火の手は本社の裏庭にある研究所の一角から上がった。
ガソリンかなにかを使ったのだろう、辺りは一瞬にして紅蓮の炎に包まれ、隣接している研究員の宿舎にも燃え移る勢いであった。
「部長!・・アンドレア!!」
煙を掻い潜って、クリストファーはドハニーを探した。宿舎の自室には姿がない。もう深夜を回っていたが、どうやらまだ研究所に残っているらしかった。
「クリストファー!」
真っ赤に燃え盛る研究所の入り口へまさに飛び込もうとする寸前、背後から呼び止める声があった。
「アンドレア!」
炎に赤く照らされてドハニーが立っていた。
「ご無事でしたか」 クリストファーは安堵の息を吐いたが、すぐに気遣わしげに上司の様子を伺った。「お怪我は?」
「大丈夫よ」
「早く安全な処に移動しましょう」
退避先を探して慌しく辺りを伺うクリストファーの肩に、ドハニーの手が掛かった。
「クリストファー」
「・・・え?」
「私のことは心配しなくていいわ」
大混乱の只中にも拘わらず、ドハニーは不思議なほどの平静さだった。そんな上司の顔をクリストファーは不安そうに見返した。
「アドリアンを探すのよ、そして二人で今すぐここを離れなさい」
「部長!」
「社の周りには暴徒がうろついているから気をつけるのよ。一般市民を装っているけれど、モスクワの息の掛かった極左だわ。人殺しも辞さない連中よ」
「部・・アンドレア・・」 クリストファーの顔が苦悶に歪んだ。
「どさくさに紛れて、貴方たちを襲うチャンスを狙っているに違いないから・・」
クリストファーはいやいやするように小さく首を振って俯いた。
「クリストファー・・」
「・・・・」
ドハニーは両手を回して優しく若者を抱き締めた。
「可愛そうに・・。何もしてあげれない無力な私を許して」
クリストファーは母とも慕う人の抱擁の中に埋もれて暫し我を忘れた。が、やがて自分から静かに身を離した。
「クリス・・」
「・・済みません、取り乱して。ちゃんと約束したのに」
自らの瞳に浮んだ涙を恥じて横を向く。
「もう・・大丈夫です」
「どうするかは・・わかっているわね」
「ええ」
「じゃあ・・幸運を祈るわ」
「部長・・アンドレアも、お元気で」
「大丈夫よ、貴方こそ気をつけてね」
クリストファーは気丈に微笑んで、まるで記憶に残そうとするように上司の顔を暫く見つめてから、不意に身を翻して・・闇に消えた。
後に残されたドハニーは、確かにクリストファーがいなくなったと確認してから、堪えていた涙を流して思う存分泣いた。
実の子以上に思っていた存在に結局何もしてやれなかった。
ただ冷たく死地に送ることしか・・
#############
クリストファーはアドリアンを探して宿舎内を巡った。
消火作業も始まり、なんとか宿舎側は本格的火災を免れそうな雲行きだ。しかし混乱状態は如何ともし難かった。
そんな中、ばったりスティラーに出くわした。
「クリストファー!」
「ああ、フィリップ。・・どうしてここに?」
フィリップはアパート住まいで、普通ならここにいるはずはない。
「ニュースを聞いて今駆けつけたばかりなんだ。どうやら死傷者は出なかったみたいだが、大変なことになったな」
「うん。やっぱり放火なの?」
「としか考えられないな。血迷った連中が騒ぎを起こしてここ一帯がまるで無法地帯だ。いよいよ実力行使で俺たちをぶっ潰すつもりらしい。お前が言ってた通り、モスクワが背後で手引きしてるのに違いない」
「・・・・・」
「部長は?」
「大丈夫、ご無事だよ」
「傍にいてあげなくていいのか?」
「・・・・・」
「クリス、どうしたんだ?」 相手の尋常でない様子に漸く気づいたフィリップが尋ねた。
「僕、暫く留守をすることになりそうなんだ」
「え、何だって?」
「そのあいだ、部長のことを宜しく頼む」
「ま、・・ちょっと待ってくれ、それはどういう意味だ?!」
クリストファーは困ったような顔をした。
「クリストファー・・」
『そうか、時が来たんだな・・』 唐突にフィリップは悟った。
いつかこういう時が来るだろうという予感があった。具体的なことは何一つ知らない、しかし、この友人の生活が全て将来起こる『あること』に対する準備に当てられてきたのは間違いなかった。彼の人生そのものがそのゼロ地点に向かうプレリュードだったのだ。なんという無残な話だろう。
フィリップはクリストファーの瞳に死を覚悟した者の達観をみて、ゾッとした。
「どこに・・行くんだ?」
「それは言えない」
「また帰ってくるんだろ?」
