『信州食堂』で皆で夕飯を取りました。しかしMaryに信州特有の赤みその味噌汁は強烈だったらしく、その後味噌汁はNoと言われてしまったので名物の『ほうとう』(味噌味)を御馳走できなくなってしまったのは失敗でした。
翌日から第1グループ、第2グループそれぞれ3日間のセミナーが続きあっという間に6日間が過ぎました。Maryは私の期待の3倍くらい頑張ってくれて、彼女の手法を余すところなく教えてくれました。その中には今さらながら『目から鱗』もあり、本当に濃い内容でした。人から「あなたはもう自分のスタイルが有るのにどうして今さら習う必要があるの?」とか課題作品だけ見て「あれくらいの絵は自分で描けるでしょ?」とか聞かれることが有ります。そう言ってもらえることは光栄ではあるのですが、セミナーの魅力や目的は私にとって単に課題作品を描くことだけでは無いのです。ペインターの手法、オイル、絵具の扱い、それは長年かけてそれぞれのペインターがたどり着いたベストであり、必ず自分の手法にも有益になるヒントが有る。プラスアルファの有益情報もとても大事です。3日間をともにすることでより深い話ができて人間性に触れることもできる。その醍醐味はやはりセミナーでしか味わえない。端的に言えば日本で通いで3年かけてやっと教えてもらえることを3日間で習うことができる。だからこそ大変な思いをしてもセミナーを受けたいと思うのです。今回も、確かに段取りから全てしきって大変だったけど、参加してくれた方全員が喜んでくれて、Maryも楽しんで私も本当に楽しかった。大変さを充分補って余りあるほどの満足感を得た充足感に浸りました。

こうしてセミナーは無事終了し、翌日、車で越谷のホテルに移動して荷物を置いた後、電車で東京見物に向かいました。MaryはNYのメトロには乗ったことが有るけれど電車に乗るのは人生初めてとのことで遊園地の乗り物に乗るようなはしゃぎぶりでした。途中、車中からスカイツリーを見物し、浅草の浅草寺に向かいました。仲見世に立った時、「私が今ここにいることが信じられない」と言ってとても感激している様子でした。仏像を見たときには感極まっって涙ぐんでいる様子に私までうるうるしてしまいました。その後、銀座から表参道、陶画舎へ行き通勤ラッシュ前に帰途に就きました。
その晩はMaryは越谷のホテル、私は久しぶりに春日部の我が家に戻って夫と猫どもに再会しました。
翌日Maryを成田に送りながら出発まで時間が有るのでショッピングモールと成田山新勝寺とどちらへいくか選んでもらうと、成田のショッピングモールを選んだので、そこで家族のお土産を買い日本での最後の時間を楽しんだのでした。Maryに日本で何が一番印象的だったか聞くと「人間」ということとでした。つまり日本人の優しさや温かさがとても感じられて楽しい旅だったということなのだそうです。生徒も礼儀正しく親切で、ホテルのお兄さんも、Maryが朝食に降りてくると、毎朝Maryの好きなキュウリを切って塩と一緒に持ってきてくれたのがとても嬉しかったのだそうです。
ちなみにMaryはホームセンターでキュウリの種も買って帰りました。日本で一番気に入った物は日本のキュウリと『源氏パイ』そして天麩羅でした。
成田の出発ゲートにMaryを送りガラス越しに無事に階段を下りて行くのを見送るとまたまた涙が止まらなくなりました。でも来年もMichiganで再会できる予定なので、すぐに涙を拭いて帰途に着きました。