美と知

 美術・教育・成長するということを考える
( by HIGASHIURA Tetsuya )

“モダン” & “きりきりぶらうん”

2006年05月15日 | ノート

 

昔のジャズのLP(AS TIME GOES BY CARMEN McRAE ALONE LIVE AT THE DUG 1973)を聴いて久しぶりに思い出したことがあった・・・

1980年から6年間東京国分寺に暮らした。当時の国分寺駅周辺はは路地が入りくんで、お金のない大学生でも一晩中楽しめるような店が沢山あった。また、知る人ぞ知るジャズの街でもあった。
私は“モダン”というジャズ喫茶に入り浸った。細長い店内は、入り口を入るとテーブル席が5つ、そして奥にカウンターがあった。昼間でも扉をくぐると真っ暗ないわゆる硬派のジャズ喫茶であった。
「サワー」を注文する。大きなグラスに焼酎が半分注がれ、サワー1本、半切りレモン、スナック、それとhirokoさんの穏やかな笑顔がついてくる。サワーやレモンを少しずつ残し、焼酎・氷だけのおかわり3杯で1000円でいけた。
がんがん鳴り響くジャズとアルコールが神経を覚醒させる。
美術大学で自分の表現を模索する自分自身にとって、新しい自分自身との出会いを切り開いていくような場所であった。
hirokoさんはショートカットの似合う知的な女性だった。カウンターでよく本を読んでいた。ある時、病におかされ、あっけなく亡くなった。30代の若さであった。私の心の中にもぽっかりと空洞ができたような時期がしばらく続いた・・・
国分寺“モダン”でのいろいろな出会いと別れは、私の大切な思い出となった。

“モダン”は1990年代、国分寺駅周辺の再開発の波に飲み込まれるような形で閉店となり、モダンのレコードコレクションも散逸したと聞いている。



1983年“きりきりぶらうん”が同じ国分寺駅近くにオープンした。
こちらはギタリストの宮之上貴昭さんが奥さんと始めた手作りの温もりのある店であった。仲間とワイワイガヤガヤやれる雰囲気で、こちらにも良く通い、仲間とよく飲んだ。
ジャズががんがん流れている店内で、宮之上さん夫婦の赤ちゃんがカウンターの奥でゆりかごに入って寝ているようなそんなフレンドリーなお店でもあった。ご夫婦の暖かさがこのお店の売りであった。

“きりきりぶらうん”も最近閉店になったと聞いた。

「きりきりぶらうんの思い出」
http://www.interq.or.jp/jazz/miyanoue/kitty2/
「宮之上貴昭ホームページ」
http://www.miyanoue.net/

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8 コメント

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想い出 (doromaro)
2024-07-16 12:21:05
僕も80年入学。国分寺には3年いました。
吉祥寺に足を伸ばす方が多かったけど、モダンにも何度かお邪魔しました。素敵な雰囲気のお店でした、怠惰な日々を送っていた昔を思い出しました。
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感謝 (HIGASHIURA)
2021-10-31 09:21:12
書き込みありがとうございます。
国分寺駅前は大きく変化しているようですが、学生時代の思い出は変わることなく心に刻まれています。
今でもモダンの時間を鮮明に思い出します。
豊かな時間を過ごさせていただきました。
同じような気持ちを持っておられる方々がいることがとてもうれしいです。
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JAZZ が大好きな爺 (KEN・M)
2021-10-21 15:28:21
今、この様な皆さんの文章を目にすることが出来るとは思ってもいませんでした、毎晩閉店まで入り浸りでした、hirokoさんと、元旦那さんの飯塚邦彦さん(福生のホテルでオルガンを弾いておられたと記憶しています)が、よく国立の自宅で麻雀なども楽しみました、亡くなる直前まで店のカウンターの隅でグラスを手にしてましたねあれは痛み止めだったのです。とても悲しい思い出。50年も前の話、今もJAZZ だけは毎日聞いてます。
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感謝 (HIGASHIURA)
2020-04-24 17:42:41
いろいろな方の思い出の中に今もモダンが生きているのですね。

時々、JAZZを聴きながら当時を思い出したりするのもいいものですね。

このページに足跡を残してくださってとてもうれしいです。感謝いたします。
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Unknown (eiko)
2020-04-23 08:14:17
モダンで大学時代すこしだけアルバイトしていたものです。(細身で髪の長い女性ではありませんが)

グラスに焼酎、レモン、バタートーストには塩を一緒に出して、カウンターの端に座ってレコードを替えて、JAZZはよくわからないけど、常連のお客さんと話して。
前にいたhirokoさんという人は、みんなから愛されてたステキな女性だったらしく、よく名前を聞きました。

上京したての19歳には、JAZZがただただカッコいいものに思えていた、心震える思い出です。
マッチ箱の絵に懐かしさでいっぱいになりました。
記憶を残していただいて、ありがとうございます。
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Unknown (Unknown)
2020-03-26 19:56:53
そうですか。亡くなったのですか。私は大学入学1967年から4年間通いました。細くって目の大きな、だけれど蒼ざめたお顔だったあの方ですよね。名前はうろ覚えですが間違いないと思う。
もう一人、調子の良い曲が掛かると踊り出す細身で髪の長いお姉さんもいましたね。札幌のジャズ喫茶には無い雰囲気のお店でした。マッチのラベルを見て当時が蘇って来ました。
未だにOBの集まりでは私のモダン通いから話が弾みます。
あの小路、モダンの列びにコンパ、向かいに学生御用達の質屋、ラーメン屋なんかがあったけど今はないのでしょうね。
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モダン (himahima)
2017-07-16 19:50:57
モダンは私の高校時代の、逃げ場所でした。
煕子さんが亡くなったのは初めて知り、ショックです。
今でも、ジャズしか聞かない、素敵なおばあ様になっていると勝手に想像していました。一度だけ、体調を崩した煕子さんを家に送ったことがあったけど、よくあるとは言っていたけど、かなり悪かったのかなぁ。
リーガルしか履かない素敵な女性でしたね。
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懐かしき (hata)
2013-09-23 09:51:44
モダン、懐かしいですね。 私も80年入学。 教員大学の学生でした。 丁度祖父がなくなって、一人で過ごしたい時間が増えて、モダンによく行きました。 お客が静かなわけでもなく、清潔というわけでもない店でしたが、とにかく落ち着く場所で、まさにじっと篭るのにはぴったり。  特別なジャズマニアではありませんが、その後の人生を支える音楽生活のベースには確実にモダンでの時間が役に立っているのだと思います。 記録してくれている人が居てよかった。
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