こんにちは、特急秩父路です。
最近全く音沙汰なかったので、言い訳がてら身の上話をつらつらと書いていきます(笑)
まぁ何のことかな程度に途中くらいまでは読んでいただけると幸いです。
事の始まりは2019年11月はじめ。ちょっと腰が痛いなぁという日が続いたのですが、以前から季節の変わり目などで腰痛が起きていたので気にせず放置。それどころか

平日から水戸駅前でバス撮ってたりしてるくらいには出歩いていました(笑)


この時念願の1102号車と1382号車に乗車できましたが、それはさておき。
で、いつもなら1週間程度で治まるはずの痛みが続くどころか増していく一方で、ついでに足に痺れが出るようになりました。そしてある日起き上がれなくなるまでの痛みと痺れに発展、これはただ事ではないと整形外科へ駆け込んだのが埼玉県民の日にあたる11月14日の出来事です。
レントゲン、MRI、問診検査の結果、診断されたのは「腰椎椎間板ヘルニア」でした。
ここで「ヘルニアって何?」という方のためにちょっとだけ説明させていただきますと、背骨の間でクッションの役割をする椎間板が飛び出して神経に当たり、手足の痛みや痺れが出る病気のことで、首だと「頚椎椎間板ヘルニア」、腰だと「腰椎椎間板ヘルニア」と言うそうです。多少間違っているかもしれませんので、詳しい内容はググっていただければと思います(笑)
今回は第4腰椎と第5腰椎、第5腰椎と第6腰椎の間でヘルニアの症状が見られ…ってまさかの複数発症(笑)しかも腰椎って普通5個ですよね…?という割と珍しい症例なんだとか。なお腰椎の数については病院によって「第6腰椎」と言われたり「仙骨の間違い」と言われたり、詳しいことは実は分かっていなかったりします…
罹患したのであれば治療をしていかなくてはなりません。治療法としては以下に挙げる3種類が基本的だそうなので、これに沿って治療を開始しました。
まずは鎮痛剤で痛みをおさえる治療から始まりました。たいていは薬物療法で治まるそうなのですが、結果は動けるようにはなったものの痺れは相変わらず。しばらくして鎮痛剤を替えてみたり量を増やしたりしたのですが、副作用が強く中止になりました。意識が朦朧として記憶がない、なんてこともありましたねぇ(笑)
薬物療法がダメとなると次は「ブロック療法」という方法にシフトします。これは神経の近くに麻酔薬を注射するといったもの。ところがこれも効かず。
となると次はこれしかありません…「手術」です。診断されてから2か月ほど経った時には歩くのも座るのもキツイ状態。生活に支障がでるのであれば手術をしたほうが良いという主治医の提案もあり、年が明けた2020年1月、ついに人生初の「入院」と「全身麻酔による手術」を受けることにしました。
地下鉄を乗り継いで都内の病院へ。入院した2日後には手術という割と早めの日程で最初はビックリしましたが、いざ病室に入るとやることがなくてとにかく暇で暇で暇なので長めに感じました(笑)4冊持って行った本も初日に3冊読み終わってしまい、だからといって寝て過ごすと夜になって寝れず…特に消灯時間が早かったので夜に時間を持て余すのは大変(笑)ちなみにテレビはありましたが、もともとニュースくらいしか見ない人なので結局使わずじまい。スマホは病室内での使用が制限されていたのと、通信制限が怖かったのでほとんど使わず…
手術前夜からは飲食が制限され、経口補水液をガバガバ飲んでいました。確か一晩で1.4Lだったかな。
迎えた手術当日。全身麻酔は数秒で眠くなると聞いていましたが、感覚としては10秒ほどでスヤスヤと夢の世界へ。実は問題はここからだったりします…
手術自体は予定よりちょっと長めの3時間半で終了。本来であれば終了後数十分で麻酔から覚める、はずだったのですが…起きない、とにかく起きなかったそうです(汗)
ここからは後日看護師さんから聞いた話なのですが、手術から1時間半後に朦朧としたまま意識が回復、するといきなり「ここはどこ、私は誰?」を言い始めるモンだから最初は周りがざわついたんだとか。その後立会いに来てくれた母に「あら奥さんカワイイね」と言い始め、母は笑いながら「人妻を口説くんじゃねぇ」とすかさずツッコミ(笑)さらに先ほど場所が分からないと呟いたのに「ここは鹿島臨海鉄道の常澄駅ですか?」と訊く始末。いやいや常澄は降りたことないのになんで出てきたし(笑)でもって「綴くんはどこですか?」ってホント何してるんですかねぇ…

