美と知

 美術・教育・成長するということを考える
( by HIGASHIURA Tetsuya )

モディリアーニ 「モンパルナスの灯」

2008年12月26日 | 私の本棚Ⅱ
モディリアーニ

19世紀末のパリ、モンマルトル

芸術家たちはブドウ畑や風車など、都市化されていない風景を求め、安いアパートやアトリエを借りて活動し、モンパルナスに対抗する芸術家の集まる街となっていました。

パブロ・ピカソ(1904年から1909年までの間)、アメデオ・モディリアーニ、などの貧乏な画家達やがモンマルトルの「洗濯船(Le Bateau-Lavoir)」と呼ばれる安アパートに住み、制作活動を行っていたことは有名です。

この時代のパリはベル・エポックと呼ばれ、パリ万博やボン・マルシェ百貨店などで華やいだ、世界中の人たちがあこがれるパリの黄金期でしたが、そんな社会に媚びることを嫌い、批判精神をもちつつ自由な精神のあり方を謳歌するのが芸術家たちでした。

この時代のアーティストは世間に背を向け、伝統や習慣にこだわらない自由気ままな生活を送っていて、彼らのことをボヘミアンといいます。





映画「モンパルナスの灯 1958仏」
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ある日ジャンヌという画学生に出会います。
 美しいジャンヌと過ごす至福の時間・・・
しかし、個展も不評で、絵も売れず、生活していくお金がありません。モディリアーニがカフェを回って「モディです・・・5フラン・・」と自分のデッサンを売り込みますがデッサンは売れません。

気の毒に思ったご婦人は5フランを渡して「作品はいらないわ」…モディリアーニは失意のどん底に突き落とされます。

死神に取り付かれて呆然とさまようモディリアーニは、ついに行き倒れとなります。

モディリアーニの才能を見抜いていた画商がいました。しかし彼はモディリアーニの絵を本人から買おうとしません。それどころか悪評をふりまいて個展すら邪魔をします。結局、モディリアーニはもがき苦しみ、どん底の精神状態の中で、臨終をむかえます。

それを見届けた画商はすぐにモディリアーニのアトリエに行き、彼の作品を買いあげるのです。
ジャンヌはその瞬間どれほど幸福だったのでしょう・・・

「モディには励ましが必要なんです。もう長い間作品が売れたことが無いから・・・」
ジャンヌは心から喜びます・・・・・・  

FIN



16歳のジャンヌ

1916年12月に18歳のジャンヌはモディリアーニ(32歳)と出会いました。
1920年1月26日モディリアーニは警察病院にて死去...その二日後、ジャンヌはアパルトマンから身を投げモディリアーニの後を追います。
モディリアーニを愛し続けた彼女の純真な気持ち、その哀切な物語が秘められた短い生涯に胸がいっぱいになります。
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