クリストファーは一瞬ためらってから「うん」と答えた。
『ほんとに嘘の下手な奴なんだから・・』
「会えて良かったよ。君に別れを告げずに行くのが心残りだったんだ」とこれは心から言った。笑みを浮かべている。
止めても無駄だとわかった。
しかし・・
『こんなぶきっちょな世間知らずが、一人ぼっちで一体何をするつもりだ?』
そう思った瞬間、フィリップはたまらなくなってクリストファーを力一杯抱き締めていた。体格がかなり違うのでクリストファーの身体が半ば宙に浮いた。
抱き締めたままフィリップはおいおいと号泣した。
「フ・・フィリップ?・・」
クリストファーは戸惑いながらも、なすがままに任せた。
やがてなんとか気が治まって、フィリップが友人を解放する。
「す、済まん・・」 まだしゃっくり上げながら、フィリップは言った。
「いいけど、びっくりしたな」
「俺も・・びっくりした」
クリストファーが笑った。「街中を震撼させた恐持て番長がこんな泣き虫だったなんてね」
「お、おい、誰にも言うなよな。こんなことほんと初めてなんだから」 フィリップが慌てて言った。
「はは、どうしようかな」
「クリス・・」
クリストファーは友人の優しい顔にしみじみと見入った。
「フィリップ、有り難う。君のことは決して忘れないよ」
「なんだ・・今生の別れみたいなこと言うな。直ぐに帰ってくるんだろう?」
「うん、直ぐ戻ってくるよ」
「なら・・もう行け」 -俺がまた泣き出さないうちに-
「わかった。じゃあ、元気でね」
「ああ、お前も」
「部長のこと頼むよ」
「任せとけ」
クリストファーの顔が一瞬歪んだ、が直ぐに笑顔に戻ってそっと頷く。
そして扉の向こうに消えた。
それがフィリップが生きたクリストファーを見た最後になった。
その21へ
ちなみに、現実世界でのフィリップもしっかり泣き虫だってことは08年のSWE版スターズ・オン・アイスに参加した時にしっかり暴露されてます↓
http://blog.goo.ne.jp/essingen/e/5dbafa4360d390eaaefcfc9f8b8b1d00
ほんまにええ奴です、フィリップって
ガソリンかなにかを使ったのだろう、辺りは一瞬にして紅蓮の炎に包まれ、隣接している研究員の宿舎にも燃え移る勢いであった。
「部長!・・アンドレア!!」
煙を掻い潜って、クリストファーはドハニーを探した。宿舎の自室には姿がない。もう深夜を回っていたが、どうやらまだ研究所に残っているらしかった。
「クリストファー!」
真っ赤に燃え盛る研究所の入り口へまさに飛び込もうとする寸前、背後から呼び止める声があった。
「アンドレア!」
炎に赤く照らされてドハニーが立っていた。
「ご無事でしたか」 クリストファーは安堵の息を吐いたが、すぐに気遣わしげに上司の様子を伺った。「お怪我は?」
「大丈夫よ」
「早く安全な処に移動しましょう」
退避先を探して慌しく辺りを伺うクリストファーの肩に、ドハニーの手が掛かった。
「クリストファー」
「・・・え?」
「私のことは心配しなくていいわ」
大混乱の只中にも拘わらず、ドハニーは不思議なほどの平静さだった。そんな上司の顔をクリストファーは不安そうに見返した。
「アドリアンを探すのよ、そして二人で今すぐここを離れなさい」
「部長!」
「社の周りには暴徒がうろついているから気をつけるのよ。一般市民を装っているけれど、モスクワの息の掛かった極左だわ。人殺しも辞さない連中よ」
「部・・アンドレア・・」 クリストファーの顔が苦悶に歪んだ。
「どさくさに紛れて、貴方たちを襲うチャンスを狙っているに違いないから・・」
クリストファーはいやいやするように小さく首を振って俯いた。
「クリストファー・・」
「・・・・」
ドハニーは両手を回して優しく若者を抱き締めた。
「可愛そうに・・。何もしてあげれない無力な私を許して」
クリストファーは母とも慕う人の抱擁の中に埋もれて暫し我を忘れた。が、やがて自分から静かに身を離した。
「クリス・・」
「・・済みません、取り乱して。ちゃんと約束したのに」
自らの瞳に浮んだ涙を恥じて横を向く。
「もう・・大丈夫です」
「どうするかは・・わかっているわね」
「ええ」
「じゃあ・・幸運を祈るわ」
「部長・・アンドレアも、お元気で」
「大丈夫よ、貴方こそ気をつけてね」
クリストファーは気丈に微笑んで、まるで記憶に残そうとするように上司の顔を暫く見つめてから、不意に身を翻して・・闇に消えた。