ちなみに探していた彼は多分この人です(笑)
その後もお花畑が何だ、川が何だと危なっかしい発言をしていたらしいのですが、記憶があるのは日付が変わったあたりで術後の痛み止めが追加で入ったところからです。手術後も実に6時間も麻酔の作用があったということでして…
次の日からは歩行訓練。なんともまぁ早いですねぇ(笑)
…のはずだったのですが、もともと低血圧だったのに加え採血による貧血だったこともあり、朝の血圧が「上89下50」でフラフラと横になり…
結局この日は中止となり1日ベッドの上でごろんごろんと過ごして終了でした(汗)
今度こそ次の日から歩行訓練。いざ歩いてみると手術痕の痛みこそありますが、痺れずに足を上げて歩くことができ思わず感動してしまいました(笑)この日だけで8000歩近く歩いています(笑)
その後もただひたすら歩く毎日、というよりベッドの上にいても暇なので歩くことくらいしかなかったのですが(笑)、次第に痛みもひいていき、手術から1週間後には退院できる運びとなりました。
退院時の会計は健康保険の3割負担分と事前に申請しておいた「限度額認定証」の提示により10万円ほどで済みました。長い長~い明細書を見ると保険がなかったら100万円近くかかる計算だったので、この時は健康保険のありがたさを痛感しました(笑)
こうして晴れて腰椎椎間板ヘルニアの痛みから卒業しましたが、そう簡単にはい終わり、とはいきません。
手術では飛び出てしまった椎間板を摘出しました。椎間板は先にも述べたように「クッション」の役割をしています。つまり今後は下手に尻餅でもついたら骨に負荷がかかりかねませんので注意しなくてはなりません。

某東日本旅客鉄道の新系列電車「走ルンです」シリーズや某東海旅客鉄道の在来線最大勢力のロングシート電車を代表とする(?)かっっったい座席は要注意かもしれません(笑)
また、長い間圧迫されていた神経はすぐには元に戻らず、後遺症として右足には痺れと痛みが残ってしまいました。しばらくすれば治まるかもしれないし残るかもしれない、こればっかりは経過観察のみとのことで、今後どうなるかは本人も分からないのが現状です。
これを書いているのは手術から1ヵ月半が経過した、花粉症の季節まっただ中の3月はじめですが、リハビリという名のお散歩をする毎日を過ごしています。傷口が安定するまで着席は少なくする、腰回りに負荷をかけない、となるとバスには乗れず電車は普通列車くらいで移動手段としても徒歩くらいしかないんですよねぇ(笑)早く遠征という名のお出かけできるようになりたいのが本音です。それまでに溜まりに溜まったネタを披露できれば良いのですが…(笑)
あ、そういえば。




先日「綴くん」を連れて「鹿島臨海の常澄駅」に行ってきました(笑)何度か通過はしていますが、いざ降りてみると一面の平地に思わず笑ってしまいました。未だにこの駅を呟いたのかは謎のままです…


※浜田営業所にて許可を得て撮影しています
手術前に乗車した1382号車は年越し直前の2019年12月末に除籍されてしまいました。本来の廃車予定日より1年半長生きした29年間お疲れ様でした。後を追うように元日立電鉄交通サービスの6Eも除籍され茨城県からは富士重工6E車体は全滅したとのことです。ギリギリ乗車できて良かった…

ここに綴くんは関係ないんですが、せっかくなので一緒に写っていただきまして(笑)
ということで身内から「早くヘルニアの話を書け」との声が多く予定を変更して書いてみました。椎間板ヘルニアは発症率が高く、誰でもなりうる病気のひとつと言われています。もし罹患してしまったらの参考に少しでもなれたら幸いです。…って言ったけど麻酔から覚めた時のうわ言は全然参考にしなくて良いです、ハイ(笑)

