25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

500年生きて

2018年08月27日 | 文学 思想
 人間の脳だけはいまのぼくの歳にしても成長過程である。もちろん運動神経やいくつかの特殊訓練されなければならない神経は退化起こしているだろうが、ぼくが体験上得た知識は広がり、深まり、理解の力も強まっていく。
 脳に使うエネルギーは総エネルギー量の80%ほどで、幼児は85%も使う。身体は動いていなくても脳は活発に動いている、とぼくは実感的にも思う。
 人間だけが成長し続ける脳をもつ。
 あと十年もしたら脳のことはもっとよくわかってくるのだろう。もしかしたら、脳は500年くらいは生きるのかもしれない。人間の寿命は120年とか125年とか言われているが、医学の革命によってその年齢も怪しくなるのかもしれない。
 骨を3Dプリンターでつくり、その骨を人体に入れると、本当の骨になる技術。心臓の再生技術。臓器でさえも取り換えられる。iPS細胞もさらに研究が進むことだろう。
 というわけで、人生でもっとできることがある、と考えるようになっている。これを人に言うと、「そんなに、長く生きとってもしかたがない」とか「老人になって何するん」と言われる。
やることなんかいくらでもあるだろう、と思うが、黙っておく。
 人類は敵と味方を分け、味方を共同幻想で強固にしてきた。別の集団の所有物を強奪することもやってきた。集団もあり方は強固から緩やかになってきているが、難民が押し寄せてくると、ナショナリズムが先鋭化してくる。
 共同幻想がすべて悪いとは言わないが、集団という組織をつくる場合には、根底に個人幻想がいつでも自由に抜け出てもよい共通の共同幻想がいる。人類は相変わらず戦争をしている。これは愚かなことだ。「殺し合う」という言葉を捨てる強い意識が必要である。愛お宗教であるキリスト教なんと自らの教えを裏切り、人を殺してきたことか。
 人の性がグラデーションのようになっていることもわかってきた。昔、故多田富夫が「免疫の意味論」に中で「中間性」があると書いていた、あれから25年、性は多彩であることがわかってきた。つまり、対幻想も変化しているのだ。
 人間はいつ共同幻想の悪い部分を克服できるのだろうか。500歳になってもそれを見たい。


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