後に残されたドハニーは、確かにクリストファーがいなくなったと確認してから、堪えていた涙を流して思う存分泣いた。
実の子以上に思っていた存在に結局何もしてやれなかった。
ただ冷たく死地に送ることしか・・
#############
クリストファーはアドリアンを探して宿舎内を巡った。
消火作業も始まり、なんとか宿舎側は本格的火災を免れそうな雲行きだ。しかし混乱状態は如何ともし難かった。
そんな中、ばったりスティラーに出くわした。
「クリストファー!」
「ああ、フィリップ。・・どうしてここに?」
フィリップはアパート住まいで、普通ならここにいるはずはない。
「ニュースを聞いて今駆けつけたばかりなんだ。どうやら死傷者は出なかったみたいだが、大変なことになったな」
「うん。やっぱり放火なの?」
「としか考えられないな。血迷った連中が騒ぎを起こしてここ一帯がまるで無法地帯だ。いよいよ実力行使で俺たちをぶっ潰すつもりらしい。お前が言ってた通り、モスクワが背後で手引きしてるのに違いない」
「・・・・・」
「部長は?」
「大丈夫、ご無事だよ」
「傍にいてあげなくていいのか?」
「・・・・・」
「クリス、どうしたんだ?」 相手の尋常でない様子に漸く気づいたフィリップが尋ねた。
「僕、暫く留守をすることになりそうなんだ」
「え、何だって?」
「そのあいだ、部長のことを宜しく頼む」
「ま、・・ちょっと待ってくれ、それはどういう意味だ?!」
クリストファーは困ったような顔をした。
「クリストファー・・」
『そうか、時が来たんだな・・』 唐突にフィリップは悟った。
いつかこういう時が来るだろうという予感があった。具体的なことは何一つ知らない、しかし、この友人の生活が全て将来起こる『あること』に対する準備に当てられてきたのは間違いなかった。彼の人生そのものがそのゼロ地点に向かうプレリュードだったのだ。なんという無残な話だろう。
フィリップはクリストファーの瞳に死を覚悟した者の達観をみて、ゾッとした。
「どこに・・行くんだ?」
「それは言えない」
「また帰ってくるんだろ?」
クリストファーは一瞬ためらってから「うん」と答えた。
『ほんとに嘘の下手な奴なんだから・・』
「会えて良かったよ。君に別れを告げずに行くのが心残りだったんだ」とこれは心から言った。笑みを浮かべている。
止めても無駄だとわかった。
しかし・・
『こんなぶきっちょな世間知らずが、一人ぼっちで一体何をするつもりだ?』
そう思った瞬間、フィリップはたまらなくなってクリストファーを力一杯抱き締めていた。体格がかなり違うのでクリストファーの身体が半ば宙に浮いた。
抱き締めたままフィリップはおいおいと号泣した。
「フ・・フィリップ?・・」
クリストファーは戸惑いながらも、なすがままに任せた。
やがてなんとか気が治まって、フィリップが友人を解放する。
「す、済まん・・」 まだしゃっくり上げながら、フィリップは言った。
「いいけど、びっくりしたな」
「俺も・・びっくりした」
クリストファーが笑った。「街中を震撼させた恐持て番長がこんな泣き虫だったなんてね」
「お、おい、誰にも言うなよな。こんなことほんと初めてなんだから」 フィリップが慌てて言った。
「はは、どうしようかな」
「クリス・・」
クリストファーは友人の優しい顔にしみじみと見入った。
「フィリップ、有り難う。君のことは決して忘れないよ」
「なんだ・・今生の別れみたいなこと言うな。直ぐに帰ってくるんだろう?」
「うん、直ぐ戻ってくるよ」
「なら・・もう行け」 -俺がまた泣き出さないうちに-
「わかった。じゃあ、元気でね」
「ああ、お前も」
「部長のこと頼むよ」
「任せとけ」
クリストファーの顔が一瞬歪んだ、が直ぐに笑顔に戻ってそっと頷く。
そして扉の向こうに消えた。
それがフィリップが生きたクリストファーを見た最後になった。
その21へ
ちなみに、現実世界でのフィリップもしっかり泣き虫だってことは08年のSWE版スターズ・オン・アイスに参加した時にしっかり暴露されてます↓
http://blog.goo.ne.jp/essingen/e/5dbafa4360d390eaaefcfc9f8b8b1d00
ほんまにええ奴です、フィリップって
ベルントソンの本名フルネーム(ミドルネームとでもいうですかね。)をその19見たときになんとなく思い出しました。
ベルントソンが感情をあまりださない典型的なスウェーデン人なら、フィリップはかなり感情表現豊かですよね