いい加減遠くに行ってきた話をしたいんですが、ついに1年前の出来事となっちゃいました(汗)
次回は旅行ネタでお会いできればと思います。ご覧いただきありがとうございました!
最近全く音沙汰なかったので、言い訳がてら身の上話をつらつらと書いていきます(笑)
まぁ何のことかな程度に途中くらいまでは読んでいただけると幸いです。
事の始まりは2019年11月はじめ。ちょっと腰が痛いなぁという日が続いたのですが、以前から季節の変わり目などで腰痛が起きていたので気にせず放置。それどころか

平日から水戸駅前でバス撮ってたりしてるくらいには出歩いていました(笑)


この時念願の1102号車と1382号車に乗車できましたが、それはさておき。
で、いつもなら1週間程度で治まるはずの痛みが続くどころか増していく一方で、ついでに足に痺れが出るようになりました。そしてある日起き上がれなくなるまでの痛みと痺れに発展、これはただ事ではないと整形外科へ駆け込んだのが埼玉県民の日にあたる11月14日の出来事です。
レントゲン、MRI、問診検査の結果、診断されたのは「腰椎椎間板ヘルニア」でした。
ここで「ヘルニアって何?」という方のためにちょっとだけ説明させていただきますと、背骨の間でクッションの役割をする椎間板が飛び出して神経に当たり、手足の痛みや痺れが出る病気のことで、首だと「頚椎椎間板ヘルニア」、腰だと「腰椎椎間板ヘルニア」と言うそうです。多少間違っているかもしれませんので、詳しい内容はググっていただければと思います(笑)
今回は第4腰椎と第5腰椎、第5腰椎と第6腰椎の間でヘルニアの症状が見られ…ってまさかの複数発症(笑)しかも腰椎って普通5個ですよね…?という割と珍しい症例なんだとか。なお腰椎の数については病院によって「第6腰椎」と言われたり「仙骨の間違い」と言われたり、詳しいことは実は分かっていなかったりします…
罹患したのであれば治療をしていかなくてはなりません。治療法としては以下に挙げる3種類が基本的だそうなので、これに沿って治療を開始しました。
まずは鎮痛剤で痛みをおさえる治療から始まりました。たいていは薬物療法で治まるそうなのですが、結果は動けるようにはなったものの痺れは相変わらず。しばらくして鎮痛剤を替えてみたり量を増やしたりしたのですが、副作用が強く中止になりました。意識が朦朧として記憶がない、なんてこともありましたねぇ(笑)
薬物療法がダメとなると次は「ブロック療法」という方法にシフトします。これは神経の近くに麻酔薬を注射するといったもの。ところがこれも効かず。
となると次はこれしかありません…「手術」です。診断されてから2か月ほど経った時には歩くのも座るのもキツイ状態。生活に支障がでるのであれば手術をしたほうが良いという主治医の提案もあり、年が明けた2020年1月、ついに人生初の「入院」と「全身麻酔による手術」を受けることにしました。
地下鉄を乗り継いで都内の病院へ。入院した2日後には手術という割と早めの日程で最初はビックリしましたが、いざ病室に入るとやることがなくてとにかく暇で暇で暇なので長めに感じました(笑)4冊持って行った本も初日に3冊読み終わってしまい、だからといって寝て過ごすと夜になって寝れず…特に消灯時間が早かったので夜に時間を持て余すのは大変(笑)ちなみにテレビはありましたが、もともとニュースくらいしか見ない人なので結局使わずじまい。スマホは病室内での使用が制限されていたのと、通信制限が怖かったのでほとんど使わず…
手術前夜からは飲食が制限され、経口補水液をガバガバ飲んでいました。確か一晩で1.4Lだったかな。
迎えた手術当日。全身麻酔は数秒で眠くなると聞いていましたが、感覚としては10秒ほどでスヤスヤと夢の世界へ。実は問題はここからだったりします…
手術自体は予定よりちょっと長めの3時間半で終了。本来であれば終了後数十分で麻酔から覚める、はずだったのですが…起きない、とにかく起きなかったそうです(汗)
ここからは後日看護師さんから聞いた話なのですが、手術から1時間半後に朦朧としたまま意識が回復、するといきなり「ここはどこ、私は誰?」を言い始めるモンだから最初は周りがざわついたんだとか。その後立会いに来てくれた母に「あら奥さんカワイイね」と言い始め、母は笑いながら「人妻を口説くんじゃねぇ」とすかさずツッコミ(笑)さらに先ほど場所が分からないと呟いたのに「ここは鹿島臨海鉄道の常澄駅ですか?」と訊く始末。いやいや常澄は降りたことないのになんで出てきたし(笑)でもって「綴くんはどこですか?」ってホント何してるんですかねぇ…