インタ記事みててもいつもがついていた気がします。
悦さんの記事にもあったのですが、泣き方も結構印象的でした。
フィリップさん、現役時代はベルントソンやニクラスはもちろん、他のスウェーデン選手とも仲良かったみたいですね。
大晦日に彼らを家に呼んでいわゆる忘年会と新年会みたいなものですかね?夜の外出と新年のお祝いしたり、一緒にいると明るくて本当に楽しそうです
今回のドハニーコーチとフィリップさんとのお別れは本当に寂しいのですが「翔ぶ者たち」の今後の展開楽しみにしています。
名は体を現わすと言いますが、クリスのフル・ネームって如何にも彼らしい雰囲気ですね。アドリアンはアドリアンで、なんかとんでもなく大仰な名前で、ほんま彼そのものって気がするし(笑)コンスタンティンという響きに不気味さを感じるのはあのキアヌ主演映画の影響だと思いますが。
フィリップってそんなふうだったんですか?情報ありがとうございます
私は何度も言うように情報収集がほんとに苦手で、クリスのことだって実は大して知らないんじゃないかと思います。ちょっと聞きかじったことからイメージして妄想するのが私の芸領域なもんで(笑)。でも、それが結構当たってるんじゃないかという自負はあります。ライサやジョニーに至っては、ほとんど顔からくる印象だけで書いてるようなもんですけど、それでもかなりいけますよ。
だけどファンとして細かい情報を知りたいと思わないではないので・・どうか遠慮なさらずに、これからもいろいろと教えてくださいね。
ほんとはhanaさんのような方にこそブログで情報公開して頂きたいんですよね。そしたら一番のファンになりますのに・・。
hanaさんて、クリス似の遠慮深い方なんですね(笑)
フィリップさん…!スターズ・オン・アイスの記事読んだ時も「フィリップええ奴すぎる…!」と思った記憶があります(笑)
もしコーチになっていたら、悲し涙に嬉し涙に忙しかったのかな、と勝手に想像してしまいました。
hanaさんのコメントも読んで和みました。
ベルントソンもシュルタイスも不器用なタイプだから近くにフィリップみたいな人がいて良かったのかなぁなんて思ったり…。
そしてそして、マヨロフおめでとう!
ありがとうございます!
いわれてみれば確かに、フィリップはコーチにならなくって良かったですね(笑)
例えばシュル太のコーチなんぞになっていたら、キスクラでのコントラストがルトコフさんどころではない凄まじいことになりそうですよね。号泣するコーチと「俺この人知らない」風情なシラケ選手・・(笑)
ま、コーチにはならずとも、今のナショナル・チームになんらかの立場で彼がいたら、随分雰囲気が変わってたでしょうねえ(遠い眼)
そうそう、サーシャやってくれましたね。
スケ連のユーロ派遣選択が間違ってたことをしっかり証明してくれちゃったて、こんちくしょー
いや、まじ屈服しました。もうマヨの悪口は言いません(笑)
ヴォロノフの皮肉な笑み・・
定番ですね(笑)
ロシアが誇る二大美形ボロボロ・コンビにこんな端役をやらせるなんて、私も実はかなり心苦しいんですよ。彼らを主役にしてもべるシュルに負けないくらいの押し出しが利くと思いますしね(誰かそういうの書いてくんねーかなー)。でも誰かに端役をやってもらわないと駄目なわけで、これからもいろいろ豪華な端役が出てくると思います。どうかご期待ください(笑)
お話はこれから大暗転、ブラックホールの向こうに新星が生まれるように、新しい出発です(なんてまた大袈裟な)
どうぞ引き続きご贔屓に
hanaさん
ええっとしつこいですが、私には洞察力は多少あるかもですが、情報収集力は皆無です。私ほど無知なファンも珍しいんじゃないでしょうか(笑)
言葉が出来ないとか遠慮してないで、海外ファンともどんどん交流されたら良いと思います。あちらの書いてることが理解できるんだから、充分の語学力ですよ。日本人はどうも遠慮し過ぎで困ります。そうして交流されて得た情報を是非私にも教えてください(て、要するにそれか)
取り合えず海外のコッフェ・ファンがなんと自称しているのか教えて頂ければ嬉しいです。
彼は別に日本だけじゃなく、ヨーロッパではどこでも相当人気があるような感覚(あくまでも感覚です、私はそれで生きているので)があります。SWEでどれだけ人気があるのか(ないのか)は知りませんが、専門家の評価に限っていえば絶対国内より欧州でのほうが高いと思いますよ。
て、もう言わないつもりがまたちょっと言っちまった(苦笑)見逃してください。