ちなみに探していた彼は多分この人です(笑)
その後もお花畑が何だ、川が何だと危なっかしい発言をしていたらしいのですが、記憶があるのは日付が変わったあたりで術後の痛み止めが追加で入ったところからです。手術後も実に6時間も麻酔の作用があったということでして…
次の日からは歩行訓練。なんともまぁ早いですねぇ(笑)
…のはずだったのですが、もともと低血圧だったのに加え採血による貧血だったこともあり、朝の血圧が「上89下50」でフラフラと横になり…
結局この日は中止となり1日ベッドの上でごろんごろんと過ごして終了でした(汗)
今度こそ次の日から歩行訓練。いざ歩いてみると手術痕の痛みこそありますが、痺れずに足を上げて歩くことができ思わず感動してしまいました(笑)この日だけで8000歩近く歩いています(笑)
その後もただひたすら歩く毎日、というよりベッドの上にいても暇なので歩くことくらいしかなかったのですが(笑)、次第に痛みもひいていき、手術から1週間後には退院できる運びとなりました。
退院時の会計は健康保険の3割負担分と事前に申請しておいた「限度額認定証」の提示により10万円ほどで済みました。長い長~い明細書を見ると保険がなかったら100万円近くかかる計算だったので、この時は健康保険のありがたさを痛感しました(笑)
こうして晴れて腰椎椎間板ヘルニアの痛みから卒業しましたが、そう簡単にはい終わり、とはいきません。
手術では飛び出てしまった椎間板を摘出しました。椎間板は先にも述べたように「クッション」の役割をしています。つまり今後は下手に尻餅でもついたら骨に負荷がかかりかねませんので注意しなくてはなりません。

某東日本旅客鉄道の新系列電車「走ルンです」シリーズや某東海旅客鉄道の在来線最大勢力のロングシート電車を代表とする(?)かっっったい座席は要注意かもしれません(笑)
また、長い間圧迫されていた神経はすぐには元に戻らず、後遺症として右足には痺れと痛みが残ってしまいました。しばらくすれば治まるかもしれないし残るかもしれない、こればっかりは経過観察のみとのことで、今後どうなるかは本人も分からないのが現状です。
これを書いているのは手術から1ヵ月半が経過した、花粉症の季節まっただ中の3月はじめですが、リハビリという名のお散歩をする毎日を過ごしています。傷口が安定するまで着席は少なくする、腰回りに負荷をかけない、となるとバスには乗れず電車は普通列車くらいで移動手段としても徒歩くらいしかないんですよねぇ(笑)早く遠征という名のお出かけできるようになりたいのが本音です。それまでに溜まりに溜まったネタを披露できれば良いのですが…(笑)
あ、そういえば。




先日「綴くん」を連れて「鹿島臨海の常澄駅」に行ってきました(笑)何度か通過はしていますが、いざ降りてみると一面の平地に思わず笑ってしまいました。未だにこの駅を呟いたのかは謎のままです…


※浜田営業所にて許可を得て撮影しています
手術前に乗車した1382号車は年越し直前の2019年12月末に除籍されてしまいました。本来の廃車予定日より1年半長生きした29年間お疲れ様でした。後を追うように元日立電鉄交通サービスの6Eも除籍され茨城県からは富士重工6E車体は全滅したとのことです。ギリギリ乗車できて良かった…

ここに綴くんは関係ないんですが、せっかくなので一緒に写っていただきまして(笑)
ということで身内から「早くヘルニアの話を書け」との声が多く予定を変更して書いてみました。椎間板ヘルニアは発症率が高く、誰でもなりうる病気のひとつと言われています。もし罹患してしまったらの参考に少しでもなれたら幸いです。…って言ったけど麻酔から覚めた時のうわ言は全然参考にしなくて良いです、ハイ(笑)

いい加減遠くに行ってきた話をしたいんですが、ついに1年前の出来事となっちゃいました(汗)
次回は旅行ネタでお会いできればと思います。ご覧いただきありがとうございました!